ウクライナ
ウクライナの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-15T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/ukr.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ウクライナ【Ukraine】。
- 首都
- キエフ【Kiev】
- 国旗

- 人種
- ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、モルドバ人、クリミア・タタール等(2001年国勢調査)
- 言語
- ウクライナ語(公用語)、ロシア語も一般に通用。
- 宗教
- ウクライナの民族宗教としては、ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、ロシア正教等。
- 通貨
- グリブナ:Hryvnia(UAH)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- UKR/UA/804
- 人口/面積
- 47,732,079人/603,700平方キロメートル(日本の約1.6倍。欧州ではロシアに次いで広い)
- 国歌/国花/国鳥
- ウクライナ国歌/-/-
- 漢字による表記
- 烏克蘭
- 時間帯
- UTC +2(DST: +3)
- ccTLD
- UA
- 国際電話番号
- 380
ウクライナのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-15T00:00:00+09:00
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ウクライナの地形
黒海の北に位置する東ヨーロッパの国で、東はロシア連邦、西はハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北はベラルーシに隣接し、ウクライナのクリミア半島にはクリミア自治共和国がある。ウクライナの国土のほとんどは肥沃な平原と草原、高原で占められている。中央部はドニエプル川が貫流する大平原で、肥沃な黒土地帯。またドネツ川、ドニエステル川も国土を横切っており、南のブーフ川とともに、黒海、アゾフ海に注ぎ込んでいる。東部はドネツ丘陵、西部はカルパティア山脈へ続く高地があり、南ではクリミア半島が黒海に突きだしている。南西部にあるドナウ川のデルタ地帯はルーマニアとの国境。山岳地帯は、クリミア半島の最南端の沿岸部と西部のウクライナ・カルパト山脈にしかないが、全体的に起伏は多い地形である。最高峰はカルパト山脈にあるホヴェールラ峰(2,061m)。
ウクライナの気候
温暖な大陸性気候で、大西洋の影響を受けて雨量が多く、土壌が肥沃なため植物が豊か。クリミア半島の南岸は地中海性気候により近く温暖で、リゾート地としても名高い。降雨量は局所的に偏り、北部や西部は多く、南部や東部は少ない。冬は黒海沿岸は涼しいが、内陸に行くにつれて寒さが厳しくなる。夏はほとんどの地域で暖く、南に行くほど暑い。
ウクライナの経済
肥沃な黒土地帯でロシアの穀倉地帯とよばれ、ソビエト連邦時代は連邦内の重要な農業および産業地帯であった。小麦、ライ麦、テンサイ、ジャガイモなどを生産し、周辺国へ供給。現在は天然ガスを中心とするエネルギー供給のほとんどをロシアに依存しており、経済の構造改革の遅れと相まって、他国の影響を受けやすいものになっている。地下資源は石炭と鉄鉱石が豊富であり、鉄鋼業をはじめとする重化学工業が発達している。またドニエプル川と黒海を利用した海運も盛ん。
主要貿易品目
輸出は鉄、非鉄金属、機械。輸入は石油、天然ガス、機械、電子機器。
主要貿易相手国
輸出はロシア、ドイツ、イタリア、中国。輸入はロシア、ドイツ、トルクメニスタン、ポーランド。
ウクライナの歴史
- 紀元前10世紀頃より:現在のウクライナ地方にさまざまな遊牧民族が到来。
- 紀元前8世紀頃:黒海北岸に騎馬民族のスキタイ人が到来。
- 紀元前6世紀頃:スキタイ人がキンメル人を追い払い自らの国家を建国、紀元前4世紀にかけて繁栄。
