中華人民共和国
中華人民共和国の基本情報
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- 2007-04-02T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- 中華人民共和国【China】。公式の英語表記は、People's Republic of China。
- 首都
- 北京(ペキン)【Beijing】
- 国旗

- 人種
- 漢民族(総人口の92%)、チワン族(1,600万人)、満族(1,000万人)、回族(900万人)、ミャオ族(800万人)、ウイグル族(700万人)、イ族(700万人)、モンゴル族(500万人)、チベット族(500万人)、ブーイー族(300万人)、朝鮮族(200万人)など55の少数民族
- 言語
- 漢語(中国語)(公用語)
- 宗教
- 仏教・イスラム教・キリスト教など
- 通貨
- 人民元:Yuan(CNY)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- CHN/CN/156
- 人口/面積
- 3,742,482人/9,596,960平方キロメートル(日本の約25倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 義勇軍進行曲/ボタン/キク/-
- 漢字による表記
- 中国
- 時間帯
- UTC +8(DST: なし)
- ccTLD
- .CN
- 国際電話番号
- 86
中華人民共和国のその他情報
- 最終更新
- 2007-04-02T00:00:00+09:00
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中華人民共和国の地形
東アジアのユーラシア大陸東岸に位置し、その国土の大陸部は「中国大陸」とも呼ばれる。ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、北朝鮮と国境を接し、また東シナ海を挟んで日本や韓国とも接している。東部沿岸の平原地帯から西へ進むにつれて次第にに標高が高くなる。東部は揚子江や黄河流域に広大な沖積平野が広がり、西部はパミール高原、崑崙山脈、天山山脈、チベット高原などの山岳と高原が連なり、その間にタリム、四川などの広大な盆地が展開している。主な砂漠はゴビ砂漠、タクラ=マカン砂漠。主な川は黄河、長江(揚子江)、黒竜江、メコン川。
中華人民共和国の気候
全体的には温帯に属し、西乾東湿、北冷南暖の気候。西部は大陸性気候で、モンゴルからタリム盆地にかけてステップと砂漠が広がる。チベット高原などの山岳地帯は高山気候。東北地方は冬に寒冷な大陸性冷帯湿潤気候で、黄河、揚子江流域の華中は温帯モンスーン気候。華南は亜熱帯モンスーン気候。
中華人民共和国の経済
農業では市場原理を重視した生産請負制を取り入れ増産に成功、万元戸とよばれる富農が出現している。農産物輸出が激増し輸出総額の1割を超えるが、一方で肉食の増加に伴う穀物需要の増加は飼料用穀物を輸入する事態を招いている。これを補うように、外洋、内水面を含め漁業が急成長している。工業では従来の軽工業に加え、重化学工業や電子産業の伸びが著しい。郷鎮企業とよばれる農民による小規模農村工業と外資系企業が牽引してきたが、国営企業も民営化され競争力を獲得しつつある。発展する沿岸部とは対照的に内陸部の多くは取り残され、貧富の格差は社会主義の理念を脅かすまでに拡大。かつては工業の中心地であった東北も非効率的な国有企業が多く、改革開放の波に乗れず、長江デルタや珠江デルタの先進地域との経済格差は開く一方であった。このため、中国政府は2000年頃から西部大開発や東北振興を重点政策とし、これら後発地域の開発に乗り出している。しかし、沿海部と内陸部との格差は解消されず、依然として内陸部よりも沿海部の方が経済成長率が高く、格差は拡大している。