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バラは、バラ科バラ属の種の総称。ただし、一般にはそれらから品種改良で作られた栽培植物を指す。
一般名 | バラ(薔薇) |
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学名 | Rosa sp. |
科名と属名、園芸分類 | バラ科バラ属の落葉又は常緑の低木(耐寒性)。 |
英語名 | rose |
別名 | - |
花の情報 | 花色は白、桃、赤、黄など。茎頂に単生するか散房花序、または円錐花序につく。花弁の基本数は5個だが、おしべが花弁化して八重になるものも多い。花床は萼筒に包まれ球形または壷状。その中に複数のめしべがあり、おしべは多数。園芸種では大部分が八重咲き。 |
開花時期 | 5〜11月 |
原産地 | 北半球の熱帯〜亜熱帯。ヨーロッパ、西アジア、中国などに自生するバラ属の植物を交配して作り出された園芸品種群。 |
適温 | - |
草丈 | ミニバラは30cm、つるバラだと5m、通常の四季咲きバラで1.5〜2m程度。 |
花径 | ミニバラで2cm、大輪系で15cm程度。 |
バラ属の原種は、ヨーロッパと北アフリカに10種、アメリカ大陸に20種、アジアに95種、一部の重複を除き世界に約120種が自生。その他多くの変種や自然交雑種が認められている。このうちの8種(下記)が現在の栽培バラの主要祖先であり、他の数種が一部の園芸品種のルーツに関係する。今日の栽培バラの多くは、野生種が交配されてできた種間雑種。観賞用および香料原料に使われるが、観賞用に品種改良されたものは香りの少いものが多い。中国南部やミャンマーが原産地(ヒマラヤの麓や渓谷辺りがバラの発祥地として最も可能性が高いとの説が有力)で、そこから中近東、ヨーロッパへ、北アメリカへと伝わったとされる。北半球では暖かいところに広く自生するが、南半球には自生していない。通常は春と秋に咲き、原種に近い種類は春咲きのみ。灌木、低木、または木本性のつる植物で、葉や茎に棘があるものが多い。
西洋では一般的にラテン語のローサ【rosa】が変化した名前で呼ばれており、【rosa】はケルト語の赤【rhod】が語源との説が有力。スペイン語とイタリア語では【rosa】(ローサ)、フランス語、英語では【rose】(ローズ)、ドイツ語では【rose】(ローゼ)。また、ペルシャ語の【wrda】が語源とする説もある。これがギリシア語でプロドン【prhodon】、さらに訛化して【rhodon】(八重咲きのバラを意味する)となってローマに伝わり、ラテン語で【rosa】となったとのこと。
バラの起源は約7,000万年前にまでさかのぼると考えられており、現在見つかっている最も古いバラの化石は約3,500万年前のもの。バラの栽培史では、紀元前500年頃に古代中国(周王朝)の宮殿の庭で栽培されたとの記録が最も古いとされてる。ギリシアでも紀元前後には栽培が始まり、3世紀のローマ帝国時代以降に一般化したとされる。
ギリシア神話では、美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)が海の泡から誕生した際、大地が「同じくらい美しいもの」と言って生み出したのがバラの花という神話も残されている。後にバラはアフロディーテに捧げられる花として、美しさを象徴する花となった。当初バラには香りが無く、アフロディーテの息子エロス(キューピット)のくちづけによってその香りが生まれたとも言われている。また、アフロディーテが軍神アレスと浮気をしているところをエロスに目撃されたとき、アフロディーテは沈黙の神に頼んで息子の口を封じてもらったと言われる。その秘密が守られたお礼にと沈黙の神に贈られたのが赤いバラだったという伝説から、ヨーロッパでは「バラの下で」との慣用句が生まれたと言われている。
