ベルギー
ベルギーの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-17T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/w_europa/bel.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ベルギー王国【Belgium】。公式の英語表記は、Kingdom of Belgium。
- 首都
- ブリュッセル【Bruxelles(Brussels)】
- 国旗
- 人種
- オランダ系フラマン人57%、フランス系ワロン人32%、ドイツ人
- 言語
- オランダ語、フランス語、ドイツ語(以上公用語)
- 宗教
- キリスト教(カトリック)が大勢
- 通貨
- ユーロ:Euro(EUR)(1999年までの通貨はベルギーフラン)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- BEL/BE/56
- 人口/面積
- 10,348,276人/30,528平方キロメートル(日本の約12分の1)
- 国歌/国花/国鳥
- ブラバントの歌/チューリップ/チョウゲンボウ(ハヤブサ科)
- 漢字による表記
- 白耳義
- 時間帯
- UTC +1(DST: +2)
- ccTLD
- .BE
- 国際電話番号
- 32
ベルギーのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-17T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/w_europa/bel.html#other
ベルギーの地形
西ヨーロッパに位置し、北はオランダ、東はドイツ、南はルクセンブルク、西はフランスと国境を接し、北は北海に面している。北部はフランドル平原が広がり、南部のワロン地域に近づくにつれて標高が増し南東部では丘陵性で平均標高500mのアルデンヌ高原となる。最高地点はドイツ国境付近のボトランジュ(693m)。平野部は北海に面し小川と運河による水路が発達している。北海岸には砂丘列があり、海面下の低湿地もみられる。
ベルギーの気候
メキシコ湾流の影響で夏は冷涼、冬は温暖な西岸海洋性の温帯気候。降水量は年間750〜1000mmで季節による変動は少い。冬は霧が多く晴天が少い。内陸部の冬は積雪が多く厳しい。
ベルギーの経済
一般的に、土地は北部に豊かな土壌が広がり、野菜や果実等の都市近郊型農業や、濃厚飼料を必要とする養豚・養鶏業等が営まれているのに対し、南部はアルデンヌ高地を中心に冷涼な気候で酸性土壌も多く、肉牛、乳牛等の放牧による畜産業や、ビート栽培等が主流。農業人口が3%にも関らず食糧自給率は70%に達し、輸出も行われる。豊富な石炭による鉄鋼業が盛んであったが産出量が減少して1990年代に閉山され、輸入に転じた。過去には金属鉱物資源が採掘されていたが、1978年以降、採掘されていない。鉄鋼、機械、石油化学など重化学工業が発達し、毛織物、ガラス、ダイヤモンド加工など付加価値の高い伝統産業も盛ん。カカオチョコレートやベルギーワッフル等、加工菓子の産地として有名。近年では金融や地の利を生かした運輸、貿易などサービス産業が経済の中心を占めている。1人当たりのGDPは世界最高クラス。ただし、小国であるが故に貿易への依存傾向が強く、経済が安定してるとまでは言い切れない。
主要貿易品目
輸出は化学品、輸送機械、機械・電気製品。輸入は化学品、機械・電気製品、輸送機械。
主要貿易相手国
輸出はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ。輸入はドイツ、オランダ、フランス、イギリス、アメリカ。
ベルギーの歴史
- 中世にはブルゴーニュ公国領となり、現在のオランダとともにネーデルラントと呼ばれる。やがてハプスブルク家の支配下に入り、同家がスペインとオーストリアに分かれたときはスペイン領(1519〜1717年)となる。プロテスタントのオランダはハプスブルク・スペインの支配に対して独立戦争を起こし、ヴェストファーレン条約で正式に独立が認められたが、カトリックの南部ネーデルラント(現在のベルギー)はスペインの支配に留まる。スペイン継承戦争の後、オーストリアが獲得したが(1713〜1793年)、フランス革命戦争でフランス軍に占領され、カンポ・フォルミオ条約によってフランスに併合される。
- 1446年2月24日:ベルギーで世界初の宝くじ発行。
- 1815年:ウィーン議定書でオランダ連合王国に編入される。
- 1830年:ベルギー独立革命が起こる。
- 1830年12月20日:ロンドン会議でイギリス・フランスなど列国がベルギーの独立を承認。
- 1831年:イギリスなどの承認によりドイツの小領邦君主の一族ザクセン・コーブルク・ゴータ家出身のレオポルトが立憲君主となる。
- 1839年:オランダはベルギーの独立を承認。それまでのルクセンブルク大公国の領土から西半分(現在のリュクサンブール州)がベルギーに割譲される。
- 1885年5月2日:レオポルド2世が個人の植民地としてアフリカにコンゴ自由国を領有、1908年にはベルギーの国家的所有に移される。
- 1888年9月19日:スパで世界初の美人コンテスト「コンクール・ド・ボーテ」が開催。
- 1914年8月4日:第1次大戦で、ドイツがベルギーに侵攻。
- 1914年:第一次世界大戦中ドイツ帝国により中立を侵犯され、占領。
- 1920年4月20日:第7回オリンピック・アントワープ大会が開催される(〜9月12日)。
- 1923年1月11日:フランス・ベルギー軍が、ドイツの第1次大戦賠償支払の遅延を理由にルール鉱工業地帯を占領。
- 1925年12月1日:ドイツ・ベルギー・フランス・イギリス・イタリアが相互にヨーロッパの平和を保障(ロカルノ条約本調印)。
- 1940年5月10日:第2次大戦で、ドイツ軍がオランダ・ベルギーに侵入。
- 1940年5月28日:ベルギー国王がドイツに降伏。政府はロンドンに亡命。
- 1944年9月:ナチス・ドイツの占領より解放。
- 1945年12月27日:国連加盟。
- 1949年8月10日:王政が復活。
ベルギーの文化
- 「ベルギー」という名称は古代のベルガエ族に由来するといわれるが、一般にベルギーと言われるようになるのは18世紀以降。
- オランダ語の方言であるゲルマン系のフラマン語を話す北部のフランデレン(フランドル、フランダース)地域と、フランス語を主に話す南部のワロン(ワロニー)地域とにほぼ二分される。長く単一国家であったが、ゲルマン語系住民とロマンス語系住民の言語をめぐる対立が続いたため、1993年に連邦制に移行した。首都ブリュッセルではオランダ語とフランス語が共に公用語とされ、連邦レベルではオランダ語とフランス語が対等の立場にあり、必ず併記される。ワロン地域東部のドイツ国境付近(Eupen付近)ではドイツ語が地域の公用語として認められている。それぞれの話者の割合は、オランダ語が60%程度、フランス語が40%程度、ドイツ語が1%未満。首都ブリュッセルはオランダ語の使われるフランデレン地域に囲まれているが、フランス語話者が8割以上を占めている。また、国内の大都市では英語が通用する。
- ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)として欧州共同体(EC)の創設に参加し、現在ブリュッセルは欧州連合(EU)の本部、欧州議会の一部などが置かれて、EUの「首都」的な性格を帯びている。
- 2006年12月13日、ベルギーの公共放送RTBFが「フラマン地域が独立を宣言して国王アルベール2世がコンゴ民主共和国に亡命した」という架空ニュースを流した(後に、議論を喚起する目的があったと説明された)ところ、一時国内が大混乱に陥り、地域間の溝の存在を露呈する結果となった。
- 欧州連合(EU)加盟国。
- 北大西洋条約機構(NATO)加盟国。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
地理、
国、
西ヨーロッパとリンクを辿ると、当ページ
ベルギーに辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/country/w_europa/bel.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月17日