またエネルギー需要の急増による石油輸入の増加は、世界にも大きな影響をおよぼしている。現在の中国は、「世界の工場」と呼ばれるほど製造業が盛ん。この牽引役となったのが、安い人件費、膨大な人口を背景にした潜在消費需要を当て込んだ外資の資本投入と、安い人件費が要因の安価な製品輸出の拡大である。ただし、当初中国の魅力であった人件費の安さは、相継いで中国に進出する企業が労働力を求め続けたことにより特に高学歴の人材が不足するようになり、またそれに伴い賃金水準も上昇し、安さの面では東南アジアが優位に立ちつつある。先進地域を含めて民族資本が発展していないこと、官僚の腐敗、社会に広く存在する法の軽視、不良債権の蓄積、貧富の差の拡大、偽ブランド商品・違法コピー品の製造・販売が多いなどといった問題も存在する。
主要貿易品目
輸出は機械電気製品、ハイテク製品、繊維・同製品。輸入は機械電気製品、ハイテク製品、集積回路・マイクロ組立部品。
主要貿易相手国
輸出はアメリカ、EU諸国、香港、日本。輸入は日本、EU諸国、韓国、ASEAN諸国。
中華人民共和国の歴史
- 紀元前2070〜紀元前1600年頃:夏
- 紀元前1600〜紀元前1023年頃:殷
- 紀元前1023〜紀元前256年:周が殷を倒し、西周建国。克殷の年代については平勢隆郎の検討による結果が最も正確と考えられる。
- 紀元前770〜紀元前403年:春秋時代。周の東遷と時期を同じくして漢字使用の知識が東遷を支えた晋をはじめとする諸候に普及し、諸候の歴史が伝えられるようになる。これをもって春秋時代に入るとする。
- 紀元前403〜紀元前221年:晋が韓・趙・魏に分裂し、戦国時代突入。
- 紀元前221〜紀元前207年:秦の時代。秦王・政が6国を滅ぼし中華統一。
- 紀元前206〜8年:前漢。秦滅亡後、楚の項羽との楚漢戦争に勝ち、劉邦が建国。
- 8〜23年:新の時代。外戚の王莽が前漢皇帝から帝位を簒奪し建国。
- 25〜220年:後漢。前漢の景帝の子孫の劉秀(光武帝)が王莽軍を破り、漢を再興。
- 220〜280年:魏、蜀、呉の三国時代。曹操の子曹丕が献帝から禅譲を受け即位すると、蜀の劉備も漢皇帝を名乗り即位、さらに呉の孫権も大帝として即位し、三国時代に入る。
- 265〜316年:西晋。晋王司馬炎が魏の元帝より禅譲を受け即位し建国。だが、異民族五胡の侵入により衰退。異民族の漢に滅ぼされる。
- 317〜420年:東晋。皇族でただ一人生き残った琅邪王・司馬睿は江南に逃れ、建康で即位(元帝)。これを中原の晋と区別して東晋という。
- 304〜439年:五胡十六国時代。
- 439〜589年:南北朝時代。
- 581〜619年:隋
- 618〜907年:唐
- 五代十国時代
- 960〜1127年:北宋
- 1127〜1279年:南宋
- 1271〜1368年:元
- 1368〜1644年:明
- 1616〜1912年:清
- 1689年9月7日:ロシアと国境画定の為の「ネルチンスク条約」に調印。
- 1839年9月28日:イギリスとの間で阿片戦争が勃発(〜1842年)。
- 1856年10月6日:中国人所有でイギリス人が船長の小帆船・アロー号が、広州港外で清朝官憲により臨検。イギリスがイギリス旗侮辱と主張し紛争に(アロー号事件)。
- 1842年8月14日:阿片戦争で清国がイギリスに降伏。
- 1850年12月10日:清国で、秘密結社・上帝会の洪秀全が太平天国の乱を起こす。
- 1851年1月11日:金田村において拝上帝会は国号を太平天国とし、自身を天王と称する(太平天国の乱)。
- 1871年7月4日:ロシアが中央アジアの清国領・イリ地方に出兵し占領(イリ事件)。
- 1871年7月29日:日清修好条規が調印される(日本側全権は伊達宗城、日清間最初の条約)。
- 1884年6月23日:ベトナムの宗主権をめぐる仏清戦争が勃発。
