トルクメニスタン
トルクメニスタンの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-09T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_asia/tkm.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- トルクメニスタン【Turkmenistan】。
- 首都
- アシガバート【Ashgabat】
- 国旗

- 人種
- トルクメン人(85%)、ロシア人(4%)、ウズベク人(5%)、その他(2005年:CIS統計委員会)
- 言語
- 公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。ロシア語も広く流通。
- 宗教
- イスラム教(スンニー派が主流)、東方正教会9%
- 通貨
- トルクメン・マナト:Turkmen Manat(TMM)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- TKM/TM/795
- 人口/面積
- 4,863,169人/488,100平方キロメートル(日本の1.3倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 独立、中立、トルクメニスタンの国歌/-/-
- 漢字による表記
- 土庫曼斯坦/土耳古斯坦
- 時間帯
- UTC +2(DST: なし)
- ccTLD
- .TM
- 国際電話番号
- 993
トルクメニスタンのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-09T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_asia/tkm.html#other
トルクメニスタンの地形
中央アジア南西部に位置し、西はカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。イラン国境のコペトダグ山脈とその北西部のバルハン山脈を除けばほとんどが低地と台地で、国土の7割以上はカラクム砂漠が占めるものの、豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。アラル海に注ぐアムダリヤ川を除き、南部の山地から流れ出る川はいずれも砂漠の中に消えてしまう。
トルクメニスタンの気候
亜熱帯性砂漠気候。夏は40〜50度、冬は0度ほどにもなる。日中と夜間の寒暖の差が激しい。昼と夜で20度を超える温度差になることもある。雨はほとんど降らないが、南部の山岳地帯はステップ気候で冬から春にかけて若干の降雨がある。
トルクメニスタンの経済
主な産業は、天然ガス、石油、綿花栽培、繊維工業。特に天然ガスは狭い国土にもかかわらず世界第4位の埋蔵量の資源国。資源輸出により潤沢な資金流入があり、このため独裁国家には珍しく国民は非常に裕福。また、独裁者の政策方針により日用品の物価が低く抑えられており、非富裕層の庶民はもちろん、旅行者にも滞在しやすい国。トルクメニスタンは他の中央アジア諸国と比較した場合、鉱物資源に乏しいと言える。金属鉱物資源は採掘されていない。また、石炭もほとんど採掘されていない。メルヴやニサといったシルクロードの遺跡が有名だが、全体として観光業はあまり発展していない。
主要貿易品目
輸出は天然ガス、綿花、石油製品(以上で85%を占める)、繊維製品、エネルギー製品。輸入は食料品、機械設備、化学製品。
主要貿易相手国
輸出はウクライナ、イラン、トルコ、イタリア。輸入はアメリカ、ロシア、アラブ首連、ウクライナ。
2004年:CIA THE WORLD FACTBOOK
トルクメニスタンの歴史
- 人類最古の農耕集落遺跡の1つアナウ遺跡(アシガバード郊外)。
- 紀元前2世紀頃のパルティア王国の発祥地ニサ遺跡。
- サーサーン朝ペルシア。
- 6世紀:遊牧のトルコ系民族。
- 7世紀〜:ウマイヤ朝・アッバース朝。
- 9世紀:サーマーン朝。
- セルジューク朝、ガズナ朝、ホラズム王国。
- 13世紀:モンゴル帝国侵攻。イル・ハン国。ティムール朝。
- 15世紀頃:トルクメン人の民族形成。
- 16世紀〜:ヒヴァ・ハン国、ブハラ・ハン国、サファヴィー朝など絶えず侵略される。
- 1869年:ロシア軍、カスピ海東岸に上陸、クラスノヴォーツク(現トルクメニスタン領)の基礎をおく。
- 1881年:ギョクデペの戦いの末、帝政ロシア軍がアシガバートを占領し基地を築く(ニコライ1世時代)。
- 1882年:帝政ロシアにより、カフカス総督管区内のザ・カスピ州とされる。
- 1880年〜:ザ・カスピ鉄道開通。ロシア向け綿花栽培の拡大。
- 1910年頃〜:ロシア綿工業の原綿の供給地の役割を果たす。
- 1916〜18年:反ロシア大暴動(バスマチ運動)。
- 1924年:トルクメン・ソビエト社会主義共和国としてソ連構成国の1つとなる。農業集団化に反発した遊牧民の抵抗が36年頃まで続く。
- 1990年8月22日:主権宣言を行い、10月27日には直接選挙による大統領選で単独候補のサパルムラト・ニヤゾフ最高会議議長が98.8%の得票率で当選。
- 1991年10月26日:国民投票でソ連からの独立に94.1%が賛成し、翌10月27日独立。
- 1992年3月2日:国連加盟。
- 1992年5月18日:最高会議が大統領権限を強めた新憲法を採択。
- 1992年5月:ロシア・CIS諸国との集団安全保障条約の署名を拒否。
- 1992年6月:大統領選でニヤゾフ大統領が99.5%の支持で再選。
- 1995年12月:国連総会において「永世中立国」として承認される(ロシアの影響力を排除する目的と言われる)。ニヤゾフ大統領は個人崇拝による独裁体制をしき、2002年8月には終身大統領とされた。国内ではニヤゾフ大統領は「テュルクメンバシュ(トルクメン人の長)」を姓としている。
- 2002年11月25日:アシガバートで大統領の車列が銃撃を受ける。警護員1人が重傷。
- 2006年12月21日:ニヤゾフ大統領が未明に死亡。
- 2007年2月14日:大統領選の結果、89.23%の得票率を獲得したベルディムハメドフ大統領代行が、正式に第2代大統領に就任。
トルクメニスタンの文化
- ニヤゾフ大統領時代は完全な独裁体制が確立し、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」と称された。黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14mで、太陽を追って回転する。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていなかった。これに対し、ベルディムハメドフ現大統領は、インターネット利用の開放などを行う事を約束している。
- 独立国家共同体に客員参加(永世中立国のため)。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月09日