イスラム諸国会議機構
イスラム諸国会議機構とは
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
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イスラム諸国会議機構(Organization of the Islamic Conference:OIC)は、イスラム諸国をメンバーとして構成され、国際連合に対する常任代表を有する国際機構。イスラム諸国の政治的協力、連帯を強化すること、イスラム諸国に対する抑圧に反対し、解放運動を支援することを目的としている。加盟国はムスリム(イスラム教徒)が国民の多数を占める西アジア、北アフリカ、西アフリカ、東アフリカ、中央アジア、南アジア、東南アジアなどの57か国とオブザーバー5か国及び8組織(国連など)からなり、世界13億人のムスリムの大部分を代表する。事務局はサウジアラビアのジェッダに常設され、いくつもの常設委員会や特設委員会、補助機関、特別機関などをもつ。付属の専門機関として、イスラム開発銀行、イスラム連帯基金、イスラム教育・科学・文化機構、国際イスラム通信機関などをもつ。
意思決定
3年に1回首脳会議が行われるほか、年に1回の外相会議によって機構の主要な政策を審議し、その採決は世界人口の5分の1を占めるイスラム世界全体の共通の意向として国際社会に対する影響力をもつ。ただし、会議における決定は加盟国の多数決によらないため、重大な案件に対しては全加盟国の承認できる程度の穏健で折衷的な決定を下す傾向がある。このため、加盟国同士の紛争やアメリカの対中東政策のように加盟国間の利害が一致せず対応が大きく分かれる問題に関して、しばしば国際機構として有効に対処できないとの欠点もある。
加盟条件
国内でムスリムが大多数を占めることが必ずしも加盟条件となっているわけではなく、ムスリムが少数派の国でも外相会議における審査で承認されればイスラム諸国のひとつとして機構に加盟することができる。
イスラム諸国会議機構の略歴
- 1969年8月21日:エルサレムの聖地アル・アクサモスクが襲撃された事件に対する抗議運動が活発化。
- 1969年9月25日:25か国の首脳が参加しモロッコのラバトで行われた第一回イスラム首脳会議で、イスラム諸国会議機構創立が決議される。
- 1970年:ジェッダで行われた外相会議で会合の定期化と常設事務局の設立を決定。
- 1971年:マレーシアの初代首相アブドゥル・ラーマンを事務局長として事務局が開かれて正式な国際機構となる。
- 1974年:第2回首脳会議で、第4次中東戦争を契機とするイスラム・アラブ・産油諸国の結束を反映し、イスラエルの占領地からの撤退要求とイスラム諸国の経済開発推進をうたったラホール宣言を採択。
- 1979年:エジプトのサーダート大統領がイスラエルと和平を結んだことに反対し、外相会議でエジプトの会議参加資格停止と、パレスチナ国家の首都をエルサレムであるとする宣言を決議。
- 1980年:アフガニスタンでの共産主義勢力クーデターをきっかけとするソ連のアフガニスタン侵攻に反対、アフガニスタンの資格停止を決議。
- 1980年:イラン・イラク戦争では仲裁に失敗、イランが一部加盟国のイラク支援に抗議してボイコット。
- 1990年:イラクのクウェート侵攻に関し、外相会議でイラクの即時撤退を要求。
- 2001年:アメリカのアフガニスタン侵攻に対しては非難する国と積極的に協力する国に分かれる。
- 2004年:占領当局から主権委譲を受けるイラク暫定政権の支援を決定。
イスラム諸国会議機構加盟国リスト
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年04月10日 最終更新:2007年04月10日