- 1894年7月25日:日本軍と清国軍が漢城・牙山の間で対峙し、豊島沖で日本艦隊が清国艦隊を攻撃。
- 1894年8月1日:日本が清国に宣戦布告。日清戦争が開戦。
- 1896年7月21日:日清通商航海条約が調印される。
- 1898年8月6日:清国で西太后が、帝権回復と立憲君主制への転換を図る光緒帝を幽閉(戊戌の政変)。
- 1900年6月21日:義和団事件で清国が日米英独仏伊墺露の8か国に宣戦布告。
- 1900年12月30日:列国公使団から「義和団事件」(義和団の乱)について要求されていた12箇条の講和条件を清国が受諾。
- 1902年7月14日:北京駐在の5国公使(日・英・仏・独・伊)が、北清事変で接収した天津行政還付条件を清国外務部に送付(18日、清国は承諾を回答)。
- 1905年12月22日:満州に関するロシアの利権引継ぎの日清条約が調印される(1906年1月31日批准・公布)。
- 1908年12月2日:清朝で3歳の溥儀が宣統帝として北京で即位。3年後に辛亥革命で退位。
- 1909年8月6日:清国で日貨ボイコットが始まる。
- 1911年10月10日:清国で辛亥革命が始まる(12月29日孫文が中華民国臨時大統領に就任)。
- 1911年12月17日:日本とイギリス両国が、中国南北和平を官・革両派に申し入れる。
- 1911年12月18日:清国が官・革両派の南北和平会議を上海で開催。
- 1911年12月25日:孫文が亡命先のイギリスから帰国。
- 1911年12月29日:辛亥革命によって孫文が中華民国臨時大統領に就任。
- 1912年:中華民国が成立(直後に清朝は消滅)。
- 1913年7月2日:江西省で李烈鈞が袁世凱政権からの独立を宣言。以後、安徽省、湖南省、広東省、福建省、四川省が独立を宣言(中国第二革命開始)。
- 1913年8月5日:袁世凱軍が山東省で日本将校監禁事件を起こす。
- 1913年8月11日:中国・漢口で袁世凱軍が日本人将校を拘禁(漢口事件)。
- 1913年9月11日:中国昌黎で日本兵と中国兵が衝突。
- 1914年7月8日:孫文が東京で中華革命党を結成。
- 1915年12月23日:雲南都督・唐継堯らが昆明で「帝政反対・雲南独立」を宣言し護国軍を創設。中国第3革命の始り。
- 1916年:袁世凱が皇帝に就任し帝政へ移行。各地で反乱が相次ぐ。
- 1916年9月1日:林権助駐中国公使が、鄭家屯事件の解決条件として南満州・東部内蒙古での日本警察官の駐在・同地方中国部隊への日本軍事顧問の傭聘などを要求。
- 1917年8月14日:第1次大戦で、中国北京政府がドイツ・オーストリアに宣戦布告。
- 1918年7月28日:中国・満州里に赤軍が迫り、日本軍が引き揚げを開始(30日赤軍は満州里を占領)。
- 1918年12月2日:日・英・米・仏・伊の5か国が中国の南北両政府に和平統一を勧告。
- 1919年7月19日:支那・東北の寛城子で日・中両軍が衝突(寛城子事件)。
- 1920年7月14日:日本支援の安徽派(段祺瑞)と英米後援の直隷派(呉佩孚)が戦闘を開始(19日安徽派が敗れ段祺瑞が辞職:安直戦争)。
- 1921年7月1日:上海で毛沢東らが中国共産党第1回全国代表者大会を開催。中国共産党の成立を宣言。
- 1925年6月23日:中国の広州市沙基で、5・30事件に刺激された反英デモ。イギリス兵が発砲し、多数の中国人が死傷(沙基事件)。
- 1926年7月9日:蒋介石が、国民革命軍総司令に就任(北伐の開始)。
- 1927年8月1日:江西省南昌で中国共産党が最初の武装暴動。中国共産党が初めて完全に掌握する軍隊を持つ(南昌暴動)。
- 1927年9月1日:奉天で田中義一内閣打倒の排日運動が起こる。
- 1927年10月16日:中国の北京郊外の周口店で北京原人の左下顎の大臼歯を発見。
- 1927年12月11日:中国共産党が広州で武装蜂起し広東ソビエト政府(広州コミューン)を樹立(広東暴動)。
