アフガニスタン
アフガニスタンの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/ce_asia/afg.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- アフガニスタン・イスラム共和国【Afghanistan】。アフガニスタンは通称。公式の英語表記は、Islamic Republic of Afghanistan。
- 首都
- カブール【Kabul】
- 国旗

- 人種
- パシュトゥーン人(40%)、タジク人(30%)、ハザラ人(10%)、ウズベク人(8%)、トルクメン人など。
- 言語
- ダリー語及びパシュトゥーン語(公用語)
- 宗教
- イスラム教(主にスンニ派のハナフイ学派であるが、ハザラ人はシーア派)。スンニ派84%、シーア派15%といわれている。
- 通貨
- アフガニー:Afghani(AFN)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- AFG/AF/4
- 人口/面積
- 28,513,677人/647,500平方キロメートル(日本の約1.7倍)
- 国歌/国花/国鳥
- (アフガニスタンの国歌)/赤チューリップ/-
- 漢字による表記
- 阿富汗/阿富汗斯坦
- 時間帯
- UTC +4:30(DST: なし)
- ccTLD
- .AF
- 国際電話番号
- 93
アフガニスタンのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/ce_asia/afg.html#other
アフガニスタンの地形
7か国に囲まれた内陸国で、山が多い。西にイラン南および東にパキスタン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンで、国の東端は中国に接する。南部は砂漠、北部や南西部には平野があるが、東部、中部、北部はヒンズークシュ山脈に連なる山岳地帯。最も標高の高いのは海抜7,485mの「Nowshak山」。国内を流れる川はいずれも砂漠の中に消える内陸川であり、東流するカブール川のみがインダス川に合流し、海につながる。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。主要都市は、首都のカーブルのほか、西部のヘラート、東部のジャラーラーバード、北部のマザーリシャリーフ、南部のカンダハールなど。
アフガニスタンの気候
気候は大陸性高原気候で、年間を通じて雨は少いが冬季にわずかな降雨がある。寒暑の差は非常に大きく、夏は40℃を超え、冬は-15℃を下回ることもある。また、地震が頻繁に発生する。6〜9月の間は風が強く、「風の120日」と呼ばれるほど。
アフガニスタンの経済
農業と牧畜への依存度が高い。小麦、綿花、さとうきび、果物などが主な産物。
主要貿易品目
不明
主要貿易相手国
不明
アフガニスタンの歴史
- 紀元前6世紀:アケメネス朝ペルシャ帝国に編入され、ゾロアスター教が伝えられる。
- 紀元前4世紀:アレクサンドロス大王による征服。
- 紀元前3世紀中頃:バクトリア王国に支配され、次いでクシャーナ朝がこの地に栄える。
- 1747年:パシュトゥーン人によるドゥッラーニー王朝が成立。
- 1826年:ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。
- 1838年:第一次アフガン戦争。
- 1880年:第二次アフガン戦争に破れ、イギリスの保護国に。
- 1988年4月14日:アフガニスタン、パキスタン、アメリカ、ソ連が「アフガニスタン和平協定」に調印。
- 1988年5月15日:ソ連軍がアフガニスタンからの撤退を開始。
- 1919年5月27日:アフガニスタンが独立。
- 1919年8月19日:アマーヌッラー・ハーン国王が対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し、独立を達成。
- 1937年7月8日:トルコ・イラク・イラン・アフガニスタンが「相互不可侵条約」(サーダバード条約)を締結。
- 1946年11月19日:国連加盟。
- 1973年7月:ムハンマド・ダーウードによる無血クーデターで国王が追放される。共和制を宣言して大統領に就任。
- 1978年4月:軍事クーデター発生(四月革命)。大統領一族が処刑される。人民民主党政権成立。革命評議会発足。
- 1979年12月27日:ソ連軍によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・カールマル(元)副議長が実権を握る(カルマル政権)。社会主義政権樹立。
- 1987年:ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。
- 1989年2月2日:ジュネーブ合意に基づきソ連軍がアフガニスタンから撤退開始。
- 1989年2月15日:ソ連軍のアフガニスタンからの撤退が完了。
- 1989年2月:国土は荒廃し、食糧事情が悪化。反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発。
- 1992年4月:ムジャーヒディーンが攻勢、ナジブラ政権崩壊。ムジャーヒディーン政権が成立するが、各派間の主導権争いにより内戦状態が継続(その後ほぼ無政府状態)。
- 1994年:内戦が全土に広がる。この年イスラムへの回帰を訴えるターリバーンが急成長。
- 1996年1月3日:首都カブールで、イスラム神学生武装組織「タリバン」がロケット砲を撃ち込み、24人が死亡して56人が負傷。
- 1996年9月:ターリバーンが全土をほぼ掌握し首都カブールを制圧、実効支配。旧ムジャーヒディーン勢力が反ターリバーンで一致し、北部同盟となる。
- 1998年8月20日:アメリカが、アフガニスタンとスーダンのテロ関連施設をミサイル攻撃。
- 2001年3月12日:バーミヤンの巨大石仏が、アフガニスタンを実効支配するタリバンにより破壊されたことが確認される。
- 2001年9月11日:アルカーイダがアメリカ同時多発テロを起こす。10月7日にアメリカは報復でアフガンを侵攻。11月、カブール陥落。年末にターリバーン政権崩壊。12月、アフガニスタン主要4勢力、暫定政権発足とその後の和平プロセスで合意。国際連合安全保障理事会決議のもとづき国際治安支援部隊(ISAF)創設、カブールの治安維持にあたる。カルザイ暫定政権発足。
- 2001年12月22日:タリバン政権崩潰によりアフガニスタン暫定行政機構が発足。
- 2002年:ハーミド・カルザイを暫定大統領に選出。6月、緊急ロヤ・ジェルガが開催され、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立。
- 2004年1月:新憲法制定。
- 2004年10月9日:初の大統領選挙。カルザイが当選、正式政権発足(12月7日に大統領就任式典)。選挙を前にターリバーンが再結成し、南部で武装蜂起。
- 2006年:駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲。5月、タリバンの攻勢強まる。7月、ISAF南部展開。10月、ISAF東部展開、計13000人がアフガニスタンに駐留。
- 2007年5月12日:アフガニスタン旧政権タリバンの軍事作戦最高司令官が、ヘルマンド州での戦闘で死亡。
アフガニスタンの文化
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