仏教の世界

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仏陀とは

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2007-06-08T00:00:00+09:00
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仏陀は「ぶっだ」と読み仏様のことを表す。サンスクリットでの「ブッダ」が中国で音写されて「仏陀」と表記されるようになり、日本にそれが伝わり仏陀もしくは単に「仏」(ほとけ)と呼ばれるようになった。「仏陀」というと釈迦如来を指すと思われがちだが、「ブッダ」はサンスクリットで「目覚めた者」との意味を持つ。つまり、仏陀とは悟りを開いた者、つまり仏様全てを指す言葉である。確かに仏教が生まれた当時、悟りを開いたとされるのは釈迦如来だけであったため、仏陀は釈迦如来を指す言葉であった。しかし『法華経』などの経典では仏陀に近いくらい尊いとされる者のことも説かれており、釈迦如来より以前に悟りを開いた仏様がいたものと考えられ始めた。そこで案出されたのが過去仏(かこぶつ)である。過去仏には毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃぶぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)があったとされ、これに現在仏である釈迦如来を加えて過去七仏と呼ぶ。この七仏が説いたとされる『七仏通戒偈』(しちぶつつうかいげ)は簡潔で解り易いとされ、『般若心経』とともに写経の対象とされている。また、この七仏だけではなく、他にも多くの過去仏が案出されている。一方、釈迦如来は自分の入滅後56億7000万年後に人々を救う次の仏陀が現れることを予言したとされる。これが未来仏だが、その弟子として直接教えを受けた弥勒菩薩が未来仏になるとされている。仏教の発展の中で大乗仏教が広がるにつれ、過去や未来に限らず、現在も釈迦如来の他に仏陀が存在すると考えられるようになった。そこで三世三千諸仏との言葉が表すように、過去・現在・未来、あらゆる時代に数多くの仏陀がいるとされた。

三法印とは

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「諸行無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」の3つを指して三法印と呼ぶ。これは仏教の基本原理とされ、釈迦如来の悟りの核心ともされている。

諸行無常
全ての物事は移り変わっていくものであり、永遠に変わらないものなどは何も存在しないということ。
諸法無我
宇宙の万物が刻々と変化しているように、人間も常に変化しており、固定的な我というものなどは存在しないということ。
涅槃寂静
諸行無常と諸法無我を知り、煩悩を吹き消すことで心安らかな境地にいたれるということ。

四法印

三法印に「一切皆苦」を加えたものを四法印と呼ぶ。一切皆苦とは、この世は全て思い通りにはならないもので、全て苦しみと受け止めるべきだということ。全ての苦しみから逃れられないことを認識していれば心を軽やかにできるといわれる。釈迦如来は生(生まれること)・老・病・死を「四苦」としている。また、愛する人と別れる「愛別離苦」、憎しみを抱いている人に会わなければならない「怨憎会苦」、自分の思い通りにならない「求不得苦」、煩悩を生じる「五蘊盛苦」の4つを四苦に加えて、四苦八苦という。

五蘊とは

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五蘊は「ごうん」と読み、色・受・想・行・識の5つの集まりを指す。人間はこの5つの集まりからできている、というのが仏教の存在に関する考え方の1つである。「色蘊」は肉体を含む物質的構成要素を指し、「受蘊」は見る・聞く・触るなどの感受作用を指し、「想蘊」は心に想う表象作用を指し、「行蘊」は能動的な働きである意志作用を指し、「識蘊」は分別や判断などの認識、概念作用を指す。また、仏教には「四大(しだい)」との考え方があり、地・水・火・風の4つの要素が合わさり「身体」をなすとされる。更に四大に「空」を加えたものを「五大」と呼び、五大が万物の構成要素と考えられている。また、「空」の原語はサンスクリット語での「シューニャ」で、数字の「ゼロ」の原語と同じである。ただ、「空」はゼロとは少し違い、「本質的ではない」との意味が強いとされる。ゼロはどちらかといえば「無」の意味に近いのだろう。

四諦とは

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四諦は、釈迦が鹿野園(ろくやおん)において5人の修行者たちにはじめて教えを説いた際(初転法輪:しょてんぽうりん))の内容といわれている。「諦」はサンスクリットの「サティア」であり、真理や真実を意味する(現代では諦めや断念の意味に使われることが多い)。つまり、4つの浄らかな真理というのが四諦の意味となる。