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- 1928年7月19日:中国国民政府が日華通商条約廃棄を通告。
- 1928年7月21日:上海で全国反日大会が開催される。
- 1928年7月25日:アメリカが中国国民政府を承認。
- 1928年10月8日:蒋介石が中国国民政府主席に就任。
- 1928年12月20日:イギリスが中国国民政府を承認し「関税協定」に調印(中国の自主関税承認)。
- 1929年12月2日:周口店で北京原人の頭骨発見。
- 1929年12月17日:中国政府は、小幡酉吉公使が「対華21か条要求」に関与したとしてアグレマン拒否を通告(幣原外交への攻撃強まる)。
- 1930年7月27日:紅軍が長沙を占領。長沙ソビエト政権樹立。中国共産党の前身。
- 1930年7月28日:長沙の日本領事館が中国共産軍に焼かれる。
- 1930年10月6日:中国の間島竜井村で日本警官2人が中国兵に射殺され日中情勢が険悪化。
- 1930年12月27日:蒋介石軍が第1次掃共戦を開始。
- 1931年6月27日:モンゴルを調査中の参謀本部員・中村震太郎大尉が、中国兵により殺害される(満洲事変の遠因に)。
- 1931年7月2日:長春郊外万宝山で、水田開発をめぐり支那・朝鮮の農民が衝突(4日、京城・仁川・平壌でも支那人に対する報復暴動起こり、死者94人・重傷96人:万宝山事件)。
- 1931年7月2日:蒋介石が「全国同志に告ぐるの書」で排日運動の中止を勧告。
- 1931年7月18日:各地で排日貨運動が起こる。
- 1931年9月24日:上海の学生・労働者の反日ストが中国各地に波及。
- 1931年10月10日:広州で学生が起こした抗日デモが弾圧される。
- 1931年11月7日:中華ソビエト共和国臨時政府(瑞金政府)が樹立される。
- 1932年:福州城内で、日本軍艦北上の艦長らが反日派に襲われ負傷(福州事件)。
- 1933年:満州国との境界付近の山海関にて、日中両軍が武力衝突(山海関事件)。
- 1934年7月15日:瑞金政府・紅軍が抗日先遣隊の「北上抗日宣言」を発表。
- 1934年10月15日:国民党政府軍に敗れた中国共産党が、華南の根拠地を抛棄し西方への長征を開始。
- 1935年1月13日:毛沢東が指導権を確立。
- 1935年8月1日:中国共産党が、国内革命路線の戦略を転換し抗日救国統一戦線を提唱(8・1宣言)。
- 1935年12月8日:李守信軍が関東(日本)軍の後押しでチャハル省東部の攻撃を開始(31日までに6県を占領:察東事変)。
- 1935年12月9日:北京の学生が抗日運動。
- 1935年12月18日:北平に冀察政務委員会が成立(委員長は宋哲元)。
- 1935年12月25日:中国共産党中央政治局会議が、広範な抗日民族統一戦線(反蒋抗日)の結成などを決議(12月決議)。
- 1936年9月17日:広東省汕頭で中国民衆が日本人住宅を爆破。
- 1936年11月12日:内蒙古軍が関東(日本)軍の援助をうけて綏遠東部に進撃(綏遠事件)。
- 1936年11月23日:関東(日本)軍援助下の内蒙古軍が中国傅作義軍に大敗し、百霊廟が陥落(中国の抗日運動激化:綏遠事件)。中国国民政府が章乃器ら救国連合会の7領袖を逮捕(抗日世論の弾圧)。
- 1937年1月9日:西安で共産党指導の抗日デモ(15万人が参加し、抗日軍事行動の開始を決議)。
- 1937年7月7日:北京郊外の盧溝橋付近で、日本軍と中国・国民党軍が衝突。支那事変の発端(盧溝橋事件)。
- 1937年7月8日:中国共産党が対日全面抗戦を呼びかける。
- 1937年7月11日:蘆溝橋事件現地停戦協定が成立(日本政府は華北派兵を声明)。
- 1937年7月17日:中国国民党の蒋介石と中国共産党の周恩来が会談し抗日決戦で合意(廬山会談)。
- 1937年7月29日:冀察政権が事実上消滅。
