イラン
イランの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-14T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- イラン・イスラム共和国【Iran, Islamic Republic of】。公式の英語表記は、Islamic Republic of Iran。
- 首都
- テヘラン【Tehran】
- 国旗
- 人種
- ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人、クルド人、アラブ人等)
- 言語
- ペルシャ語(公用語)、トルコ語、クルド語、アゼルバイジャン語等
- 宗教
- イスラム教(主にシーア派:89%、スンニ派10%)、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教。シーア派イスラームが国教。
- 通貨
- イラン・リアル:Iranian Rial(IRR)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- IRN/IR/364
- 人口/面積
- 69,018,924人/1,648,000平方キロメートル(日本の約4.4倍)
- 国歌/国花/国鳥
- イラン・イスラム共和国国歌/バラ/-
- 漢字による表記
- 伊蘭/以蘭/伊朗
- 時間帯
- UTC +3:30(DST: +4:30)
- ccTLD
- .IR
- 国際電話番号
- 98
イランのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-14T00:00:00+09:00
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イランの地形
イランは西アジア・中東に位置する。北にアゼルバイジャン、アルメニア、トルクメニスタン、東にパキスタン、アフガニスタン、西にトルコ、イラクと境を接する。また、北部はカスピ海、南部はペルシア湾とオマーン湾に面し、ペルシア湾をはさんでクウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦に面する。中央部に盆地状のイラン高原が広がり、これを縁取るようにエルブルズ、ザーグロス両山脈がのびる。国土の55%は標高300m以上の高原。南側には平野が形成される。イランの東半は塩分を含むキャビール砂漠のような無人に近い砂漠地帯が広がり、塩湖が点在する。最高峰はダマーヴァンド山(標高5,604m)。
イランの気候
イラン北端部(カスピ海沿岸平野)では気温は0度前後まで下がるが年間を通じて湿潤な気候。夏も29度を上回ることは稀で年間降水量は同平野東部で680mm、西部で1700mm以上となる。イラン西部の高地では、冬には1日の平均気温が氷点下まで冷え込み、豪雪の厳しい季節となる。イラン東部の中央盆地は乾燥しており、年間降水量は200mmを越えない。砂漠が広がり、夏の平均気温は38度を上回る。ペルシア湾、オマーン海沿岸のイラン南部では、冬は穏やかで、夏には温度・湿度ともに非常に高くなる。年間降水量は135mmから355mmの間。
イランの経済
イランの経済は中央統制の国有石油公社や国有大企業と、農村部の農業および小規模な商業、ヴェンチャーによるサーヴィス業などの私有企業からなる混合経済。OPEC第2位の石油生産国で、確認されている世界石油埋蔵量の10%を占める。天然ガス埋蔵量もロシアに続き世界第2位。また、国土の10%が可耕地で就業者の25%が農業に従事。穀物、野菜、果物、綿花が栽培される。中央高原では羊の遊牧が行われ、羊毛を用いてのペルシア絨毯は貴重な輸出品。カスピ海では高級珍味のキャビアが採れるが乱獲で激減。
主要貿易品目
輸出は原油。輸入は機械、食料、鉄鋼、車両。
主要貿易相手国
輸出は日本、中国、イタリア、韓国、フランス、南アフリカ。輸入はドイツ、スイス、アラブ首連、フランス、イタリア、韓国、中国、ロシア、日本。
イランの歴史
- 紀元前3000年頃:原エラム時代。
- 紀元前550年:キュロス大王がペルシアを征服。
- 紀元前3世紀:ササン朝ペルシャ。
- 9〜11世紀:イスラームの黄金時代と呼ばれる時代であり、イランはその中心地。
- 1220年:モンゴル到来によるイランの荒廃、ティムールの征服。
- 1501年:サファヴィー朝の成立とシーア派の国教への採用。
- 1905〜1911年:イラン立憲革命。
- 1909年7月16日:イラン国民軍が首都テヘランを占領。国王はロシアへ亡命。
- 1919年8月9日:「イギリス・イラン条約」調印。イランの保護国化が確立。
- 1925年:パフラヴィ(パーレビ)朝が成立。
- 1937年7月8日:トルコ・イラク・イラン・アフガニスタンが「相互不可侵条約」(サーダバード条約)を締結。
- 1945年10月24日:国連加盟。
- 1947年12月23日:「米・イラン軍事協定」成立。
- 1953年8月19日:軍事クーデター。モサデグ政権を倒潰。
- 1965年9月8日:パーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案。
- 1978年12月26日:イランで最大規模の反体制デモが起こり内戦状態に突入(28日石油生産が全面停止に)。
- 1978年12月28日:首都テヘランで反政府デモにより市街戦。
- 1979年1月16日:パーレビ国王ムハマド・レザーが、ホメイニ師の率いる革命派に敗れエジプトへ亡命。イラン王政が崩潰。
- 1979年4月1日:ホメイニ師の指導のもとイラン・イスラム革命。イスラム共和国の成立。
- 1980〜1990年:イラン・イラク紛争。
- 1987年7月20日:国連安保理がイラン・イラク戦争の即時停戦を決議。
- 1988年7月3日:アメリカ軍イージス艦、戦闘爆撃機F14と誤認し、イランのエアバスを撃墜。死者298人。
- 1988年7月18日:イラン政府が、イラン・イラク戦争の即時停戦を求めた国連安保理決議を受諾。
- 1988年8月22日:イラン・イラク戦争の停戦協定が発効。
- 1980年9月22日:イラク空軍のミグ戦闘機がテヘランなどの空港を爆撃し侵攻を開始。イラン・イラク戦争が本格化。
- 1981年8月30日:テヘランで首相府が爆発。ラジャイ首相らが死亡。
- 1989年:ハメネイ大統領が最高指導者に選出。
- 1990年6月21日:イランで大地震。死者5万人。
- 2005年アフマディネジャード政権が発足。
イランの文化
- イランは、美術や音楽、建築、詩、哲学、思想、伝承などの長い歴史があり、イラン文明が数千年の歴史の波乱を乗り越えて今日まで連綿として続いてきたことは、まさしくイラン文化の賜物であった、と多くのイラン人が考えている。「ファルハング」、すなわち文化は常にイランの文明の中心であり、今日のイラン人もまた自らを、古代からの洗練された文化の継承者であり、保護者であると考えている。社会的には公正の追求こそイラン文化の重要な特質であり、また年輩者に対する敬意、来訪者への歓待や外国人のもてなしは、イランにおける礼儀において枢要の部分を占める。
- この土地は元来「ペルシャ」と呼ばれてきたが、第1次大戦後の1935年、名称を「イラン」に変更。18世紀末に成立したカージャール朝は第1次大戦の頃には列強諸国に分割されて弱体化していた。そこで、国全体をもう一度立て直すために名前を変更したとされる。語源はイラン高原のある「アリアナ地方」。その住民は自身のことを「アーリア人」と呼び、「アーリア」の語源はサンスクリットで「高貴な」との意味。これが「イラン」へと変化したと考えられている。
- 国旗には「神は偉大なり」との言葉が22回繰り返し描かれている。
- 上海協力機構オブザーバ加盟国。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月14日 最終更新:2007年03月14日