苦諦(くたい)
一切皆苦。人生は苦であるとの真理
集諦(じつたい)
苦集諦。苦悩の原因は人間の欲望や愛着の心にあるとの真理。集めたもの、財宝などへの愛着が苦悩の原因となる。
滅諦(めつたい)
苦滅諦。苦悩の原因である煩悩が完全になくなった状態。仏教の目指す理想境は涅槃にあるとの真理。
道諦(どうたい)
理想境である涅槃に到達するための実践方法を説いたもの。具体的には八正道(はっしょうどう)を指す(八聖道、八支聖道とも)。八正道は仏教での修行の基本となる次の八つの実践徳目。

仏の三身とは

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仏の三身とは「ほとけのさんじん」と読み、大乗仏教における仏の3つのあり方を指す(三身説)。

法身(ほっしん)
形相を超えた真理そのものを指す。宇宙を構成する森羅万象。諸行無常。永遠不滅の法(真理)そのもの。
報身(ほうじん)
修行を積み、功徳を備えた仏陀。仏性のもつ属性、はたらき。あるいは修行して成仏する姿。諸法無我。法身仏の真理の活動面を仏とみたもの。
応身(おうじん)
我々の願いに応じて現れる。仏陀の姿。涅槃静寂。

仏国土とは

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仏陀が作った苦しみのない世界を仏国土と呼び、仏国土は仏陀の数だけあるとされる。西方にあるとされる阿弥陀如来の「西方極楽浄土」、東方にあるとされる阿閦如来の「東方妙喜国」、薬師如来の「東方浄瑠璃世界」などがそうである。

輪廻とは

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仏教では現世は「苦界」と考えられ、死んだ後は生前の行いによって、次の6つの世界のいずれかに生まれ変わるとされる。この考えを輪廻(りんね)という。

天道(てんどう)
神々の世界だが、輪廻を抜け出してはいない世界。
人道(にんどう)
我々が生きるこの世。
修羅道(しゅらどう)
戦いに明け暮れる世界。
畜生道(ちくしょうどう)
動物たちの世界。
餓鬼道(がきどう)
飢えと渇きに支配された世界。
地獄道(じごくどう)
8つの地獄が待つ苦しみの世界。

この6つの世界を六道(ろくどう)と呼ぶ。六道で転生を重ね、修行とも言える生を繰り返しながら少しずつ善行を重ねていくことで、やがて輪廻から抜け出して涅槃(ねはん)の境地に倒れるとされる。また、輪廻から抜け出すことを解脱(げだつ)という。

三界とは

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三界とは「さんがい」と読み、欲界・色界・無色界の三つの総称で三有とも言われる。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたものとされる。

欲界
淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人界を含み、無間地獄までの世界をいう。
色界
欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(これを「色」という)にとらわれた有情が住む処。色界は禅定の段階によって、4つに分けられる。
無色界
欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、禅定に住している世界。

二十五有とは

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二十五有とは「にじゅうごう」と読み、三界六道を25種に分類したもの。

無色界那含天天道
無想天
四天悲想非非想天(ひそうひひそうてん)
無所有処天(むしょうしょうてん)
識無辺処天(しきむへんじょてん)
空無辺処天(くうむへんじょてん)
色界大梵天
四禅四禅天浄居天色究竟天(しきくきょうてん)
善見天(ぜんけんてん)
善現天(ぜんげんてん)
無熱天(むねつてん)
無煩天(むぼんてん)
無想天(むそうてん)
広果天(こうかてん)
福生天(ふくしょうてん)
無雲天(むうんてん)
三禅天光音天(こうおんてん)
無量光天(むりょうこうてん)
少光天(しょうこうてん)
二禅天遍浄天(へんじょうてん)
無量浄天(むりょうじょうてん)
少浄天(しょうじょうてん)
初禅天大梵天(だいぼんてん)
梵輔天(ぼんぼてん)
梵衆天(ぼんしゅてん)
欲界六欲天他化自在天(たけじざいてん)
化楽天(けらくてん)・楽変化天(らくへんげてん)
兜率天(とそつてん)
夜摩天(やまてん)
三十三天・忉利天(とうりてん)
四天王・四大王衆天(しだいおうしゅてん)
四州人道北鬱単越(うつたんのつ)四天下
南閻浮提(えんぶだい)
西瞿耶尼(くだに)
東弗婆提(ほつばだい)
四趣修羅道四悪道
畜生道水行三悪道
陸行
空行
餓鬼道
地獄道等活地獄(とうかつ)
黒縄地獄(こくじょう)
衆合地獄(しゅごう)
叫喚地獄(きょうかん)
大叫喚地獄(だいきょうかん)
焦熱地獄(しょうねつ)
大焦熱地獄(だいしょうねつ)
無間地獄(むけん)/阿鼻地獄(あび)

