平安時代
平安時代
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- 794(延暦13)年:平安京に遷都。
- 795(延暦14)年:雑徭を三十日に半減。東国の防人の廃止。
- 797(延暦16)年:菅野真道らが『続日本記』を編纂。
- 797(延暦16)年:坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命。
- 800年:フランク王国のカール大帝が西ローマ帝国皇帝となる。
- 801(延暦20)年:坂上田村麻呂が蝦夷を討つ。
- 803(延暦22)年:遣唐使藤原葛野麻呂、最澄、空海らを派遣。
- 805(延暦24)年:最澄が帰国し比叡山で天台宗を開く。
- 805(延暦24)年:藤原諸嗣が天下の徳政について意見申し出(都造りの中止)。
- 806(大同1)年:平城天皇即位。
- 806(大同1)年:空海が帰国し真言宗を伝える。
- 807(大同2)年:謀反の疑いをうけ平城天皇の弟伊予親王が母とともに自害。
- 809(大同4)年:嵯峨天皇即位。
- 810(弘仁1)年:初めて蔵人所を置き藤原冬嗣を頭とする。
- 810(弘仁1)年:上皇妃薬子とその兄仲成が上皇の重祚を謀り失敗、薬子は自害仲成は誅殺される(薬子の変)。
- 816(弘仁7)年:空海が高野山金剛峰寺を建てる。
- 823(弘仁14)年:淳和天皇即位。
- 823(弘仁14)年:東寺を空海に授け、比叡山の寺には延暦寺の名を与えられる。
- 828(天長5)年:空海が綜芸種智院を作る。
- 833(天長10)年:仁明天皇即位。『令義解』ができる。
- 842(承和9)年:伴健岑、橘逸勢らが謀反の疑いで捕らえられる(承和の変)。
- 843年:フランク王国が3分する(ヴェルダン条約)。
- 846年:唐の詩人白楽天没。
- 850(仁寿1)年:文徳天皇即位。
- 857(天安1)年:藤原良房が皇族以外で初めて太政大臣となる。
- 858(天安2)年:清和天皇即位。藤原良房が皇族以外で初めて摂政となる。
- 862年:ロシア建国。
- 866(貞観8)年:応天門炎上。この事件で伴善男が罰せられる(応天門の変)。
- 873(貞観15)年:皇子・皇女に源の姓を与える(清和源氏)。
- 875年:黄巣の乱が起こり唐が衰え始める。
- 876(元慶1)年:陽成天皇即位。
- 878年:デーン人がイングランドへの侵入を開始。
- 884(元慶8)年:光孝天皇即位。藤原基経が皇族以外で初めて事実上の関白となる。
- 887(仁和3)年:宇多天皇即位。藤原基経が正式に関白となる。
- 888(仁和4)年:阿衡の紛議がおきるも基経を改めて関白とする。
- 894(寛平6)年:菅原道真の建議により遣唐使が廃止。
- 897(寛平9)年:醍醐天皇即位。宇多天皇が譲位にあたり新帝に遺戒を与える。
- 899(昌泰2)年:藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣となる。宇多上皇は剃髪し法王となる。
- 901(延喜1)年:菅原道真が大宰権師に左遷される。
- 905(延喜5)年:紀貫之らが『古今和歌集』の編纂を始める。
- 907年:唐が滅びる。
- 911年:フランスにノルマンディ公国が興る。
- 914(延喜14)年:三善清行が地方政治の弛緩ぶりを論じた「意見封事十二か条」を上申。
- 921(延喜21)年:空海が弘法大使の号を与えられる。
- 923(延長1)年:菅原道真の本官を復し正二位がおくられる。
- 926年:契丹が渤海を滅ぼす。
- 930(承平1)年:朱雀天皇即位。
- 935(承平5)年:平将門の乱。
- 936年:高麗が朝鮮半島を統一。
- 939(天慶2)年:平将門が新皇を自称。藤原純友の乱。
- 940(天慶3)年:平将門、藤原秀郷や平貞盛らに敗北。『将門記』ができる。
- 941(天慶4)年:藤原純友が小野好古らに敗北。
- 946(天暦1)年:村上天皇即位。
- 960年:宋が興る。