- 紀元前3世紀頃:中央アジアより来たサルマティア人の圧力を受けてスキタイは衰退。
- 2世紀頃:東ゴート族が侵入し、3世紀中頃クリミア半島に存続していたスキタイ人の国家を滅ぼした。
- 4〜5世紀:民族大移動の発端となるフン族がこの地を通り抜けた。
- 6世紀:アヴァール族が侵入し、同じ頃移住してきたと考えられている東スラブ族を支配。
- 7〜8世紀:ユダヤ教の遊牧国家であるハザール汗国の支配下に。
- 9世紀頃:首都をキエフとする最初のスラブ人国家、キエフ・ルーシ(キエフ大公国)が誕生。
- 988年:ウラジミール聖公がキリスト教を受け入れ、ルーシ語での典礼が行われ、ギリシャ・ローマに次ぐ第3のキリスト教圏を確立。
- 10〜11世紀:キエフ・ルーシはヨーロッパにおける大国の1つとなる。
- 1240年:モンゴル帝国の侵略を受け、キエフをはじめとする殆どの都市は壊滅。キエフ大公による支配体制は滅亡し、キエフ公国やウラジーミル大公国など、すべての公国及び共和国はキプチャク汗国に隷属。西部にはハーリチとヴォルィニという公国が存続。
- 14世紀:ウクライナの大部分はリトアニア大公国、一部はポーランドの支配下に。
- 1569年:上記両国が合併し単一のポーランド国をつくり、ウクライナは同国領土に。
- 16世紀頃:ウクライナ南部にキエフ・ルーシの士族を中心とするウクライナ・コサックの国家が成立。
- 17世紀:キエフを再建して本拠地とするなど勢力を拡大。モスクワ大公国の度重なる侵攻にもかかわらず1世紀の間存続した。
- 1783年:クリミア汗国の併合などにより、ウクライナ東部と中央部はロシア帝国に併合。西部はポーランドの支配を経た後、1772年のポーランド分割によってハプスブルク君主国の領土に。
- 1918年:ポーランド・ソビエト戦争が始められ、その主戦場となった。
- 1919年:ウクライナ社会主義ソビエト共和国の成立。
- 1920年:ソビエト・ロシアとの軍事同盟締結。
- 1922年:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国や白ロシア・ソビエト社会主義共和国とともにソビエト連邦を結成。
- 1945年10月24日:国連加盟。
- 1954年:ニキータ・フルシチョフにより、クリミア半島(クリム半島)がロシアからウクライナに移管された。
- 1986年4月26日:チェルノブイリ原発事故が発生。
- 1990年7月16日:共和国主権宣言。
- 1991年8月24日:独立宣言、国名を現在の「ウクライナ」と変更。同年12月1日に独立に関する国民投票(投票参加者の90%以上の圧倒的多数が独立を支持)。ウクライナの独立はソ連邦崩壊の契機となる。
- 2004年11月22日:大統領選挙で、現職首相のヤヌコヴィッチ候補が当選したが、大規模な不正が発覚。大野党による抗議運動が勃発。
- 2004年12月26日:大統領選やり直し選挙で、野党候補のヴィクトル・ユシチェンコ元首相が勝利。
- 2004年:総選挙の混乱からオレンジ革命が起き、新政府が樹立。
- 2005年:ロシア側より天然ガスの料金を倍以上に引き上げる要求があり両国が対立。2006年にかけて欧州各国を巻き込んだ騒動に。
ウクライナの文化
- ウクライナは、以前は「小ロシア」と称され現在でも一部で使用されることがある。「小」という名称は「大ロシア」であるロシアに比べ侮蔑的であるとされ、ウクライナ人には好まれていないが、本来は「小」とは文化の中心であるアテネからの距離が「小さい」ということを表しており、むしろ「大ロシア」の方が「大田舎のロシア」を意味しているとされる。
- 歴史的・文化的には中・東ヨーロッパの国々との関係も深い。19世紀より産業の中心地帯として大きな発展を遂げ、20世紀には幾度の戦火に呑まれながらも周辺地域では最大の農産、軍需産業国となった。
- 東部や南東部の産業地帯は最も人口が集中しており、全人口の70%が都市部に住んでいる。
- 独立国家共同体加盟国。
- 民主主義と経済発展の機構加盟国。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月15日