- 1937年7月29日:冀東防共自治政府の首都・通州の中国守備隊が、駐留していた日本軍守備隊を全滅させ日本人・朝鮮人居留民142人を虐殺(通州事件)。
- 1937年8月22日:中国西北の紅軍が国民革命軍第八路軍に改編される。
- 1937年9月22日:中国国民党が中国共産党との国共合作宣言書を公表(中共は「精誠団結一致抗敵宣言」を発表、23日蒋介石は中共の合法的地位承認の談話を発表、第2次国共合作が成立)。
- 1937年9月23日:国民党と共産党の対等合作が成立(第2次国共合作)。
- 1937年11月5日:トラウトマン中国駐在ドイツ大使が蒋介石に対日和平条件を通告(トラウトマン和平工作)。
- 1937年11月20日:中国国民政府の蒋介石が南京から重慶への遷都を宣言。
- 1937年12月10日:日本軍が南京総攻撃を開始。
- 1937年12月13日:日本軍が南京を占領。大東亜戦争終了後、占領時に中国人軍民や婦女子を暴行虐殺したとのいわゆる「南京大虐殺」が行われたとのデマが流れるきっかけとなる。国民政府は武漢へ退却。
- 1937年12月14日:王克敏らを中心に中華民国臨時政府が北京に樹立される(日本軍北支那方面軍が指導)。
- 1938年10月12日:日本軍が中国軍への補給ルートを断つため、華南のバイアス湾に上陸、広東攻略作戦を開始。
- 1938年12月20日:汪兆銘が重慶を脱出してハノイに到着。
- 1939年1月1日:国民政府は汪兆銘を永久除名。
- 1939年12月30日:日本が中国の汪兆銘側と日華協議書類を作成。
- 1941年6月23日:中国共産党が、反日独伊・反ファシスト国際統一戦線の結成を呼びかける。
- 1941年12月9日:中国・重慶の中国国民政府が、日・独・伊に宣戦布告。大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告。
- 1943年1月11日:イギリスとアメリカが中国重慶政府と新条約を締結(在華特権を放棄)。
- 1943年12月1日:フランクリン・ルーズヴェルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統が「カイロ宣言」を発表。
- 1945年10月10日:国民党・共産党両派間で停戦に調印(双中協定)。
- 1945年10月24日:国連加盟。
- 1946年7月12日:国民党と共産党が全面内戦開始。
- 1946年11月4日:中国国民政府とアメリカが「友好通商条約」に調印。
- 1947年7月7日:中国共産党が民主連合政府樹立と土地改革実施を発表(7.7宣言)。
- 1948年12月16日:中国共産党軍が北平(現在の北京)に無血入城。
- 1949年:中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治国土を制圧。なお、台湾等、これらの島嶼地域は今なお中華民国の統治下。
- 1949年9月21日:国都を「北京」と改称。
- 1949年9月30日:中国共産党政府が毛沢東を主席に選任(〜1978年毛沢東時代)。
- 1949年10月1日:毛沢東が中華人民共和国と中央人民政府の成立を宣言。天安門広場で成立式典を開催。
- 1949年10月15日:中国国民政府が首都を重慶に移転。
- 1949年12月7日:蒋介石が中華民国の首都を台湾の台北に移す(臨時首都を遷都)。
- 1949年12月30日:インドが中国を承認。
- 1950年1月14日:中国が北京のアメリカ総領事館を接収。
- 1950年11月27日:朝鮮戦争で国連軍が38度線を越え北上(林彪率いる中国人民義勇軍がこれを撃破)。
- 1950年12月2日:国連軍が中国・人民義勇軍に押され平壌を撤退。
- 1954年9月20日:第1期全国人民代表者会議で「中華人民共和国憲法」を採択。
- 1958年8月23日:中国人民解放軍が中華民国の支配下にある金門島に砲撃。第2次台湾海峡危機が始る(金門島砲撃事件)。
