ミャンマー
ミャンマーの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-19T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/es_asia/mmr.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ミャンマー連邦【Myanmar】。公式の英語表記は、Union of Myanmar。
- 首都
- ネーピードー【Nay Pyi Taw】(2006年10月10日遷都、正式には発表していない、旧首都ヤンゴン【Yangon】)
- 国旗
- 人種
- ビルマ族(約70%)、カチン族、シャン族、カレン族などその他多くの少数民族
- 言語
- ミャンマー語(公用語)、カチン語、シャン語
- 宗教
- 仏教(90%)、キリスト教、回教等
- 通貨
- チャット:Kyat(MMK)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MMR/MM/104
- 人口/面積
- 42,720,196人/678,500平方キロメートル(日本の約1.8倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 我、ミャンマーを愛さん/サラノキ/ハイイロコクジャク(キジ科)
- 漢字による表記
- 緬甸
- 時間帯
- UTC (+6:30)(DST: なし)
- ccTLD
- .MM(かつては.BU)
- 国際電話番号
- 95
ミャンマーのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-19T00:00:00+09:00
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ミャンマーの地形
東南アジアのインドシナ半島に位置し、中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと国境を接する。海側はマルタバン湾・ベンガル湾・インド洋に接する。国土の中央をエーヤワディー川が縦断しており、河口付近は広大なデルタ地帯を形成している。東部のサルウィン川流域は狭い平野。西部のアラカン山脈はインドとの国境を、東部のシャン高原はタイとの国境を形成している。北部は山岳地帯。
ミャンマーの気候
南部海岸地域は熱帯モンスーン気候で、南西モンスーンの吹く5〜9月は特に雨量が多い。内陸部はサバナ気候で、乾季が長くなり気温も低い。
ミャンマーの経済
労働人口の半数以上が農林漁業に従事。米、野菜、綿花などが栽培される。南部のエーヤワディー川下流域に広がるデルタ地帯は世界的な穀倉地帯として知られ、食糧輸出も可能。牧畜は少なく、タンパク源として漁業が盛ん。チーク材は輸出品としても重要。地下資源では、鉄、スズ、鉛のほか、宝石類が豊富で、石油と天然ガスも産出される。工業は独立後に社会主義政権下で推進されたが成功せず、繊維や食品加工などの軽工業のみ。天然資源開発は急速な早さで環境を破壊し、天然資源採掘地域においては強制労働・強制移住などの人権侵害が行われているため、欧米諸国はミャンマー製品の輸入禁止や、新規海外直接投資禁止などの経済制裁を行っている。
主要貿易品目
輸出は天然ガス、チーク、豆類、米、エビ。輸入は機械類、金属・工業製品、原油、電気機械、紙類。
主要貿易相手国
輸出はタイ、中国、インド、アメリカ、シンガポール、日本。輸入はシンガポール、中国、マレーシア、タイ、日本。
ミャンマーの歴史
- 7世紀:北部でピュー人が驃国を建国。
- 9世紀:驃国は南詔に滅ぼされ、南詔支配下にあったチベット・ビルマ語系のビルマ人がミャンマーに侵入してパガン王朝を樹立。
- 13世紀:パガン王朝はモンゴルの侵攻を受けて滅びる。
- 18世紀:アラウンパヤー王が出てビルマを統一。(コンバウン王朝)。
- 1824年:ビルマがインドを支配するイギリスに対してベンガル地方の割譲を要求、イギリス側が拒否したため武力に訴えたが敗北(第一次英緬戦争)。
- 1852年:イギリスの挑発で引き起こされた第二次英緬戦争で、ビルマは国土の半分を失う。
- 1861年:新首都マンダレーを建設して遷都。
- 1885年11月25日:イギリス・ビルマ戦争(第三次英緬戦争)により、ビルマ最後の王朝・アラウンパヤー朝が滅亡。
- 1886年:イギリス領インドに併合されてその1州となる。
- 1930年:タヤワディ地方で農民が武装蜂起、下ミャンマー全域に広がったが1931年半ばに鎮圧される。
- 1937年:インドから独立してイギリス連邦内の自治領になる。
- 1940年12月14日:日本海軍航空隊がビルマを爆撃。
- 1942年1月14日:日本軍がビルマ攻略を開始。
- 1942年:アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐(ビルマ戦役の始まり)。
- 1943年:日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国される。
- 1943年12月25日:ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道が日本軍の建設により開通。
- 1945年1月16日:ビルマ方面軍がイラワジ作戦を発動(20日にイギリス・インド軍がラムレ島に上陸)。
- 1945年3月:アウンサンが指揮するビルマ国民軍は、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返る。
- 1947年7月:アウンサンが暗殺される。
- 1947年12月17日:ビルマが、北京の中共政権を承認。共産圏以外では初。
- 1948年1月4日:イギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立。初代首相にはAFPFL(パサパラ)を率いるウー・ヌが就任。
- 1948年4月19日:国連加盟。
- 1949年:国共内戦に敗れた中国国民党軍の残余部隊がシャン州に侵入し、雲南省反共救国軍としてゲリラ闘争を行う。
- 1962年:ネ・ウィン将軍による軍事クーデター。ビルマ社会主義計画党(BSPP、マサラ)の最高指導者として1988年まで軍事独裁体制を維持。
- 1988年6月21日:首都ヤンゴンで学生数千人と警官隊が衝突。
- 1988年7月:ネ・ウィン退陣と民主化を求める大衆運動が高揚し、同将軍はBSPP議長を退く。
- 1989年9月18日:軍部がクーデターにより政権を掌握。
- 1990年5月:総選挙でNLDと民族政党が圧勝したが、軍政は選挙結果に基づく議会招集を拒否し、民主化勢力の弾圧を強化。
- 1991年10月14日:ミャンマーのアウン・サン・スー・チーにノーベル平和賞。
- 1995年7月10日:ミャンマーの軍事政権が、1989年以来続いていたアウン・サン・スー・チーの自宅軟禁解除を発表。
- 2005年11月:政府機関がヤンゴンから中部ピンマナ近郊に建設中の行政首都への移転を開始。
- 2006年10月10日:正式に行政首都ネーピードー(「王の住む土地」という意味)への遷都を公表。
ミャンマーの文化
- 1948年から1974年まではビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国、1988年から1989年まではビルマ連邦。1989年6月18日に軍事政権は、国名の英語表記を、Union of BurmaからUnion of Myanmarに改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。ビルマ語では「ミャンマー」も英語のBurma(バーマ)の由来となった「バマー」も同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用している。正式名称としては、独立以来ずっと文語的な「ミャンマー」の方を使用してきており、1989年の英語表記変更によって内外の呼称が統一化されたことになる。
- 東南アジア諸国連合加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月19日