古代バビロニア遺跡からはバラが彫られたレリーフなどが発見されており、「ギルガメッシュ叙事詩(2000BC)」ではバラの棘について触れられている。古代ギリシアではホメロスやサッフォーの文学(詩)にバラが登場し、クレタ島に残る壁画(3000-1100BC)は最古のバラの絵といわれている。また、ギリシア神話にもバラはが数多く登場する。中でもアフロディーテに結び付けて「愛と喜びと美と純潔」を象徴する花とし、花嫁が結婚式にバラの花束を持つ風習に繋がった。古代ローマではバラはビーナスを象徴する花とされ、人々の生活に密着したバラの逸話が多く残されている。バラの花で編んだ花冠を宴会の席で頭にのせる風習が生まれ、このことにより酒に酔わないと信じられていた。また、皇帝ネロはバラ三昧の日々を送るほどのバラ好きで、食前食後には多くのバラを満たした風呂に入り、風呂から上がるとバラのオイルを身体に塗ったと言われている。ローマ帝国末期には、バラの花を天上につるした宴会で交わされた話は一切秘密であるとの暗黙の風習が生まれ、現在でも「バラの下で」との慣用句(秘密にとの意味)が使われている。古代エジプトの女王クレオパトラもバラ好きであったようで、バラを浮かべた香水風呂に毎日入り、廊下にはバラの花を敷き詰めるなど、アロマセラピーとして活用していたようだ。特にアントニウスを迎えた際は宮殿全体をバラで飾り、廊下にはバラの花弁を20cmほど敷き詰めたと言われている。
初期のキリスト教では、バラは異教のヴィーナス信仰に結びつく、性的魅力を象徴するイメージがある、ギリシアやローマの贅沢な暮らしのイメージがあるなどとされ、不道徳なものと考えられていた。このためローマでは、修道院で薬草として栽培されるにとどまった。しかし、ローマ帝国の崩壊後は次第に聖母マリアに結び付けられるようになり、白いバラは純潔を、赤いバラは殉教を表すようになった。白いバラはユリと共に聖母マリアを象徴する植物とされ、祈りの際に使う「ロザリオ」の名もこれにちなむとされる。イスラム世界では、白いバラがムハンマド、赤いバラが唯一神アッラーを表すとされて香油などが生産され楽しまれていた。『アラビアンナイト』などやウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』にもバラについての記述がある。
ヨーロッパでは、11世紀からの十字軍遠征(13世紀までの間に7回遠征)、16世紀の大航海時代到来などにより、小アジアやパレスチナなどから数多くの野生種のバラ(ガリカ・ローズ、ダマスク・ローズ、キャベジ・ローズ、アルバ・ローズなど)を持ち帰り東西のバラを交配しての品種改良が盛んに行われた。現在オールド・ローズと呼ばれる品種はこの頃に次々と作り出されていった。また、イギリスで1455年から30年続いたランカスター家とヨーク家の戦争では、ランカスター家が赤いバラを、ヨーク家が白いバラを紋章としていたためにバラ戦争と呼ばれた。その結果、ランカスター派のヘンリー(7世)が王位の座に付き、ヨーク家のエリザベス(1世)を妃として迎え、長年の争いの終結を表して両家の紋章を組み合わせたチューダーローズ【Tutor Rose】を紋章としたチューダー朝が始まることとなった。
18世紀に中国からヨーロッパへ伝わった四季咲き性のバラ(ロサ・シネンシス:中国名、月季花)は西洋バラと交配され、それまで一季咲きしかなかったヨーロッパのバラの世界を一新した。芳香が強く花弁が多い大輪の四季咲き性ばらが生まれた。
バラの栽培技術も発達し、19世紀には新品種が続々と作り出された。これに大きく貢献したのがフランス皇帝ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌ(Josefine:洗礼名はローズ)。ジョセフィーヌは「バラのパトロン」とも呼ばれ、数多くの植物学者や園芸家を集めてバラの研究を援助した。1801年にはパリ郊外のマリメゾン離宮に1,800ヘクタールのバラ園を作り、世界中から集めた当時のバラ2,500種をコレクションしたと言われる。また、このバラ園で働いていたアンドレ・デュポンは、世界で初めて人工交雑によって新しいバラを作出したとされる。人工受粉による育種の技術が確立されたことにより、近縁種間の交雑で花形、色、香り、四季咲き性などバラの遺伝的な性質に革命的な変化が生じ、この時期よりも前のバラを「オールド・ローズ」、それ以後のバラを「モダン・ローズ」と称することとなった。
