アルゼンチン
アルゼンチンの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- アルゼンチン共和国【Argentina】。公式の英語表記は、Argentine Republic。
- 首都
- ブエノスアイレス【Buenos Aires】
- 国旗
- 人種
- 欧州系(スペイン、イタリア)97%、インディヘナ系3%。
- 言語
- スペイン語(公用語)
- 宗教
- カトリック92%、プロテスタント2%、ユダヤ教2%。
- 通貨
- アルゼンチン・ペソ ($)(ARS)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- ARG/AR/32
- 人口/面積
- 39,144,753人/2,766,890平方キロメートル(日本の約7.5倍)
- 国歌/国花/国鳥
- アルゼンチン国歌/アメリカディゴ/セアカカマドドリ
- 漢字による表記
- 亜爾然丁
- 時間帯
- UTC -3(DST: -3)
- ccTLD
- .AR
- 国際電話番号
- 54
アルゼンチンのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
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アルゼンチンの地形
西はチリ、北はボリビアとパラグアイ、東側はブラジルとウルグアイに隣接。南北の長さは3,500km以上になり、北部のグランチャコ(亜熱帯森林地帯)、ラプラタ川流域のパンパ(温帯草原)、コロラド川以南のパタゴニア(砂漠地帯)、西部国境のアンデス山系と地形的に大別できる。
アルゼンチンの気候
北部は亜熱帯気候で、特に夏季に高温多湿となる。湿潤パンパは年間降水量が750mm以上、牧牛やアルファルファ、とうもろこしなどが栽培されている。半乾燥パンパは年間降水量が550mm以下、乾燥に強い牧羊をする。パンパは全体を通して温帯で冬季にも降雨がある。内陸部、又は南部に進むにつれて乾燥が激しくなり、南緯40度付近にあるコロラド川以南のパタゴニア地方は砂漠気候となる。また、南部は冬季(4〜9月)に西からの強風が吹き、厳しい寒さに見舞われる。
アルゼンチンの経済
国土の70%が平原であり、世界有数の農業国。小麦、トウモロコシ、ブドウが栽培され、5000万頭を越える牛とヒツジが飼育されている。穀物、食肉、羊毛は主要な輸出品。漁業は国内需要が少なく盛んではなかったが、世界的な魚介需要の高まりを受け、タラやアンチョビーの漁獲が増加している。地下資源は近年になって開発が進められ、石油と天然ガスは国内需要を満たしている。
主要貿易品目
輸出は農畜産物加工品、穀物、燃料、エネルギー。輸入は機械、化学製品、輸送機器、プラスチック・ゴム。
主要貿易相手国
輸出はブラジル、チリ、アメリカ、中国。輸入はブラジル、アメリカ、ドイツ、中国。
アルゼンチンの歴史
- 元々この地の山岳地帯やパンパにはインディオが居住していたと言われている。
- 1516年:スペインのフアン・ディアス・デ・ソリスがラ・プラタ川河口到着。
- 1541年:スペイン人ブエノス・アイレスが建設されるが、先住民との抗争によってブエノスアイレスを放棄。
- 1573年:スペイン支配確定。
- 1580年:ブエノスアイレスの再建。本格的な植民地化。
- 18世紀:今日のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイを含む地域がスペインの副王領に「リオ・デ・ラ・プラタ」として組織化された頃から経済は活気づき、首都ブエノス・アイレスの港は本国との交易によって繁栄。
- 1810年5月25日:自治移行(革命記念)。
- 1816年7月9日:ラプラタ連合の独立を宣言。スペインより独立。
- 1841年:フアン・マヌエル・デ・ロサスが政権を掌握。
- 1851年:ロサス戦争。
- 1852年:カセロスの戦い。ロサス亡命。フスト・ホセ・デ・ウルキーサが大統領に就任。
- 1853年:連邦制の憲法が制定。
- 1862年:アルゼンチン共和国誕生。
- 1864年:三国同盟戦争(パラグアイ戦争)。
- 1920年代:冷凍船の導入で畜産物輸出が好調。
- 1930年代:世界有数の富裕国に成長するが、一方で浪費がはびこり、都市と地方の貧富格差が拡大。
- 1943年:フアン・ペロンらを中心とする軍事政権を樹立、軍事主義が成立。
- 1945年10月24日:国連加盟。
- 1946年:大統領当選。ペロン政権の成立。
- 1951年:中立政策を採りOASより脱退。
- 1955年6月11日:ペロン大統領の独裁政権に抗議するデモ。
- 1955年:アランブル将軍のクーデター。ペロン追放。アルゼンチン、OAS復帰。
- 1958〜1962年、1963〜1966年の急進派を除き軍事政権。
- 1973年5月:民政移管後ペロンが復権。
- 1974年7月:ホアン・ペロン死去。3番目の妻イザベルが大統領に。
- 1976年3月24日:軍部による無血クーデター。イザベル・ペロン大統領が失脚。
- 1976年3月:ビデラ政権。
- 1982年4月2日:アルゼンチン軍が英領フォークランド諸島(マルビナス諸島)を占領。イギリスは国交を断絶(フォークランド紛争始まる)。
- 1982年6月14日:アルゼンチン軍がイギリス軍に降伏(フォークランド紛争が停戦)。
- 1982年7月12日:フォークランド紛争が終る。
- 1983年:軍政から民政への移管。
- 2001年12月23日:アルゼンチン政府が対外債務の一時支払い停止を宣言。
- 2003年5月:キルチネル大統領就任。
- 2006年7月9日:独立190年記念式典挙行。
アルゼンチンの文化
- イタリア系、スペイン系の住民が多く、イタリア系統の荒い言葉遣いが現在のアルゼンチン人全体の性格に受け継がれるとされる。アルゼンチンのスペイン語はイタリア語の影響が強いとされ、その独特の抑揚から「スペイン語の中でもっともセクシー」とまで称される。
- 大畜産国として発展の基礎を築いただけあり、肉料理などを中心に充実した食文化の歴史がある。特にサーロインステーキ(Bife de Chorizo)、パリージャ(Parrilla)は有名。
- 世界有数のワイン生産国であるが、そのほとんどを国内消費するため海外にはあまり知られていない。
- 南米南部共同市場(メルスコール)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月05日