- 962年:オットー大帝により神聖ローマ帝国の成立。
- 967(安和1)年:冷泉天皇即位。
- 969(安和2)年:円融天皇即位。左大臣源高明が大宰権師に左遷(安和の変)。摂関政治の時代に。
- 973(天延1)年:藤原兼通の娘を円融天皇の皇后となる。
- 984(寛和1)年:花山天皇即位。
- 986(寛和2)年:花山天皇が出家し、一条天皇即位。天皇の外祖父藤原兼家が摂政となる。
- 987年:フランスにカペー王朝が興る。
- 989年:ロシアがギリシャ正教に改宗。
- 990(正暦1)年:疫病が流行し、藤原兼家ら没。藤原道隆の娘定子が中宮になる。
- 995(長徳1)年:藤原道長が内覧の宣旨を受ける。
- 999(長保1)年:藤原道長の娘彰子が一条天皇の女御になる。
- 1000(長保2)年:藤原定子が皇后、彰子が中宮になり、二后並立。定子没。
- 1001(長保3)年:清少納言の『枕草子』が完成。
- 1010年:ベトナムに李朝の大越国ができる。
- 1011年:三条天皇即位。紫式部の『源氏物語』が完成。
- 1016年:デーン王カヌートがイングランドを支配。
- 1016(長和5)年:後一条天皇即位。藤原道長が摂政となる。
- 1016(長和5)年:京都で大火が起き、道長の土御門邸も焼ける。
- 1017(寛仁1)年:藤原道長が太政大臣に、子の頼通が摂政になる。
- 1018(寛仁2)年:道長の土御門邸ができあがり、源頼光が家具・調度一切を贈る。
- 1018(寛仁2)年:道長の女中宮妍子が皇太后に、女御の威子が中宮になる。
- 1019(寛仁3)年:道長は出家し、法成寺の建立開始。
- 1022(治安2)年:法成寺の金堂(無量寿院)が完成。
- 1028(長元1)年:平忠常が下総で反乱(平忠常の乱)。
- 1037年:セルジュクトルコが建国される。
- 1036(長暦1)年:後朱雀天皇即位。
- 1038年:西夏(中国西北部)が建国される。
- 1045(寛徳2)年:後冷泉天皇即位。
- 1045(寛徳2)年:花園整理令が出され、新立荘園が停止される。
- 1051(永承6)年:安倍頼時が陸奥で反乱を起こし、源頼義が討伐に向かう(前九年の役)。
- 1053(天喜1)年:藤原頼通による宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)の完成。
- 1054年:ギリシャ正教会とローマ教会が分裂。
- 1062(康平5)年:源頼義が清原武則の援助で安倍貞任・宗任を破り前九年の役が終る。
- 1063(康平6)年:源頼義が鎌倉に八幡宮を立てる。
- 1066年:ノルマンディ公ウィリアム(征服王)がイングランドに侵入、統一。
- 1068(治暦1)年:後三条天皇即位。
- 1069年:宋で王安石が政治改革を始める(王安石の新法)。
- 1069(延久1)年:記録荘園券契所を設け、新設の荘園の整理をする。
- 1072(延久4)年:白河天皇即位。延久宣旨桝を定める。
- 1077年:神聖ローマ皇帝がローマ法王と争い屈服(カノッサの屈辱)。
- 1083(永保3)年:陸奥で清原家衡と藤原清衡の争いが起こり、源義家が清衡を助け戦う(後三年の役の始まり)。
- 1084年:司馬光が『資治通鑑』を作る。
- 1086(応徳3)年:堀河天皇即位。白河上皇が院庁で政務をみる(院政の始まり)。
- 1091(寛治5)年:源義家が兵を率いて入京することや諸国の百姓が義家に田畑を寄進することの禁止。
- 1095(嘉保2)年:新しく北面の武士がおかれる。
- 1096年:第一回十字軍の出発(〜1099年)。
- 1096(永長1)年:白河上皇出家。
- 1097(承徳1)年:平正盛が伊賀国の私領を六条院に寄進する。
- 1098(承徳2)年:源義家が院昇殿を許され、源氏の勢いが高まる。
- 1099年:十字軍がエルサレムを陥落、エルサレム王国を建国。
- 1107(嘉承2)年:鳥羽天皇即位。
- 1108(天仁1)年:延暦寺僧徒の強訴を源平両氏が防ぐ。
