ネパール
ネパールの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ネパール王国【Nepal】。公式の英語表記は、Kingdom of Nepal。
- 首都
- カトマンズ【Kathmandu】
- 国旗
- 人種
- リンブー、ライ、タマン、ネワール、グルン、マガル、タカリー等
- 言語
- ネパール語(公用語)
- 宗教
- ヒンドゥー教(国教)
- 通貨
- ネパール・ルピー:Nepalese Rupee(NPR)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- NPL/NP/524
- 人口/面積
- 27,070,666人/140,800平方キロメートル(北海道の約1.8倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 栄光は勇敢なるあなたに/シャクナゲ/ニジキジ(キジ科)
- 漢字による表記
- 尼泊爾/涅巴爾
- 時間帯
- UTC (+5:45)(DST: なし)
- ccTLD
- .NP
- 国際電話番号
- 977
ネパールのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
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ネパールの地形
南アジア、ヒマラヤ山脈の南側のふもとに位置する内陸国。インドと中国に国境を接する。東のブータンとはインドのシッキム州によって隔てられている。国土の83%は山岳か丘陵地で、標高5000m以上の北部山岳地帯、600〜5000mのカトマンズ盆地を中心とする中部、300m以下でインドのヒンドスタン平原に続く南部に大別される。北部にはエベレスト、カンチェンジュンガをはじめとする6000m以上の高峰が240ある。
ネパールの気候
気温は標高によって大きく変化し、山岳部は高山気候、平地は温帯気候で、南部の低地には高温多雨気候も見られる。南西モンスーンの影響が強く、5〜9月は雨が多い。11〜1月はほとんど雨が降らず乾燥する。
ネパールの経済
労働人口の80%は農民。主に南部の低地で自給用に米、麦、野菜、商品作物では米、ジュートが栽培されている。農地が狭く大地主による小作農制であるため生産性は低い。山地では山羊の放牧も行われている。工業は国内向けの軽工業と食品加工程度。家庭用のエネルギーを薪に依存しているため、森林破壊が深刻。ヒマラヤへの登山客や、仏教、ヒンズー教、ラマ教寺院への巡礼者が多く、観光収入は貴重な外貨収入源。
主要貿易品目
輸出は既製服、カーペット、銀器、宝石類、パシュミナ。輸入は石油製品、糸、化学肥料、輸送用機械等。
主要貿易相手国
輸出はインド、アメリカ、ドイツ。輸入はインド、シンガポール、スイス。
ネパールの歴史
- 紀元前6世紀:インドと交流があり、仏教はネパールから広がる。
- 紀元前3世紀:インドのアショーカ王がブッダ生誕の地である南ネパールに巡礼を行う。
- 4世紀:リッチャヴィ王国が成立。チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄。
- 10世紀以降:マッラ王朝が統治。
- 1450年頃:三王朝に分裂。
- 1768年:プリトゥビ・ナラヤンがグルカ勢力を率いて、ネパールを統一し、現王朝(シャー朝)を作る。
- 1814年:グルカ戦争勃発。イギリスと3度にわたる戦争の結果3回目に敗北。かなりの領土をイギリスに奪われ、現在のヒマラヤ山麓の国境ラインに落ち着いた。敗戦の結果ネパールはイギリスの保護国となり、グルカ兵部隊をイギリスに提供することが義務づけられた。これは現在まで続き、インド独立後は英印両国に毎年グルカ兵を提供。国内の反発も強い。
- 1846年:ラナ一族出身の宰相による支配。
- 1951年:立憲君主制を宣言。
- 1955年12月14日:国連加盟。
- 1990年:国民主権をうたった新憲法制定。
- 1996年頃以降:ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制を打破すべく、「人民戦争」と称した反政府活動を活発化。
- 2001年:ネパール王族殺害事件。ギャネンドラが王位につく。政変により議会停止。以後、国王派・議会派・マオイストによる混乱状態。実質的には武力のない議会派に力はなく、国軍を掌握する国王派とマオイストによる内戦が続き、政府支配地域とマオイスト支配地域に分かれている。アメリカは国軍を支援。農村部へ自衛用に武器を供給するなどしているが、武装した農民がマオイストに合流するなど混乱に拍車をかける結果ともなっている。
- 2004年8月:イラクで労働者12人が武装勢力に殺害される。政府が海外労働者の保護を怠ったとして、市民が暴動を起こす。
- 2005年2月:再度の議会・内閣停止。絶対君主制を導入、非常事態宣言(実質上の戒厳令)。4月末日で解除。
- 2006年4月24日:高まり続く民主化闘争に、国王が「直接統治断念。国民への権力移譲。議会を復活」と発表し、政党側に首相推薦を要請。27日、コイララ新政権が発足。
- 2006年5月18日:国会が国歌変更と政教分離を満場一致で決定。
- 2006年11月21日:政府とマオイスト、無期限停戦と和平を誓う「包括和平協定」に調印。
- 2007年1月23日:国連安保理、国連ネパール支援団(UNMIN)を設立する安保理決議第1740号を全会一致で採択。
- 2007年:日本政府は2月下旬から3月下旬に、PKO(平和維持活動)に陸上自衛隊員8人を派遣する方針で、調査団をネパールへ送る。
- 2007年2月:ネパール南東部ではマドヘシの抗議が続いており、少くとも21人が死亡。
- 2007年2月20日:日本政府は停戦監視に当たる国連ネパール支援団に、非武装の自衛官6人を派遣すると正式発表。
ネパールの文化
- 30以上の民族からなり、各民族はインド系、チベット系、中央アジア系の3つの系統に分かれる。
- 公用語はネパール語で人口の90%がネパール語を話すことができる。他に12の言語があり、30の主要な方言がある。英語も広く使用されており、教育機関は英語を教授言語とするものも多い。
- ネパール国旗は三角形を2つ組み合わせたユニークな形をしており、これはヒマラヤ山脈の険しい山の形状を表しているとされる。中に描かれている月と太陽は、王家と宰相一家を表し、月と太陽を結び付けることで天体同様国が長く栄えることを意味するとされる。青色の縁取りは平和を表し、月と太陽のバックになっている真紅はナショナルカラー。
- グルカ族からなる「グルカ兵」は傭兵として主にイギリスに派遣され、国の貴重な外貨獲得源とされている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月10日