六欲天

他化自在天(たけじざいてん)
他人を楽しませる事を楽しむ。欲界の頂上で第六天とも呼ばれる。
楽変化天(らくへんげてん)
自分で楽しみを作り出す。
兜率天(とそつてん)
宇宙の法則を楽しむ。この世界の須弥山(しゅみせん)の上空にあるとされる世界で、釈迦如来は前世においてそこで修行をしていたとされる。兜率天での一日は、我々の住む世界の400年に相当するとされる。
夜摩天(やまてん)
自然を楽しむ。耶摩天ともされる。
忉利天(とうりてん)
秩序を維持する事を楽しむ。諦釋天を中心としてその東西南北に各八天が在るため、三十三天とも呼ばれる。
四大王衆天(しだいおうしゅてん)
敵と戦って世界を守る事を楽しむ。四天王・下天ともされる。持国天・広目天・増長天・多聞天の四天王がいるため名づけられたとされる。

人道

欝単越(うつたんのつ)
人が住む場所とされ、位置は北。広さ一万由旬で正方形のような地形。寿命は定めて千歳、身長は七肘。
弗婆堤(ほつばだい)
人が住む場所とされ、位置は東。広さ九千由旬で満月のような地形。寿命は長くて三百歳、身長は三肘半。
瞿陀尼(くだに)
人が住む場所とされ、位置は西。広さ八千由旬で半月のような地形で東が狭く西が広い。寿命は長くて二百歳、身長は三肘半。
閻浮堤(えんぶだい)
人が住む場所とされ、位置は南。広さ七千由旬で北が広く南が狭い逆三角形のような地形。寿命は長くて百歳、身長は三肘半。

六波羅蜜とは

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大乗仏教では、悟りを求めて修行をする者すべてを菩薩と呼ぶ。この際、涅槃に到達するための修行方法は六波羅蜜(ろくはらみつ)と呼ばれる。

布施波羅蜜(ふせはらみつ)
貪欲の心を抑えて人に安心を与えること。お布施には、財物を施す「財施(ざいせ)」、不安を取り除く「無畏施(むいせ)」、法を説く「法施(ほうせ)」がある。
持戒波羅蜜(じかいはらみつ)
戒律を固く守ること。たとえば、在家の「五戒」(不殺生戒、不偸盗戒、不妄語戒、不邪淫戒、不飲酒戒)を生き方の基準にして自らに課すなど。
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)
瞋恚の心(怒り)を退治し、迫害や侮辱に耐えること。
精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)
懈怠の心を退治し、心身を精励すること。一所懸命に努力することを持続すること。
禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)
心の動揺を退治し、真理を思惟すること。心を静かに落ち着け、自己を見つめること。
智慧波羅蜜(ちえはらみつ)
一切の諸法に通達し、真理を悟ること。

これらが六波羅蜜であり、涅槃への道とされる。最初の5つは「智慧」の実践と考えられ、これらの実践を通して知識が「智慧」に高まるといえる。しかし「智慧」の裏付けがないと実践はその場限りのものとなり、良い習慣、更には良い人格に結びつくことがないとされる。

十二縁起とは

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十二縁起は「十二支縁起」「十二因縁」とも呼ばれ、「無明」から始まり「老死」に至る経緯を十二の支分として表したもの。

無明むみょう「無明」の「明」は智慧のことであり、即ち無明は無知である。無知は、「仏教の教えを知らないこと」と解釈される。更に仏教では、我々の根本は無知であり、全ての欲望や煩悩の原動力が無知から来ると説く。
ぎょう無明によって生じるのが「行」である。五蘊の1つ「行蘊」との形でも説かれ、「意志作用」とされる。意志とは、行を為そうとする心の働きで、行為の原動力である。何を為すかではなく、何かを為そうとする状態、潜在的形成力と呼ばれる。
しき行によって「識」が生ずる。「識→名→六処→触」は、我々の認識の形を示している。「識」自体は、心作用、認識作用とされる。
名色みょうしき識によって「名色」が生じる。名色とは、精神と肉体、名称と形態、認識対象とされる。
六処ろくしょ6つの感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身、意。六入(ろくにゅう)とも。
そく心が対象と接触すること。これにより「識」からなる認識のパターンが終了する。
じゅ好き嫌いであるとか、美しい汚いであるなどの感受作用。
あいここでの「愛」は「渇愛」であり、愛欲や妄執など根本的な欲望を表す。
しゅ根原的欲望が具体的な対象を得て執着となる。
生存。迷いの存在として生存するとの意味。
十一しょう生まれていること、生きること。ただ生まれる、生まれているのではなく、「有」として、つまり迷いの存在や輪廻の存在として生まれるということ。
十二老死ろうし老いゆくこと、死ぬこと。愁・悲・苦・憂・悩を加える場合もある。これらを踏まえた「苦しみ」を「老死」と称する。