- 1113(永久1)年:興福寺と延暦寺の僧徒が争い強訴するが、平忠盛らが防ぐ。
- 1115年:女真族が金(中国北部)を建国(〜1234年)。
- 1123(保安4)年:崇徳天皇即位。
- 1123(保安4)年:延暦寺僧徒が入京を企てるが、平忠盛、源為義らが退ける。
- 1126(大治1)年:藤原清衡が中尊寺金色堂・三重塔を建立。
- 1129(大治4)年:平忠盛が山陽・南海の海賊を従える。鳥羽上皇の院政が始まる。
- 1132(長承1)年:平忠盛が鳥羽法皇のために得長寿院千躰観音像(三十三間堂)を建てる。忠盛は内昇殿を許され、平氏の勢いが源氏を上回る。
- 1141(永治1)年:崇徳天皇が鳥羽法皇の意により近衛天皇(当時三歳)に位を譲る(近衛天皇即位)。
- 1143年:ポルトガル王国ができる。
- 1147年:第二回十字軍の出発(〜1149年)。
- 1147(久安3)年:平清盛の従者が祇園社神人と争う。延暦寺僧徒が平忠盛・清盛親子の流罪を要求。
- 1155(久寿2)年:後白河天皇即位。
- 1156(保元1)年:保元の乱。後白河天皇方(平清盛・源義朝ら)が勝ち、崇徳上皇方が敗れる。上皇は讃岐に流される。
- 1158(保元3)年:二条天皇即位。
- 1159(平治1)年:源義朝・藤原信頼が挙兵し平治の乱が起きるが、平清盛に敗れる。
- 1160(永暦1)年:源義朝は尾張で殺害され、子の頼朝は伊豆に流される。
- 1163年:ノートルダム寺院の建国開始。
- 1164(長寛2)年:平清盛とその一族が法華経を書写し、厳島神社に納める(平家納経)。
- 1165(永万1)年:六条天皇即位。
- 1167(仁安2)年:平清盛が太政大臣になる。
- 1168(仁安3)年:高倉天皇即位。平清盛出家。
- 1171(承安1)年:平清盛の女徳子が後白河法皇の猶子として入内し、高倉天皇の女御になる。
- 1177(安元3)年:平清盛が平氏打倒の陰謀を知り、藤原成親・成経・師光ら後白河院の近臣を捕らえ処罰(鹿ケ谷事件)。
- 1179(治承3)年:平清盛が平氏に反する公卿を宮中から追放、後白河法皇を鳥羽殿におしこめ院政を止めさせる。
- 1180(治承4)年:安徳天皇即位。
- 1180(治承4)年4月:以仁王が諸国の源氏に平氏討伐の命を伝える。
- 1180(治承4)年5月:源頼政と以仁王が挙兵、宇治平等院で平氏の軍に敗れて死ぬ。
- 1180(治承4)年6月:平清盛が天皇と上皇を連れて福原に遷都。
- 1180(治承4)年8月:源頼朝が平氏討伐の兵を挙げる。
- 1180(治承4)年9月:源義仲が木曾で挙兵。
- 1180(治承4)年10月:頼朝が鎌倉に入り、富士川の戦いで平氏の軍を破る。
- 1180(治承4)年11月:清盛が都を京都に戻す。
- 1180(治承4)年12月:平重衡が奈良の東大寺・興福寺などを焼き討ち。
- 1183年:宋が道学を禁止する。
- 1183(寿永2)年:後鳥羽天皇即位。
- 1183(寿永2)年:源義仲が礪波山で平維盛の軍を破り入京、平氏は西に逃れる。
- 1183(寿永2)年:後白河法皇が源頼朝に東国沙汰権を与える(十月の宣旨)。
- 1184(寿永3)年1月:源範頼・義経が義仲軍を破り京に入る(宇治川の戦い)。
- 1184(寿永3)年2月:一の谷の戦い。
- 1184(寿永3)年10月:源頼朝が公文所(別当大江広元)と問注所を置く。
- 1185(文治1)年2月:屋島の戦い。
- 1185(文治1)年3月:壇ノ浦の戦い。平氏が滅亡。
- 1185(文治1)年4月:源頼朝が従二位になる。
- 1185(文治1)年5月:義経が頼朝に腰越状を送る。
- 1185(文治1)年8月:東大寺の大仏開眼供養を行う。
- 1185(文治1)年10月:後白河法皇が義経に頼朝追討の命を与える。
- 1185(文治1)年11月:後白河方法が頼朝に義経追捕の命を出す。
- 1185(文治1)年11月:頼朝が諸国に守護・地頭の設置と兵糧米の徴収を朝廷に認めさせる。
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