東ティモール
東ティモールの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/es_asia/tls.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- 東ティモール民主共和国【Timor-Leste】。公式の英語表記は、The Democratic Republic of Timor-Leste。
- 首都
- ディリ【Dili】
- 国旗

- 人種
- テトゥン族等大半がメラネシア系種族で、その他マレー系、中華系等。
- 言語
- 国語はテトゥン語及びポルトガル語。実用語にインドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
- 宗教
- キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%
- 通貨
- 米ドル:US Dollar(USD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- TLS/TL/626
- 人口/面積
- 1,019,252人/15,007平方キロメートル(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積とほぼ同じ)
- 国歌/国花/国鳥
- 祖国/-/-
- 漢字による表記
- 東的木児
- 時間帯
- UTC (+9)(DST: なし)
- ccTLD
- .TL(かつては「.TP」を使用)
- 国際電話番号
- 670
東ティモールのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/es_asia/tls.html#other
東ティモールの地形
東南アジアのインドネシア群島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。それ以外のティモール島および周辺の地域はインドネシア領。南にはティモール海を挟んでオーストラリアがある。
東ティモールの気候
ほぼ全体が熱帯で高温多湿の海洋性気候。12〜3月の北東季節風の時期が雨季、6〜9月はオセアニア大陸からの風により乾季。
東ティモールの経済
伝統的な農業が主体で米やトウモロコシが栽培され、輸出用にコーヒーやココナッツが栽培される。陸上には有望な資源は少ないが、南方海域に海底油田が発見され、オーストラリアと共同開発による採掘が始められた。
主要貿易品目
輸入は燃料、機械類、自動車。輸出はコーヒー。
主要貿易相手国
輸入はインドネシア、シンガポール、オーストラリア。輸出はアメリカ、ドイツ、ポルトガル。
東ティモールの歴史
- 16世紀以前:リウライ(王)が割拠する王国乱立。
- 16世紀前半:ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。
- 17世紀半ば:オランダ、西ティモールを占領。
- 1701年:ポルトガル、ティモール全島を領有。
- 1859年:リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
- 1942年:日本軍、ティモール全島を占領。
- 1945年:第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が復活(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。
- 1974年:ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。
- 1975年:独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
- 1976年:インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
- 1991年11月:サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)。
- 1992年11月:インドネシアがシャナナ・グスマン司令官を逮捕(1999年に釈放)。
- 1998年5月:スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。
- 1999年6月11日:国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定する決議1246を採択。
- 1999年8月30日:独立についての直接投票実施。
- 1999年9月4日:投票の結果発表。この直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し現地情勢は急激に悪化。
- 1999年9月15日:国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を認める決議1264を採択。
- 1999年10月20日:インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。
- 1999年10月25日:国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定する決議1272を採択。
- 2000年7月:東ティモール暫定政府(ETTA)発足。
- 2000年10月:国民評議会(National Council)発足。
- 2001年8月30日:憲法制定議会選挙実施。
- 2001年9月20日:東ティモール行政府(ETPA)発足。
- 2002年3月22日:憲法公布。
- 2002年4月14日:大統領選挙実施、シャナナ・グスマン氏が当選。
- 2002年5月17日:国連安保理による国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定する決議1410を採択。
- 2002年5月20日:東ティモール民主共和国独立。
- 2002年9月27日:国連加盟。
- 2005年4月28日:国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定する決議1599を採択。
- 2006年4月28日:離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入。
- 2006年5月初旬〜:憲兵隊員が国軍から離脱、国軍本部等を襲撃。
- 2006年5月25日:国際治安部隊が派遣される。
- 2006年6月26日:アルカティリ首相辞任。
- 2006年7月10日:ラモス・ホルタ外相が首相就任。
- 2006年8月25日:UNOTIL任務終了。国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定する決議1704を採択。
- 2007年1月13日:フランスと共に東南アジア友好協力条約(TAC)に締結。
東ティモールの文化
- 1999年8月30日、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から解放され、2002年5月20日独立した。国際法上はポルトガルから独立したことになる。21世紀最初の独立国。
- 隣国オーストラリアとの境界線確定が課題だが、東ティモール側はインドネシア政府が結んだ境界線の見直しを求め、交渉は難航している。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
地理、
国、
東南アジアとリンクを辿ると、当ページ
東ティモールに辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/country/es_asia/tls.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月12日