キプロス
キプロスの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- キプロス共和国【Cyprus】。公式の英語表記は、Republic of Cyprus。
- 首都
- ニコシア【Nicosia】
- 国旗

- 人種
- ギリシャ系(約80.7%)、トルコ系(約11.0%)その他。
- 言語
- 現代ギリシャ語、トルコ語(以上公用語)、英語
- 宗教
- ギリシャ正教、回教
- 通貨
- キプロス・ポンド:Cypriot Pound(CYP)、新トルコ・リラ:Turkish New Lira(TRL)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- CYP/CY/196
- 人口/面積
- 775,927人/9,250平方キロメートル(四国の約半分)
- 国歌/国花/国鳥
- 自由への賛歌/-/-
- 漢字による表記
- 塞浦路斯
- 時間帯
- UTC +2(DST: +3)
- ccTLD
- .CY
- 国際電話番号
- 357
キプロスのその他情報
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- 2007-03-21T00:00:00+09:00
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キプロスの地形
トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島1島からなる島国。地中海ではシチリア、サルジニアに次いで3番目に大きい島。北部は海岸線に沿って山脈があり、中央部にはメサオリア平野が広がる。南部は大部分が山地で、海岸線に沿って若干の平地がある。
キプロスの気候
地中海性気候で、夏は暑く乾燥し、冬は温和で降雨がある。降雨量は平地で300〜400mm、山岳部で1200mm。
キプロスの経済
主要産業は観光業。ヨーロッパからの観光地として人気があり、1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存するためヨーロッパでの景気の変動に弱い。2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟し、観光客の増加が期待されている。また、地中海の北東、ヨーロッパ、アジア、アフリカの接点という地理的な利点を利用して、キプロス政府は積極的に外国資本の誘致に努力してきたこともあり、近年特に海運及び金融の部門が発展している。農業ではジャガイモ、大麦、オリーブ、綿花、果物などを生産。ワインの生産もなされる。銅や硫化鉄、クロム、石綿などを産出。南キプロスは観光業を含むサービス産業に労働人口の62%が従事。天然資源に乏しく、食料の自給も難しいため、貿易は大幅な輸入超過。自動車は右ハンドルのため日本からの中古車輸入が盛ん。北キプロスは、南キプロスに比べて経済的に遅れており、一人あたりGDPは3分の1しかない。国際的にはトルコにのみ独立を承認された国家であるために貿易や外国からの資本導入が難しく、また通貨もトルコのトルコリラを用いるため、1990年代にトルコリラのインフレーションに深刻な悪影響を受けた結果、きわめて苦しい状況が続いている。
主要貿易品目
輸出は衣料・付属品、果実・野菜、薬品。輸入は石油、石油製品、機械類、化学品。
主要貿易相手国
輸出はイギリス、ギリシャ、ロシア、アラブ首連、レバノン。輸入はイギリス、アメリカ、イタリア、ギリシャ、ドイツ。
キプロスの歴史
- 紀元前:ヒッタイト、アッシリア、エジプト、ギリシアなどの支配を受けた後、紀元前76年にローマに併合。
- 1191年:十字軍の途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世によって征服され、フランク人の支配するキプロス王国が建国される。
- 1571年:はオスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州を置く。
- 1878年:イギリスは露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得。
- 1914年:イギリスは第一次世界大戦でオスマン帝国が敵対したのを理由に正式に併合。
- 1955年:イギリス、ギリシャ、トルコ三国間協議。
- 1959年:チューリッヒ協定。
- 1959年12月13日:キプロスで大統領選挙。マカリオス大主教を選出。
- 1960年8月16日:イギリスより独立(ギリシャ併合派、トルコ併合派による反イギリス運動が高まったため)。
- 1960年9月20日:国連加盟。
- 1963年:民族紛争勃発。
- 1964年:国連平和維持軍が派遣される。
- 1974年7月15日:ギリシャの支援を受けた併合賛成派がクーデターを起こす。
- 1974年7月20日:トルコ軍キプロス侵攻。
- 1974年7月22日:クーデター政権が倒壊。
- 1974年7月23日:クーデター政権を支援したギリシャ軍事政権が倒壊。
- 1974年8月13日:トルコ軍が第二次派兵を敢行し、北部を占拠。
- 1975年:北部にキプロス連邦トルコ人共和国が発足。
- 1977年:最初の統合交渉が決裂。
- 1983年11月15日:トルコ占領地域、一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言。
- 1997年:南部のキプロス共和国がEU加盟候補国となる。
- 2003年4月16日:キプロス共和国がEU加盟条約に調印。
- 2004年2月9日:国連の仲介により南北大統領の統合住民投票案実施協議が始まる。
- 2004年3月31日:国連案の修正による住民投票案が合意。
- 2004年4月24日:南北同時住民投票がギリシャ系側(キプロス共和国側)の反対多数により否決。
- 2004年5月1日:キプロス共和国がEUに加盟。
- 2004年10月3日:トルコ政府がキプロス共和国を国家承認しないまま、EUはトルコとの加盟交渉を開始。
- 2006年5月21日:キプロス共和国が総選挙を実施。統合反対派が勝利。
- 2006年12月11日:トルコのキプロス共和国不承認問題のため、EUがトルコとの加盟交渉を一部凍結。
キプロスの文化
- キプロスは、事実上2つの国家に分断されており、南部がキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する地域、北部が北キプロス・トルコ共和国としてトルコ系住民が分離独立を主張している地域。
- キプロスは、旧イギリス植民地であり、2つの公用語でそれぞれ異なった地名を持つことから、地名は英語名で呼ばれることが一般的だが、南キプロスではギリシャ語の地名、北キプロスではトルコ語の地名に言い換えられることも多い。
- 民族の帰属意識はおおむね信仰する宗教と一致しており、正教徒のギリシャ系が78%、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ系が18%であるとされる。
- 欧州連合(EU)加盟国。
- イギリス連邦加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月21日