モロッコ
モロッコの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-20T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/n_africa/mar.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- モロッコ王国【Morocco】。公式の英語表記は、Kingdom of Morocco。
- 首都
- ラバト【Rabat】
- 国旗
- 人種
- アラブ人(65%)、ベルベル人(30%)
- 言語
- アラビア語(公用語)、フランス語
- 宗教
- イスラム教スンニ派がほとんど(国教)
- 通貨
- ディルハム:Moroccan Dirham(MAD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MAR/MA/504
- 人口/面積
- 32,209,101人/446,550平方キロメートル(日本の約1.2倍)
- 国歌/国花/国鳥
- (モロッコの国歌)/バラ/-
- 漢字による表記
- 摩洛哥
- 時間帯
- UTC ±0(DST: なし)
- ccTLD
- .MA
- 国際電話番号
- 212
モロッコのその他情報
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- 2007-04-20T00:00:00+09:00
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モロッコの地形
北アフリカの北西端に位置し、アルジェリア、西サハラ、スペインの飛び地セウタ及びメリリャと国境を接し、西部は大西洋と、北部は地中海に面している。また、最も狭い部分では幅14kmのジブラルタル海峡でスペインと対している。モロッコの南西に分布するカナリア諸島はスペイン領であり、本土以外に国土を持たない。モロッコには大きな山脈が4つあり、リフ山塊(エルリフ)は他の3つの山脈とは独立して地中海沿いのセウタやメリリャを北に眺め下ろしている。最高地点は約2400m。南方の3つの山脈はアトラス山脈に属する。アトラス山脈自体はチュニジア北部からアルジェリア北部を通過し、ほぼモロッコの南西端まで2000km以上に渡って延びる。モロッコ国内では北から順に、中アトラス山脈(モワヤンアトラス山脈)、大アトラス山脈(オートアトラス山脈)、前アトラス山脈(アンチアトラス山脈)と呼ばれる。アトラス山脈の平均標高は3000mを超え、国土のほぼ中央にそびえるトゥブカル山(4165m)が最高地点であり、北アフリカの最高峰でもある。アトラス山脈の南斜面はそのままサハラ砂漠につながっており、北部がギール砂漠、南部がドラー砂漠。カサブランカなどのモロッコの主要都市は大西洋岸の海岸線、もしくはリフ山塊の西、中アトラス山脈の北斜面から海岸線に向かって広がるモロッコ大平原地帯に点在する。主要河川は、地中海に流れ込むムルーヤ川、大西洋に流れ込むスース川、テンシフィット川など10程度ある。ジス川とレリス川はサハラ砂漠に向かって流れ下りる。
- カサブランカ:最大の都市。映画で有名。
- ラバト:首都。
- マラケシュ:第2の都市。観光が盛ん。
- フェス:第3の都市。
モロッコの気候
ケッペンの気候区分によると、アトラス山脈より北は地中海性気候に一部ステップ気候が混じる。雨季は4〜5月、10〜11月の2回。南側は砂漠気候。アトラス山脈には冬季に積雪がある。
モロッコの経済
主産業は農業で、穀物、大豆、野菜、柑橘類、オリーブなどを栽培する。高地や乾燥地帯ではヒツジ、ヤギなどの牧畜が盛ん。林業ではコルクが輸出される。イワシ、マグロなどの水産物は重要輸出品。リン鉱石の産出量は世界有数で、埋蔵量は世界1位。ほかに鉄鉱石やマンガン、コバルト鉱、亜鉛、金、銀なども産出する。天然ガスも豊かだが、原油の採掘量はごくわずか。工業は軽工業のほか石油精製や肥料など幅広く行われているがいずれも小規模。絨毯、革製品など伝統工芸品は評価が高い。古い景観を保つ都市が多く、観光産業も重要。
主要貿易品目
輸出は既製服、生地・織物、燐酸液、タコ・イカ・マグロ等魚介類。輸入は原油、機械、鉄・ステンレス、小麦、自動車、電気機器等。
主要貿易相手国
フランス、スペイン、イタリア、イギリス、ドイツ。
モロッコの歴史
- 古代にはフェニキア、ローマなどの支配を受けた。