- 1959年8月7日:中国・インド両軍が国境で武力衝突。
- 1959年10月20日:中国とインドの西部国境のコンカで両国の守備隊が衝突。
- 1959年12月4日:中国が元満州国皇帝・溥儀の釈放を決定。
- 1960年9月1日:中国とキューバが国交を樹立。
- 1961年7月11日:「中華人民共和国・北朝鮮友好協力条約」調印。
- 1962年10月20日:中国とインドの国境地帯で中国軍が全面攻撃を開始。
- 1963年7月5日:中国のトウ小平総書記とソ連のフルシチョフ首相が会談。イデオロギー論争で対立し、20日に会談決裂。
- 1964年10月16日:中国がタクラマカン砂漠で初の原爆実験に成功(世界5番目の核保有国に)。
- 1965年8月13日:文化大革命がはじまる。
- 1968年10月31日:中国共産党中央委員会総会で劉少奇が全ての職務を解任。
- 1972年9月29日:日本と中国との間の国交正常化共同声明(日中共同声明)の調印式が北京で行われ、田中角栄首相と周恩来首相が署名。日本側は戦争で中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感して深く反省し、復交3原則を尊重、中国側は賠償を放棄。大平正芳外相は日台条約は存続の意義を失い終了と表明(中華民国に断交を通告)、日中戦争状態が終結し国交が正常化する。
- 1972年10月11日:西ドイツと中国が国交樹立。
- 1974年10月26日:「中華人民共和国・北ベトナム経済・軍事援助協定」締結。
- 1976年7月28日:華北地方の唐山で大地震。死者24万人以上。
- 1976年10月6日:江青ら「4人組」を逮捕。1966年以来の文化大革命が終了。
- 1977年7月22日:中国共産党が江青ら4人組の党除名・永久追放を発表。トウ小平が復職。
- 1977年8月12日:文化大革命終結宣言。
- 1977年8月23日:中国共産党大会で、国防・工業・農業・科学技術の「4つの近代化」を目指す新党規約を発表。
- 1978年〜:ケ小平時代。
- 1978年12月15日:アメリカと中国の両国が国交正常化を同時発表。
- 1978年12月18日:中共第11期3中総会で文化大革命の見直しを決定。
- 1979年8月11日:『人民日報』が「ひとりっ子政策」推進の論文を掲載。
- 1980年9月7日:華国鋒首相が辞任を表明。後任に趙紫陽副首相。
- 1980年12月22日:人民日報が「毛首席は文化大革命で過ち」と初めて名指しで批判。
- 1981年6月29日:中国共産党が文化大革命を全面否定する「歴史決議」を採択。
- 1981年6月29日:中共第11期6中総会で国家主席に胡耀邦・総書記を選出。
- 1982年10月7日:中国が初めて潜水艦からのミサイル発射実験に成功。
- 1982年12月4日:全国人民代表者会議で、国家主席復活などの新憲法採択。
- 1984年12月19日:サッチャー・イギリス首相と趙紫陽・中国首相が、1997年の香港返還協定に調印。
- 1985年9月30日:北京大学で、靖国神社公式参拝に反対する学生デモ。
- 1986年10月30日:北京に中国初の株式会社が誕生。
- 1986年12月5日:中国・安徽省で学生デモ。上海・北京・天津に波及。
- 1987年1月6日:学生民主化運動が始まる。
- 1987年1月16日:学生デモなどの政治的責任をとって、胡耀邦が中国共産党総書記を辞任。趙紫陽が総書記代行に。
- 1989年:六四天安門事件。
- 1989年6月23日:中国共産党が、中央委総会で趙紫陽・総書記を解任。後任に江沢民政治局員。
- 1989年6月26日:上海郊外で急行旅客列車が爆破される。20人死亡。
- 1990年1月11日:中国政府が天安門事件以来8か月ぶりに北京中心部の戒厳令を解除。
- 1990年10月20日:中国外務省が国連平和協力法案に強い懸念を表明。