日本では「常陸風土記」や「万葉集」に「茨(うばら)」「むはら」として記されているのが最も古い記録で、これは「イバラ(棘のあるつる草)」と同じ意味。平安時代では「古今和歌集」の紀貫之の歌や「源氏物語(賢木)」に「墻靡(さうび)」として登場する(現在の「薔薇」との漢字は墻靡の当て字と言われる)。しかし、これらの薔薇は中国との交易で持ち込まれた渡来種だと考えられている。日本にもバラの自生種はあり、品種を発展させる素地は十分にあったにも関らず、江戸時代までの日本人はバラにあまり情熱を傾けることなく(江戸時代にも栽培はなされていたようだが)明治時代を迎える。それまで日本にはツルバラの類しかなく、刺のある低木全般を指して「イバラ」又は「バラ」と呼び、今日知られるようなバラは「花イバラ」と呼ばれていた。その後次第に「バラ」は西洋バラを指すようになったと言われている。特に興味深いのは新渡戸稲造の書「武士道」。そこで新渡戸は薔薇を西洋の花として日本の桜と比較している。明治以降は急速に欧米から近代バラが入り、日本も一躍バラ栽培大国の一つに加わった。
バラは、スズランとジャスミンと共に「三大花香」と言われている。女性のホルモンを調整、強壮する働きがあり、香粧品としても古くから使われてきた歴史がある。インド北部のカシミヤ王国で発見されたといわれるバラの精【Attar of roses】は、香水や死者への塗油【Anoint】として用いられていた。ただ、古代中国でローズオイルを使用できたのは支配層に限られており、フランスでも一般の人達がローズオイルを使えたのは結婚式の時ぐらいだったといわれている。バラの香気成分を分析すると600種類以上あり、成分バランスや量によって甘い香りや優雅な香りなど奥深い芳香が生まれる。バラの香りは主に花弁から拡散されるが、中には葉が香る種もある。ローズオイルの主産国はブルガリアで、輸出先は主にフランス。
ローズオイルはどの時代でも極めて高価で、同じ重さで比較すると金の6倍以上もしたとのこと。現在の技術であってもコップ1杯の精油を採るためには600kg(20〜30万個の花)の花弁が必要とされる。バラには1万以上の品種があるとされるが香料の採れる品種は数種類で、中でもダマスクバラ(Damask Rose:R. damascena)とローズ・ド・メイ(R. centifoliaが有名で、品質も良いとされている。これらのバラは原種に近く花弁の数も少ないため、更に精油は貴重なものとなる。
ダマスクバラからは、主として水蒸気蒸溜によってRose ottoと呼ばれる花精油が採れる。この際に採れる芳香水には豊富に芳香分子が溶け込みローズ水(中東やインドなどでデザートの香りづけに用いられる)として使用される。ローズ・ド・メイからは溶媒抽出によるアブソリュートが採れる。日本で医薬品として使われるローズ油やローズ水は、ローズ・ド・メイによく似たハマナスを水蒸気蒸溜したもの。
19世紀に用いられた植物性の薬にはバラの成分を含んだものが多かったといわれている。病気の治癒に効果があるとされた成分は、特に薬用バラ【Apothecary Rose】として知られていたR. gallicaの花弁に多く含まれていた。バラの花弁を原料として作られた薬は、胃の消化薬として広く用いられた。また、ダマスクバラ(Damask Rose:R. damascena)のシロップは下剤として、花弁を酢に漬けた「バラ酢」は鎮静・頭痛薬として用いられた。更に、バラの実から取り出した果肉を砂糖と混合したものは慢性病に効くとされていた。今日、薬用としての需要は激減したが、実や花はお茶や砂糖漬などにされてビタミンCの供給源にもなっている。これにはR. rugosaやR. caninaが適しているとされる。
他にも、乾燥した花弁はインドのガラムマサラに調合され、ペルシア料理では薬味として用いられる。花弁は「エディブル・フラワー」として生食もできる。
18世紀から19世紀初頭にかけて、中国で育成・栽培されていたR. chinensis(中国名:月季花)とR. giganteaとの交雑種がヨーロッパに伝えられ、ブルボン系との交雑が試みられた。その結果、1830年頃までにノアゼット系、ブルボン系、ハイブリッド・チャイナ系、ポートランド系が生まれた。更に、1840年頃には、ブルボン系とノアゼット系の交雑によりティー【Tea】系が、ブルボン系とハイブリッド・チャイナ系とポートランド系間の交雑によりハイブリッド・パーペチュアル【Hybrid perpetual】系が生まれた。この2つの系統は1840年代から約半世紀の間の栽培バラの主な系統となり、日本にも多くの園芸品種が輸入されたと言われている。
