シエラレオネ
シエラレオネの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-23T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- シエラレオネ共和国【Sierra Leone】。公式の英語表記は、Republic of Sierra Leone。
- 首都
- フリータウン【Freetown】
- 国旗

- 人種
- メンデ族、テムネ族、リンパ族、クレオール(黒人と白人との混血)
- 言語
- 英語(公用語)、メンデ語、テムネ語他
- 宗教
- イスラム教60%、キリスト教10%、アニミズム信仰30%
- 通貨
- レオネ:Leone(SLL)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- SLE/SL/694
- 人口/面積
- 5,883,889人/71,740平方キロメートル(北海道の約90%)
- 国歌/国花/国鳥
- 高く我らは汝、自由の国を賞賛する/ギネアアブラヤシ/-
- 漢字による表記
- 獅子山
- 時間帯
- UTC 0(DST: なし)
- ccTLD
- .SL
- 国際電話番号
- 232
シエラレオネのその他情報
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- 2007-03-23T00:00:00+09:00
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シエラレオネの地形
アフリカの西部、大西洋岸に位置する。北はギニア、南東はリベリアと国境を接する。海岸地帯は、首都フリータウンがあるフリータウン半島部は別としてマングローブ林に覆われている。残りはたいてい木々に囲まれた高原地帯(海抜300メートル級)で、国の東部は山間地。中央部は起伏に富み急流も多い。最高峰はロマ・マンサの1,948m。フリータウン半島近くにあるバナナ島、バンス島、ヨーク島やタートル諸島(シェルブロ島)などの島々もある。主要都市はフリータウン、コインドゥ、ボー、ケネマ、マケ二。
シエラレオネの気候
気候は多湿多温な熱帯性の気候で、降水量も西部アフリカ地域では最も多く、海岸地方では降水量が5,000mm以上になることもある。北東部はサバンナで年間降水量が1,900mmから2,500mmとやや乾燥。5〜12月は雨期。
シエラレオネの経済
ダイヤモンドの輸出国であり、特に南西地域は埋蔵量が多い。その他ボーキサイトや金紅石の産出国でもある。農業では米、アブラヤシ、ラッカセイ、コーヒー、ココアなど。穀物は輸入に頼っている。
主要貿易品目
輸出は鉱物(金鉱石、ダイヤモンド、ボーキサイト等)、ココア、コーヒー。輸入は石油製品、米。
主要貿易相手国
輸出はベルギー、ドイツ、アメリカ、インド。輸入はドイツ、コートジボワール、イギリス、アメリカ。
シエラレオネの歴史
- 1447年:ポルトガル人航海士アルヴァロ・フェルナンディスが上陸。
- 1462年:ポルトガルのペドロ・ダ・シントラがフリータウン半島に到着し、『ライオン山脈』と命名。
- 1562年:イギリスの奴隷商人ジョン・ホーキンスが現在のシエラレオネにあたる地域に到着し現地部族を奴隷として獲得。
- 1579年:イギリスの奴隷商人フランシス・ドレイクが到着。
- 1605年:ポルトガルのイエズス会士バルタサール・バレイラが定住。
- 1664年:タッソ島にあるイギリス城砦がオランダのド・リュイテル総監に攻撃される。
- 1672年:イギリスがヨーク島に王立アフリカ会社を創立する。
- 1704年:フランスの軍艦がヨーク島にある王立アフリカ会社を破壊。
- 1719年:王立アフリカ会社はベンス島(現ボンチ島)に拠点を移転。海賊が1720年までベンス島を占領し略奪を行う。
- 1726年:王立アフリカ会社がウィリアム・スミスをベンス島へ派遣。
- 1727年:フーダ・ジャロンのジハードが始まる。
- 1728年:ポルトガル人のロペスがベンス島の城砦を破壊、それに従い王立アフリカ会社はシエラレオネから撤退。
- 1750年:王立アフリカ会社がベンス島に残した城砦がグランド・サージェント・オズワルド会社の手に渡る。
- 1772年:フランスの商人がガンビア島に拠点を置く。奴隷身分のジェームズ・サマーセットがイギリスで裁判を起こし、自由を勝ち取る。
- 1771年:民間生物研究者のヘンリー・スメスマンがバナナ島を訪れる。
- 1779年:フランスがブンス島のイギリスの城砦を攻撃。
- 1785年:ロバナのテムネ人首長がフランスに商館として使用する土地をガンビア島に提供。フランスの部隊が一時駐屯したがのちに撤退。
- 1786年:イギリスで奴隷貿易廃止促進協会が創立。黒人貧困者救済委員会に書簡を送り、黒人移住者希望者から1人当たり4ポンド徴収し、シエラレオネ川付近に入植地を設置するよう提案。
- 1787年:奴隷貿易廃止運動で活躍したシャープを中心に「自由の国」(The Province of Freedom)建設をスローガンとしたシエラレオネへの入植計画が始まり、4月8日290人の黒人男性、41人の黒人女性、11人の黒人児童、70人の白人男性、6人の白人女性、38人の乗組員らを乗せた船がロンドンを出港し、プリマスへ向かう。その後、プリマスからさらに411人の移住者を乗せ、シエラレオネに向けて出港。5月リチャード・ウィーバーが初代総監になり、10日イギリスからの入植者がシエラレオネに到着。翌日にT・ボールドン・トンプソン船長が現地部族のトム王から入植者のための土地を譲り受け、翌日イギリスからの入植者が下船し、シエラレオネに上陸。のちに、グランビル・シャープの名からグランビルタウンを建設。9月ジェームズ・レイドが総監になる。