十二縁起は、我々が苦しみにいたる過程について述べたもので、釈迦が悟ったのがこの「縁起の理法」とされる。これらを順に並べ、無明に縁りて行あり(無明があるから行があり)、行に縁りて識あり、と続け、生に縁りて老死あると説く。これは「順観」と呼ばれ、十二縁起を無明を原因として老死という結果に至る過程とみることを指す。またこの場合の縁起を「流転(るてん)の縁起」と称する。逆に、老死は結果であり、その根本原因である無明を滅すれば老死も滅する。無明が滅尽すれば、行は滅尽する。行が滅尽すれば…生が滅尽すれば老死が滅尽する。このように、十二縁起を苦を滅する過程として見ることを逆観と呼び、「還滅(げんめつ)の縁起」と称する。「順観」からみれば「無明」から展開していく苦の人生の姿があり、「逆観」からみれば「無明」もなく「老死」もない悟りの世界がある。

十三仏信仰とは

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十三仏信仰は、室町時代から禅宗や密教で重んじられたもので、福徳や抜苦の功徳がある仏で構成されている。これらの仏は審理において実際の裁判所における弁護士の役目を勤めることとなるとされる。

元は中国の十王信仰の考え方とされる。唐代に成立した考え方で、人が亡くなると七日ごとに十王による審理が行われるとされる。初七日の秦広王の審理に始まり、五七日(三十五日目)には閻魔王が六道のどこに生まれ変わるかを決定。六七日(四十二日)では変成王が六道の中での条件を決め、七七日(四十九日)には泰山王が更に細かい条件を決定する。ここまでの四十九日間は、中陰もしくは中有と呼ばれ、死者の魂は不安定な状態でさまよっているとされる。四十九日が過ぎると満中陰と呼ばれ、一般的にはこの時期に納骨などを行うこととなる。その後、百か日、一周忌、三回忌などには救済処置ともいえる追加の審理がなされることとなる。ここで生前の罪が減らされ、地獄道や餓鬼道などから救い出されることもあるとされる。仏事の法要がこれらの日に併せて行われるのも、審理の度に十王に慈悲を乞い、罪を軽減してもらいたいとの意味をもっている。

忌日本地となる仏諸王
初七日(七日目)不動明王秦広王(しんこうおう)
二七日(十四日目)釈迦如来初江王(しょこうおう)
三七日(二十一日目)文殊菩薩宋帝王(そうていおう)
四七日(二十八日目)普賢菩薩五官王(ごかんおう)
五七日(三十五日目)地蔵菩薩閻魔王(えんまおう)
六七日(四十二日目)弥勒菩薩変成王(へんじょうおう)
七七日(四十九日目)薬師如来泰山王(たいざんおう)
百か日(百日目)観世音菩薩平等王(びょうどうおう)
一周忌(一年目)勢至菩薩都市王(としおう)
三回忌(三年目)阿弥陀如来五道転輪王(ごどうてんりんおう)
七回忌(七年目)阿閦如来蓮華王(れんげおう)
十三回忌(十三年目)大日如来祇園王(ぎおんおう)
三十三回忌(三十三年目)虚空蔵菩薩法界王(ほっかいおう)

守り本尊とは

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2007-06-08T00:00:00+09:00
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それぞれの人の生まれ年によって守護仏が定められていると考えるのが守り本尊である。これは仏教と易学を合わせた考え方で、釈迦如来を中央に置き、十二支の方位ごとに仏達を振り分けたことから、八体の仏が守り本尊にあたるかたちとなっている。

生まれ年守り本尊法力(功徳)
子年千手観音慈悲
丑年・寅年虚空蔵菩薩智慧と徳
卯年文殊菩薩智慧
辰年・巳年普賢菩薩
午年勢至菩薩慈悲
未年・申年大日如来強い智慧
酉年不動明王強い智慧
戌年・亥年阿弥陀如来強い慈悲

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年08月26日 最終更新:2007年08月26日