- 7世紀:アラブ人がモロッコ、イベリア半島まで達し、イスラム教が浸透。
- 8世紀末:勢力争いに敗れた亡命アラブ人イドリースを支えて、イスラム化したベルベル人はイドリース朝を建国。
- 11〜15世紀:ムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝が興亡。
- 15世紀末:スペイン、ポルトガルが北アフリカに侵攻。サアド朝(サーディ朝)はこれを撃退。
- 16世紀:ソンガイ帝国を攻略し、オスマン帝国、キリスト教勢力を退ける。
- 1660年:アラウィー朝が成立。現在まで続く。
- 1904年:英仏協商で、フランスがモロッコにおける優越権を獲得。これに反対するドイツが1905年、1911年の2度にわたってフランスを威嚇した(モロッコ事件)が、最終的にはドイツが妥協。
- 1911年11月4日:ドイツがフランスよりコンゴの一部を割譲させモロッコのフランス保護権を承認(「モロッコ協定」調印)。
- 1912年3月:フェス条約で国土の大部分がフランスの保護領となる。また、仏西条約で北部リフ地域はスペイン領となる。
- 1936年7月17日:スペイン領モロッコで、フランコ将軍が反乱。スペイン内戦勃発。
- 1956年3月2日:フランスから独立。スペインはセウタ、メリリャ、イフニの「飛び地領」とモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)を除いて領有権を放棄。
- 1956年11月12日:国連加盟。
- 1957年:スルターン・ムハンマド5世が国王になる。
- 1958年:スペイン領の南部保護領だったタルファヤ地方をモロッコへ返還。
- 1961年2月:モハメッド5世急逝。ハッサン皇太子国王即位。
- 1967年:イスラエルと6日間戦争の結果、アラブ世界に復帰。
- 1969年:スペインが「飛び地領」のイフニをモロッコに返還。
- 1975年10月:西サハラを非武装で越境大行進「緑の行進」を行う。
- 1975年11月6日:スペイン領西サハラの帰属を求めるモロッコ国民35万人が同地へ向けて「サハラ行進」を開始。
- 1989年2月:アラブ・マグレブ連合条約調印。
- 1991年9月:西サハラ停戦成立。
- 1992年9月:憲法改正。
- 1996年9月:憲法改正に係わる国民投票。
- 1999年7月:ハッサン2世国王死去。シディ・ムハンマド皇太子がムハンマド6世として即位。
- 2003年5月:ムーレイ・アル・ハッサン皇太子誕生
モロッコの文化
- アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。モロッコは西サハラのほとんどの地域を実効支配しているが、モロッコによる領有権の主張は相当数の国から認められていない。サハラ・アラブ民主共和国はアフリカと中南米を中心に国家として承認されているが、日本を含む先進諸国からはモロッコとの関係上国家として承認されておらず、また国際連合にも加盟していない。また、サハラ・アラブ民主共和国はアフリカ連合 (AU) に加盟している。モロッコがアフリカ州の国家の中で唯一AUに加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国のAU加盟に反発して脱退したため。
- アラビア語が公用語となっているものの、国民の大半は学校教育で正則アラビア語を習わずモロッコ特有のマグレブアラブ語を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難。かつてフランスの植民地であったのでフランス語が事実上の公用語となっている。公文書はフランス語で書かれ、学校教育もフランス語で行われることが多い。山岳地帯では、タシリヒト語、タマジヒト語、リフィ語などのベルベル語を話す人々もいる。ベルベル語話者は人口の1/3以下。フランスやスペインの旧植民地と隣接しており、経済的な結びつきも強いため両言語が利用されている。
- モロッコの北端、セウタとメリリャの2都市は現在でも植民地であり、モロッコは独立以来再三に渡って2都市の返還をスペインに求めているが、スペインは拒否し続けている。
- 1961年にイスラム教が国教となっており、イスラム教スンニ派が99%を占める。キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アラブ連盟加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月20日