南アフリカ
南アフリカの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/s_africa/zaf.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- 南アフリカ共和国【South Africa】。公式の英語表記は、Republic of South Africa。
- 首都
- プレトリア(行政府)【Pretoria】、ケープタウン(立法府)【Cape Town】、ブルームフォンテイン(司法府)【Bloemfontein】
- 国旗

- 人種
- バンツー系諸族(コーサ族、ズールー族、ソト族)68%、ヨーロッパ系(アフリカーナ、イギリス系)18%、カラード(混血)11%、インド系3%
- 言語
- 英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、コサ語、スワティ語、ンデベレ語、南部ソト語、北部ソト語、ツォンガ語、ツワナ語、ヴェンダ語)の合計11が公用語
- 宗教
- キリスト教(人口の約80%)、ヒンズー教、イスラム教
- 通貨
- ランド:Rand(ZAR)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- ZAF/ZA/710
- 人口/面積
- 42,718,530人/1,219,912平方キロメートル(日本の約3.2倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 神よ、アフリカに祝福を+南アフリカの叫び/キングプロテア/ハゴロモヅル(ツル科)
- 漢字による表記
- 南非/南阿弗利加
- 時間帯
- UTC +2(DST: なし)
- ccTLD
- .ZA
- 国際電話番号
- 27
南アフリカのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-18T00:00:00+09:00
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南アフリカの地形
アフリカ大陸最南端に位置し、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、スワジランドと国境を接し、レソトを囲んでいる。国土の大部分は標高1200mを超える高原台地。東部と南部の海岸は台地から急崖となって海へ落ち込んでいる。西部には小さな海岸平野がある。北西部にはカラハリ砂漠が広がり、南東部には標高3000mを越えるドラゲンスバーグ山脈が走っている。主要河川はオレンジ川、リンポポ川。
南アフリカの気候
西部は温帯の乾燥気候、南部は地中海性気候、東部は西岸海洋性気候、内陸部はサバナ気候。一年を通じて気候は比較的温暖で日照時間が長いが、海岸部以外は高地なため同緯度の国に比べやや気温は低い。夏期は10月から3月、冬期は5月から8月。
南アフリカの経済
鉱物資源の宝庫でアフリカ最大の経済力を誇る。農業は白人経営の大農園と黒人の自給的農業に二分される。小麦、トウモロコシ、柑橘類、その他果物、食肉、羊毛、皮革類が生産され、自給を達成するとともに輸出をしている。地下資源は石油以外はほとんど産出するといわれるほどで、特にダイヤモンド、金、プラチナ、ウラン、石炭、クロム、銅、石綿、マンガン、鉄鉱石を大量に産出する。特に金は世界の産出量の半分を占める。工業も製鉄、化学、繊維、機械、食品加工などが盛ん。アパルトヘイトに対する経済制裁で大きな打撃を受けた。
主要貿易品目
輸出は金、希金属、鉱物製品、化学製品、食品、繊維製品、ダイヤ。輸入は機械、自動車類、化学製品、科学機器、繊維製品、プラスティック、ゴム。
主要貿易相手国
輸出は日本、イギリス、アメリカ、ドイツ、オランダ。輸入はドイツ、中国、アメリカ、日本、イギリス。
南アフリカの歴史
- 300〜900年代:赤道に近い方に住んでいたバンツー系諸民族が南に移動し、現在の南アフリカに住むようになる。
- 15世紀:バーソロミュー・ディアスが南アフリカ南端、喜望峰に到達。
- 1652年:オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックが到来。喜望峰を中継基地とし、ケープ植民地設立。
- 18世紀終り頃:金やダイヤモンドの鉱脈を狙いイギリス人がやってくる。
- 1795年:イギリスがケープタウンを占領。
- 19世紀:オランダからイギリスへ正式に譲渡され、イギリス人の移民が大量に行われる。
- 1906年:南アフリカ在住の弁護士ガンディーが、南アトランスバール政府の「新アジア人登録法案」に抗議して非暴力・不服従闘争(サティヤーグラハ)を提唱。
- 1909年9月20日:イギリス議会が南アフリカの連邦制度案を承認。
- 1910年5月31日:4州からなる南アフリカ連邦(Union of South Africa)として統合独立、大英帝国内の主権国家としてアフリカーナーの自治を確立。
- 1911年:鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で一般化する、白人労働者保護のための最初の人種差別法、鉱山・労働法制定される。
- 1945年11月7日:国連加盟。
- 1948年:国民党はアパルトヘイト政策(人種隔離政策)を本格的に進めていくようになる。
- 1961年5月31日:イギリスの人種差別に対する非難を受け英連邦から脱退して国名を「南アフリカ共和国」に変え、共和国となる。
- 1980年代:反体制運動は激しくなり、国際的に経済制裁を受け、南アフリカ各地で反アパルトヘイト運動が高まる。
- 1985年10月20日:英連邦49か国が南アフリカへの経済制裁に合意。
- 1988年7月30日:南アフリカ政府がアメリカ映画『遠い夜明け』の上映を禁止。
- 1990年代:アパルトヘイト関連法の廃止、人種差別の法律の全廃を決定する。
- 1991年7月9日:IOCが南アフリカ共和国のオリンピック大会復帰を承認。
- 1994年4月:全人種参加の総選挙が実施されANCが勝利。ネルソン・マンデラ議長が大統領に就任。
- 1995年11月:全人種参加の地方選挙を実施。
- 1996年:新憲法を採択。国民党は政権から離脱。
- 1997年2月:新憲法発効。
- 1999年6月:総選挙実施(民主化後2回目)。ムベキ大統領就任。
- 2004年4月:総選挙実施(民主化後3回目)。ムベキ大統領再任。
南アフリカの文化
- 民主化後の経済発展が注目され、従来のBRICs(ブラジル【Brazil】、ロシア【Russia】、インド【India】、中国【China】、sは複数形)に加え、BRICSとしてSが南アフリカを表す用法も定着しつつある。また、BRICsからロシアを除いて南アフリカを加えたIBSAC【India Brazil South Africa China】という用語がG7でイギリスによって提唱されたこともある。
- 現在の国歌は、元々は2つの曲だった『神よ、アフリカに祝福を【Nkosi Sikelel iAfrica】』と『南アフリカの叫び【Die Stem van Suid Afrika】』のそれぞれ一部をつなげたもの。
- 公用語はアフリカーンス語、英語、バントゥー諸語(ズールー語、コサ語、ぺディー語、ソト語、スワジ語、ヌデベレ語、ツォンガ語、ツワナ語、ヴェンダ語)の11言語。国内で最も多くの人に話されている言葉は東部で話されているズールー語だが国内人口比22%程度。アフリカーンス語はオランダ植民地時代にオランダ語と現地の言葉が融合した言語で西部の広い地域で話されている。大多数の部族によって話されている言語というものがなく、各部族によって言語が異なっているため、イギリスの植民地時代に普及した英語が共通語的役割を果たし国会でも英語が使われている。
- イギリス連邦加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月18日