また、ハイブリッド・パーペチュアル系の「マダム・ビクトル・ベルディエ」を母に、ティー系の「マダム・ブラビー」を交配したモダン・ローズの第一号となる「ラ・フランス」がフランスのギョーによって1867年に発表された。さらにイギリスのベネットはこれに追随し、ティー系の「デボニエンシス」とハイブリッド・パーペチュアル系の「ビクトール・ベルディエ」を交配して1882年に「レディ・マリー・フィッツウィリアム」を生み出し、これを新しいバラの系統として「ハイブリッド・ティー(Hybrid tea:HT)」系と命名した。それまでのヨーロッパのバラは晩春から夏にかけて年一回開花するだけであったが、中国種から四季咲きの性質や多様な花色、つる性、耐寒性などの諸性質が導入されてヨーロッパのバラの世界は一新された。
更に、1900年にはフランスのドュシェが「アントワーヌ・ドュシェ」の実生に原種の「ロサ・フェデダ(ペルシアン・イエロー)」をかけあわせ「ソレイユ・ドール」を生み出した。当時のハイブリッド・ティー系には黄色の花がなく、これが黄バラ第1号となった。ただ、「ソレイユ・ドール」には四季咲き性がなかったために一層の改良が加えられ、1907年には四季咲き性の「リヨン・ローズ」、1920年には完全な黄色のバラ「スブニール・ド・クロージュ」が生み出された。ドイツのコルデスは「スブニール・ド・クロージュ」の子の「ジュリアン・ポタン」から1933年に「ゲハイムラート・ドイスゲルヒ(ゴールデン・ラピチュア)」を作出。これは現在の黄色のバラの親となっている。コルデスは赤バラの改良にも力を注ぎ、1935年には後世の赤バラの品種改良に広く利用されることとなる「クリムゾン・グローリー」を作出した。イギリスでは1912年に花容や芳香に優れ実をつけ易い「オフェリア」を発表、多くの品種の親になることとなる。
第二次世界大戦勃発により、バラの品種改良の中心は戦火に見舞われないアメリカ合衆国に移った。1940年にはラマーツが「クリムゾン・グローリー」から「シャーロット・アームストロング」を作り出した。1945年には、フランスのメイアンの「アントワーヌ・メイアン」が「ピース」と名前を変えてアメリカで売り出された。これは大きな花をつけることから「巨大輪」とよばれ、その後の品種改良に利用されるとともに、戦後のバラの流行を作り出すことになった。
一方、デンマークのポールセン兄弟は、1911年にポリアンサ系の「マダム・ノババード・レババースル」とランブラー系の「ドロシー・パーキンス」をかけ合わせて「エレン・ポールセン」を作り出し、1924年にはポリアンサ系の「オルレアンローズ」とハイブリッド・ティー系の「レッドスター」の交配で「エルゼポールセン」と「キルステンポールセン」などを発表した。これらは「ハイブリッド・ポリアンサ系」と命名された。これを更に改良してドイツのコルデスが1940年に「ピノキオ」を発表、アメリカのブーナーは更に改良を加えて「レッド・ピノキオ」、「ラベンダー・ピノキオ」を発表し。これらはフロリバンダ(Floribunda:FL)系と呼ばれるようになる。
バラの分類方法は定まったものがなく、以下はあくまでも一例。
人の手が加わえられていない野生種、もしくはそれに近いもの。
ロサ・アルバ(R. alba)、ロサ・カニナ(R. canina)、ロサ・ガリカ(R. gallica)、ロサ・キナモメナ(R. chnamomea)、ロサ・ケンティフォリア(R. cettifolia)、ロサ・スピノシッシマ(R. spinosissma)、ロサ・ウィクライアナ(R. wichuraiana)、他
ロサ・フェティダ(R. foetida)、ロサ・フェティダ・ビコロール(R. foetida bicolor)、ロサ・フェティダ・ペルシアナ(R. foetida perciana)、ロサ・フェイシコアナ(R. feicikoana)、ロサ・ダマスケナ(R. damascena)、他
