マケドニア
マケドニアの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/mkd.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- マケドニア旧ユーゴスラビア共和国【Macedonia, the former Yugoslav Republic of】。公式の英語表記は、Former Yugoslav Republic of Macedonia。
- 首都
- スコピエ【Skopje】
- 国旗

- 人種
- マケドニア人67%、アルバニア人25%、トルコ人5%
- 言語
- マケドニア語、アルバニア語(以上公用語)
- 宗教
- キリスト教(マケドニア正教)7割、イスラム教3割
- 通貨
- マケドニア・デナル:Macedonian Denar(MKD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MKD/MK/807
- 人口/面積
- 2,071,210人/25,333平方キロメートル(九州の約3分の2)
- 国歌/国花/国鳥
- (マケドニアの国歌)/-/-
- 漢字による表記
- 馬其頓
- 時間帯
- UTC (+1)(DST: (+2))
- ccTLD
- .MK
- 国際電話番号
- 389
マケドニアのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/mkd.html#other
マケドニアの地形
東ヨーロッパのバルカン半島に位置し、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビアと国境を接する内陸国。地理的・歴史的にマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあたる。マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占め、残りは約5割がギリシャ、約1割がブルガリアに分属する。中央部には盆地が連なり、北から南へ貫流するバンダル川はエーゲ海に注ぐ。東部と西部は標高500〜1500mの山岳地帯。
マケドニアの気候
北部は乾燥して気温の年較差が大きい大陸性気候。南部は高温乾燥の夏と温暖湿潤の冬を示す地中海性気候。全体的に乾燥しているが、西部山地では比較的雨量が多い。
マケドニアの経済
農牧業等第一次産業が主体で、小麦、大麦、トウモロコシ、ブドウが栽培され、ワイン、チーズが製造される。鉱業では石炭、クロム、スズなど。工業では鉄鋼、繊維など。ただし、旧ユーゴスラビア内では農業地域であったため、工業はあまり発達していない。ユーゴ内戦中は新ユーゴへの経済制裁が行われていたため、唯一の市場であるセルビアへ農産物を輸出することができず、大きな痛手を受けた。またコソボ紛争でも難民が流入し財政を圧迫した。内陸国で輸送手段が乏しいことも、産業の発展を阻害している。
主要貿易品目
輸出は衣服、鉄・鋼鉄、石油・石油製品、たばこ、農産物(野菜・果物)。輸入は鉄・鋼鉄、石油・石油製品、乗用車部品、繊維等。
主要貿易相手国
輸出はセルビア・モンテネグロ20.7%、ドイツ18.9%、ギリシャ13.6%、イタリア8.0%、アメリカ4.3%。輸入はドイツ12.6%、ギリシャ9.7%、ロシア8.7%、セルビア・モンテネグロ8.4%、ブルガリア7.2%。
マケドニアの歴史
- 6、7世紀頃:古くはギリシャ人が住んでいたが、この頃にスラヴ人が定住。この後東ローマ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経ることとなる。
- 15世紀以降:オスマン・トルコの支配下に入る。
- 19世紀:バルカン諸国が相次いで独立を果たした後もオスマン帝国に残され、依然マケドニア州のまま。
- 1912年:第一次バルカン戦争でマケドニアの大部分はブルガリア領に入る。
- 1913年:第二次バルカン戦争により西北部4割はセルビア(のちユーゴスラビア王国)が奪取。このセルビア領マケドニアがのちのマケドニア共和国の起源となる。
- 1918年:セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国建国。
- 1945年:旧ユーゴ構成共和国の一つとして発足。
- 1991年9月8日:ユーゴ解体に伴い、マケドニアは独立を宣言。国名をマケドニア共和国とし、古代マケドニア王朝のシンボルであるヴェルギナの星(ヴェルギナの太陽ともいう)を描いた国旗を制定。
- 1992年3月:連邦軍が撤退して独立を達成。
- 1993年1月:国連に加盟申請するが、ギリシャとの間で「国名論争」が勃発し、4月に現在の暫定国名で国連加盟が承認される。
- 1994年2月:ギリシャは国名に納得をせず、経済封鎖。
- 1995年:ギリシャの経済封鎖が解除される。
- 1998年:総選挙の結果、旧共産系の社会民主同盟に代わり、中道右派連立政権が成立。
- 1999年3月:NATO軍によるユーゴスラビア空爆(コソボ紛争)によって約50万人のコソボ地域のアルバニア系住民が難民として押し寄せる。
- 2001年2月:アルバニア系住民の民族解放軍(NLA)が武装蜂起(マケドニア紛争)。
- 2001年8月:アルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書(オホリド合意)に調印し、NATO軍が駐留を開始。
- 2001年11月:憲法改正。
- 2002年9月:総選挙でマケドニア人政党社会民主同盟が政権を奪還し、NLAが改組したアルバニア人政党「民主統合連合」と連立政権を組む。
マケドニアの文化
- 旧ユーゴスラビア連邦を構成していた国の1つ。
- 日本は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」で国家承認を行っており、行政文書における日本語の表記もこれに準ずる。
- マケドニアという国名はこの地の名称であり、アレクサンダー大王で有名なマケドニア王国の名に由来するもの。しかし、マケドニア地方の南部を領有し、その州名として既にマケドニアの名を使用していたギリシャ政府は、この地への領土的野心を伺わせる国名に対する警戒心と、ギリシャ人の国家であった「マケドニア」の名を歴史的にも民族的にも無関係の南スラブ人が称することに対する不満から国名を変更するように強く抗議をした。そのため、1993年に現在の英語名を国際社会における仮の国名として、国際連合へ加盟した。これ以後、多くの国々や国際的組織は、暫定名称の「The Former Yugoslav Republic of Macedonia:FYROM」の名で、この国との関係をもった。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
地理、
国、
東ヨーロッパとリンクを辿ると、当ページ
マケドニアに辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/mkd.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月18日