- 1788年:イギリスからの入植者5人がバンス島で略奪をする。8月22日、現地部族のナインバナ王が沿岸部を提供。テムネ族の王とその臣下の首長達がクリオのジョン・テーラー船長にフリータウン半島北部の土地を売却し割譲する。
- 1790年:自由の土地の首都グランビルタウンが現地部族のジミー王によって破壊される。奴隷制廃止主義者らがセント・ジョージス・ベイ会社を創立。
- 1792年:ノバスコシアから1190人を乗せた船団がシエラレオネに到着し、フリータウンを建設。
- 1794年:ザッチャリ・マコーレーが総監に就任。フランスの艦隊がフリータウンを攻撃及び略奪、破壊をする。
- 1795年:トーマス・クーパーが現地部族のスス族やフラニ族と通商するためリオ・ポンガと言う場所に商館「フリーポート」を開く。
- 1796年:イギリス政府がシエラレオネ会社に補助金を出し始め、マコーレー総監就任。ジミー王が死亡。
- 1807年:イギリスが奴隷貿易を非合法化し、奴隷貿易の取締まりを強化。シエラレオネ会社の理事がアフリカ人の「文明化」によって奴隷貿易を廃止することを目的とした「アフリカン・インスティチューション」を創立。
- 1808年:T・P・トンプソンが直轄植民地の初代総監になる。シエラレオネにあるレスターなど奪還奴隷のための集落地の建設に取り込む。シエラレオネはシエラレオネ会社の植民地からイギリス直轄植民地となる。
- 1812年:キシ族出身の奪還奴隷グループが、廃墟と化していたグランビルタウン近くの丘にキッシータウンと言う集落を建設する。
- 1813年:イギリス海軍がセントポールズ川にある奴隷貿易商館を破壊し200人以上の奴隷を解放し、リオ・ポンガスにある商館も破壊。
- 1896年:内陸地域がイギリス保護領となり、植民地と分けられる。
- 1898年:内陸部の保護領の現地部族が反乱を起こす。
- 1922年:NCBWA大会がフリータウンで開催され、保護領の権利を拡大する「教育を受けた原住民委員会」を創設する。
- 1931年:ダイヤモンド鉱が発見される。
- 1954年:保護領の南部や東部でのダイヤモンドのラッシュの動きが本格化。
- 1955年:フリータウンで暴動が発生。増税に反対してポート・ロコで暴動が起きる。
- 1961年4月27日:イギリス連邦の一員として独立。
- 1961年9月27日:国連加盟。
- 1967年2月:クーデター未遂事件が発覚。のちにアルバート・マルガイ首相はギニアと防衛協定を結ぶ。
- 1968年:軍部クーデターが起こり、のちにシアカ・スティーブンスを首相としてAPCとSLPPによる連合政権が樹立。
- 1970年:統一民主党が創設。9月11日ダイヤモンド産業が国有化。
- 1971年:ジョン・バングラ准将を中心とするクーデター未遂事件が起き、ギニア軍が治安維持のため派遣される。共和制に移行。スティーブンスが大統領になる。
- 1973年:隣国リベリアとマノ川同盟(MRU)を創設で合意。
- 1975年:西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)に条約調印。
- 1977年:学生らによる反政府デモが起きる。
- 1985年11月12日:ギオ族のトーマス・クィウォンパがクラン族のドウ政権に反発し、シエラレオネからリベリアに侵入して軍事クーデターを試みるが失敗。
- 1986年:クーデター計画が発覚。第一副大統領のフランシス・ミナら60人以上が逮捕され反逆罪の罪で告訴される。5月10日ミナを含む16人に死刑判決。
- 1987年3月11日:給料不払いなどに抗議するデモが発生する。モモ大統領が非常事態を宣言。
- 1991年:テーラー率いるリベリア愛国戦線(NPFL)、シエラレオネのリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに侵入。サンコー率いる統一革命戦線(RUF)も戦闘に参加する。内戦が起こる。
- 1992年:軍部のクーデターによりバレンタイン・ストラッサーが元首に就任。
- 1996年1月:ビオ准将による無血クーデター。
- 1997年5月:軍事クーデターが起こる。
- 1999年:ロメ平和合意が成立。
- 2000年:シエラレオネ政府、RUFと停戦合意。イギリス政府、シエラレオネにイギリス軍の小隊をシエラレオネのフリータウンに派兵、駐留。
- 2002年:カバー大統領、1月18日に武装解除を終了宣言し、2月イギリスのトニー・ブレア首相がシエラレオネに訪問。3月1日には国家非常事態の終了宣言。内戦終結。
- 2004年2月カバ大統領がDDR委員会の解散を宣言。
- 2005年12月:UNAMSIL完全撤退。
- 2006年1月「国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSIL)」活動開始。
シエラレオネの文化
- 首都のフリータウンはその名が示す通り、イギリスや北アメリカから移住してきた解放奴隷が建設した街であるため、クレオール文化的な混血具合を色濃く残す。内陸地方の現地部族は現地の伝統文化を守って暮らしている。
- 現在産出されたダイヤモンドの大部分は国外へ非合法的に密輸出されている。これらが反政府組織RUFやシエラレオネ国内外に存在するテロ組織の資金源となっている可能性もあり、しばしば「紛争ダイヤモンド」「血塗られたダイヤモンド」などと呼ばれる。
- その気候から風土病が多く、かつては、白人の入植者達の何人かは風土病で次々と死んだため「白人の墓場」と呼ばれていた。
- イギリス連邦加盟国。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
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