カメルーン
カメルーンの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-16T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_africa/cmr.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- カメルーン共和国【Cameroon】。公式の英語表記は、Republic of Cameroon。
- 首都
- ヤウンデ【Yaounde】
- 国旗

- 人種
- ドゥアラ族、バミレケ族、バムン族、フルベ族他
- 言語
- フランス語、英語(共に公用語)、フルフルデ語、アラビア語、エウォンド語など各部族語
- 宗教
- カトリック、プロテスタント、イスラム教、その他伝統宗教
- 通貨
- CFA(中部アフリカ金融協力体)フラン:Communaute Financiere Africaine Franc(XAF)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- CMR/CM/120
- 人口/面積
- 16,063,678人/475,440平方キロメートル(日本の1.26倍)
- 国歌/国花/国鳥
- (カメルーンの国歌)/-/-
- 漢字による表記
- 夏麦論
- 時間帯
- UTC (+1)(DST: なし)
- ccTLD
- .CM
- 国際電話番号
- 237
カメルーンのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-16T00:00:00+09:00
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カメルーンの地形
アフリカ中部の国で、西から時計回りにナイジェリア、チャド、中央アフリカ、コンゴ共和国、ガボン、赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。ギニア湾最奥の海岸から、チャド湖にまで達する南北に長い国。サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川、ロゴーヌ川と南部のサンガ川。全体に山がちで火山も多い。沿岸部のカメルーン山は標高4070m。
カメルーンの気候
沿岸地域と南部は高温多雨の熱帯雨林気候、中部はサバナ気候、北部は高温乾燥のステップ気候。このような気候区分をアフリカ大陸の縮図ととらえ「ミニアフリカ」と称される。北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量1万680mmに達する。気温の年較差は全国で5〜10℃。首都ヤウンデの年平均気温は23.2℃。年降水量は1560mm。
カメルーンの経済
独立後四半世紀はカカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢になどの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。産業の主体は農業で、労働人口の70%以上が従事。カカオとコーヒーが主要作物で、綿花、タバコ、バナナなども生産。豊富な熱帯雨林を伐採する林業も重要。
主要貿易品目
輸出は原油、ココア、綿花、木材。輸入は消費財、資機材、鉱物・原料等。
主要貿易相手国
輸出はスペイン(16.7%)、イタリア(13.2%)、フランス(9.2%)、イギリス(8.8%)。輸入はフランス(24.5%)、ナイジェリア(11.3%)、中国(5.8%)、アメリカ(5.2%)。
カメルーンの歴史
- カメルーンの先住民はピグミーのバカ族。バンツー語族はカメルーン高地に起源をもつが、侵入者が現れる前に他地域へ移動。
- 1470年12月:ポルトガル人がカメルーンに到達。ただし、拠点を築くことはなかった。
- 1806年:イスラム系王国の支配下におかれる。
- 1884年:ドイツ保護領(ドイツ植民地帝国)。
- 1911年:ドイツが全土を掌握。
- 1922年:西部がイギリスの「西カメルーン」、東部がフランスの「東カメルーン」として委任統治領となる。
- 1946年:信託統治領となる。
- 1957年:東カメルーンには自治が認められた。
- 1960年1月1日:フランス領カメルーンが独立。大統領は北部出身のイスラム教徒アフマドゥ・アヒジョ。
- 1960年5月:アヒジョ初代大統領就任。
- 1960年9月20日:国連加盟。
- 1961年:イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施し、北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となる。
- 1972年5月:連邦制を廃止し、国名をカメルーン連合共和国に変更。
- 1982年11月:アヒジョ大統領辞任。ビヤ首相、大統領就任。
- 1984年1月:ビヤ大統領再選。国名を「カメルーン共和国」に。
- 1990年12月:複数政党制導入。
- 1995年にイギリス連邦に加盟。
カメルーンの文化
- 非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。
- カメルーンの語源は、ポルトガル語の「カマローネス」、意味は「エビ」。ウーリ川の入り江には多数のエビがおり、それに驚いたポルトガル人が「エビの川」との意味で「リオ・ダス・カマローネス」と呼ぶようになったといわれる。
- イギリス連邦加盟国。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月16日