パプアニューギニア
パプアニューギニアの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-11T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/oceania/png.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- パプアニューギニア独立国【Papua New Guinea】。公式の英語表記は、Independent State of Papua New Guinea。
- 首都
- ポートモレスビー【Port Moresby】
- 国旗
- 人種
- メラネシア人
- 言語
- 英語(公用語)、ピジン英語(共通語)、モツ語等
- 宗教
- キリスト教徒多数、祖先崇拝等伝統的信仰も依然根強い
- 通貨
- キナ:Kina(PGK)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- PNG/PG/598
- 人口/面積
- 5,420,280人/462,840平方キロメートル(日本の約1.25倍)
- 国歌/国花/国鳥
- すべての者よ、立ち上がれ/-/極楽鳥
- 漢字による表記
- 巴布亜新幾内亜
- 時間帯
- UTC +10(DST: なし)
- ccTLD
- .PG
- 国際電話番号
- 675
パプアニューギニアのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-11T00:00:00+09:00
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パプアニューギニアの地形
南太平洋にあるニューギニア島の東半分と、ビスマーク諸島、ルイジアード諸島、ニューブリテン島など周辺の大小1万ほどの島々からなる国。西はインドネシアと国境を接し、海を面してオーストラリアの北、ソロモン諸島の西、ミクロネシア連邦の南に位置する。ニューギニア島中央部には3000〜4500m級の山が連なり、高山部分以外は熱帯雨林に覆われている。ニューブリテン島など海底山脈の山頂が島になっている所もあり、ほとんどが火山島。
パプアニューギニアの気候
国土の大半が熱帯雨林気候。モンスーンの影響も受けるが、年中高温多雨。降水量は多いところでは5000mmを越える。ただし、首都ポートモレスビー付近はサバナ気候を示す。
パプアニューギニアの経済
農村型自給自足経済と都市型貨幣経済が混在した二重構造で、鉱業が輸出の中心。内陸部では石器時代に近い生活を送る部族も数多い。起伏に富んだ地形で熱帯という気候条件にあるため、畑作には向かない。農産物は自給用としてタロイモや陸稲、商品作物としてはコーヒー、コプラ、カカオなどを生産。林業も盛んで重要な輸出品。鉱産資源は石油、金、銅などが豊富で、外資を導入して開発が進められているが地元住民との衝突が頻繁に発生している。化学工業、金属精錬はいずれも未発達であるため、全量が未精製の状態で輸出されている。
主要貿易品目
輸出は金、原油、銅、木材、パーム油、コーヒー、ココア。輸入は米、食肉、タイヤ・チューブ、未完成缶、紙製品。
主要貿易相手国
輸出はオーストラリア27.3%、日本7.4%、中国5.9%、ドイツ3.8%。輸入はオーストラリア44%、シンガポール20.3%、ニュージーランド7.6%、中国4.9%。
パプアニューギニアの歴史
- 約5000年前:ニューブリテン島中央部のタラセアにおいて、貝の貨幣「シェルマネー」が作られ、これが最古の貝貨とされている。
- 1526年:ポルトガル人のメネセスが来航、パプアと命名。
- 1828年:ニューギニア島を東西に分割し、西半分をオランダ、ニューブリテン島などを含んだ東の北半分をドイツ、東の南半分をイギリスが獲得。
- 1901年:南部はイギリスから独立したオーストラリアに継承される。
- 1914年:第一次世界大戦勃発に伴い、オーストラリアがドイツ領ニューギニアを占領。
- 1920年:ドイツ領であった島の東北部は国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となる。
- 1942年:太平洋戦争中はニューギニア全島の北半分を日本が占領。
- 1945年:日本軍降伏、オーストラリアが統治。
- 1946年:オーストラリアを施政権者とする国連の信託統治地域となる。
- 1949年:オーストラリアは南東部と北東部を一行政単位に統合してパプアニューギニアとし、1973年に自治政府を認める。
- 1963年:住民議会設置。
- 1973年:内政自治に移行。
- 1975年9月16日:マイケル・ソマレの下で、南北合わせた領土がイギリス連邦の一員としてパプアニューギニアとして独立。
- 1975年10月10日:国連加盟。
- 1983年:各州における自治の失敗を受けて、中央政府の権力が強化。
- 1985年:民族的緊迫により、ポートモレスビーで非常事態宣言発令。
- 1988年:ブーゲンビル島で分離派のブーゲンビル革命軍(BRA)による鉱山妨害の活動が開始。
- 1992年:ソロモン諸島、ショートランド諸島を革命軍(BRA)への支援を理由に政府軍攻撃。
パプアニューギニアの文化
- パプアニューギニアは、元々あったパプアとニューギニアが合併してできた国。パプアはメラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉に由来。ニューギニアはメラネシア人がアフリカのギニア人に似ているところからスペイン人の探検家が名付けたもの。
- パプアニューギニアでは、伝統的に「ワントーク」と呼ばれる小人数の部族に分かれて生活をしていた。多くの部族は数十、数百人程度であり、それぞれの部族ごとに言語、習慣、伝統が異なっている。かつては各部族同士で戦いを行うことがよくあり、その習慣は今も一部残っている。
- 英語が公用語だが、共通語としてトク・ピジンやヒリモツ語(ともにピジン言語)が広く使われている。人口が500万人に対して言語の数が800以上もあると言われている。
- イギリス連邦加盟国。
- アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月11日