コウシンバラ(R. chinensis)、ナニワイバラ(R. liviegata)、ロサ・ギガンティア(R. gigantea)、ロサ・プリムラ(R. primula)、ロサ・ムルガニー(R. mulluganii)、ロサ・セリカナ・プテラカンサ(R. sericana pteracantha)、ロサ・ユゴニス(R. hugonis)、ロサ・バンクシアエ・ルテア(R. banksiae lutea)、他
イザヨイバラ(R. roxburghii)、サンショウバラ(R. roxburgii 'hirthua' )、タカネイバラ(R. aciculaisis nipponensis)、ノイバラ(R. mulitiflora)、テリハノイバラ(R. wichuraina)、ハマナス(R. rugosa)、サクライバラ(R. uchiyamana)、モリイバラ(R. jasminoidesu)、フジイバラ(R. fujisanesis)、他
ロサ・キネモエメア(R. cinemoemea)、ロサ・ニティダ(R. nitida)、ロサ・カリフォルニア(R. california)、ロサ・ヴィルギニアナ(R. virginiana)、ロサ・パルストリス(R. palustris)、他
ロサ・ムルティフローラ(ノイバラ)(R. mulitiflora)、ロサ・ウィクライアナ(R. wichuraiana)、ロサ・キネンシス(R. chinensis)、ロサ・ガリカ(R. gallca)、ロサ・アルバ(R. alba)、ロサ・ダマスケナ(R. damacena)、ロサ・ケンティフォリア(R. centifola)、ロサ・フェティダ(R. foetida)、ロサ・モスカータ(R. mosscata)、ロサ・ギガンティア(R. gigantea)
1867年に人工交雑によって初めて作られた「ラ・フランス」より前の品種を指す総称。繊細で優雅な花形に豊かな香りが特徴、一季咲きの品種が多い。以下は代表的な品種。
「ラ・フランス」以降のハイブリッド・ティー系、フロリバンダ系などを指す総称。現在一般的に見られ、主として四季咲き性、豪華な印象の花形と色彩が特徴。
四季咲きで大輪の花をつける。ブッシュ系統。1867年にフランスでハイブリッドパーペチュアル系とティー系を交配して作出されたモダンローズの第一号とされている。色と香りの種類が豊富で現代バラの代表的存在でもある。通常は1本の茎に1つの花をつけ、剣弁高芯咲きが多い。花期は5〜11月。花径は10cm以上が多く15cm以上となるものも珍しくない。一重咲きは少い。樹形は直立から半直立状で、樹高は1〜1.5m。
四季咲きで中輪の花をつける。ブッシュ系統。1940年代にアメリカで作出された。横方向に伸びる性質が強く、枝分かれした茎に多くの花が房になって咲く。花径は5〜8cmで咲き方、花色は非常に多様。樹高は1m内外。花色が黄色からピンクに変わり、やがて赤色に変化するのもこの品種の特徴。
ハイブリット・ティー系とフロリバンダ系の中間型。ブッシュ系統。
茎はつる状で、数メートルに達する枝を多数だす。花の大きさは様々で、四季咲きのものは比較的少い。一般的に丈夫。単にクライミング系とも呼ばれる。以下の3種類に大別される。
小輪(2cm程度)で樹高も15〜40cm(最大50cm程度)。四季咲きで1つの茎に複数の花を房状に咲かせる。次の4種類に大別される。
半つるバラと呼ばれる系統。多花性で病気にも強いため手間がかからず、大株になるものが多い。
花は比較的小さめ。分枝の様相がスプレイタイプの房咲きで茎の伸びは弱い。
イギリスのデビッド・オースチン【D.Austine】が育成し1969年に発表された、オールドローズとモダンローズの特徴をあわせもつ新たな系統の総称。この系統はモダンローズのモダンシュラブ・ローズに含める場合もある。優雅な花形で豊かな香りを漂わすオールドローズの特徴に、モダンローズの四季咲き性、多彩な花の形や色を導入して作出された新しいタイプのバラ。樹高が2〜5mとなるクライミング系と150cm以下のシュラブ系がある。
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