- 1991年12月15日:中国初の原発・泰山原子力発電所が稼動。
- 1991年12月29日:核拡散防止条約の参加を決定。
- 1992年8月24日:韓国と国交樹立の共同声明。
- 1996年7月29日:中国が通算45回目の地下核実験を行い「今後は停止」と発表。
- 1998年1月10日:河北省北部でM6.2の地震。死者50人、被災者54万人。
- 1998年6月27日:クリントン米大統領が北京を訪問。
- 1999年7月22日:中国政府が「法輪功」を非合法化。以降、弾圧が始まる。
- 1999年12月20日:ポルトガル統治下のマカオの行政権が中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになる。
- 2002年7月21日:中国製のダイエット薬を飲んだ日本人女性が死亡。
- 2004年8月7日:北京のサッカーアジアカップで日本が優勝。中国人ファンが反日騒動。
- 2004年9月19日:江沢民が中央軍事委員会主席を退き、胡錦涛が中国共産党、政府、軍の全権を掌握。
- 2004年10月19日:長征3号Aロケットで静止気象衛星「風雲2号C」を打上げ。
- 2005年:反国家分裂法成立。
中華人民共和国の文化
- ロシア、カナダについで世界で3番目に大きな国。ギネスブックによれば最もたくさんの国と国境を接している国でもある。世界最大の人口を持つ国で、米の生産量も世界1位。
- 「中華」は、世界の中心にある、もっとも華やかな文明社会という意味であり、元々は黄河文明発祥の地とされる現在の河南省のあたりを指した言葉であった。因みに中華の華はもともと世界の中心の夏(古代の王朝)という意味の中夏だった。
- 中国の民族の分類は、政府が実施する「民族識別工作」によって決定されるため、各少数民族が自分たちが別の民族だと思っていても同じ民族にされたり違う民族にされたりする事がしばしば起こりうる。また、「未識別民族」も存在している。
- 北京の方言(北京語)を基礎として若干の改訂を加えた普通話を標準語としている。同じ中国語であっても、広東語や福建語などの方言が多数あり、広東語や福建語などは非常にかけ離れているので、建国以来、北京人と広東人ではほとんど会話が通じない状況があった。その為北京周辺で話される言葉を北京語、広東で話される言葉を広東語などとしている。しかし、建国以来の教育および放送等の普及により、殊に若年層には普通話を話せない者は少くなった。尚、香港では北京語と共に広東語および英語も公用語となっている。また澳門ではポルトガル語も使われる。チベット、ウィグルなどの各少数民族はそれぞれの固有の言語も使用しているが公用語は北京語。政府は少数民族の言語を尊重する姿勢を示しながら、中学校以上の高等教育は原則として少数民族の言語は使用せず北京語のみで教育を行なうことなどにより、北京語を普及させる政策を取っている。
- 憲法に宗教の信仰の自由を規定されているとはいえ、宗教が中国政府や共産党に規制・抑圧されている傾向は否めない。未成年者への宗教教育は禁止されている。特に文化大革命の時期には宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。チベットでは仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりしたといわれる。中国共産党は「三自愛国委員会」を通じて全国の宗教団体を統制し、これらの宗教団体の「長」の任命は党の認可が必要。チベット仏教、キリスト教やその「地下教会」、新興気功集団「法輪功」などの弾圧事件はよく報道されている。
- 10月1日は国慶節で祝日。1949年、中華人民共和国が成立したことにちなむ。
- 上海協力機構加盟国。
- 国際連合安全保障理事会常任理事国の1つ。
- アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月02日