ニジェール
ニジェールの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_africa/ner.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ニジェール共和国【Niger】。公式の英語表記は、Republic of Niger。
- 首都
- ニアメ【Niamey】
- 国旗

- 人種
- ハウサ族、ジェルマ・ソンガイ族、カヌウリ族、トゥアレグ族、トゥープー族、プール族等
- 言語
- フランス語(公用語)、ハウサ語、トゥアレグ語等
- 宗教
- イスラム教約75%、その他はキリスト教、原始宗教
- 通貨
- CFA(アフリカ金融共同体)フラン:Communaute Financiere Africaine Franc(XOF)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- NER/NE/562
- 人口/面積
- 11,360,538人/1,267,000平方キロメートル(日本の3.4倍)
- 国歌/国花/国鳥
- ニジェール人よ/-/カグー
- 漢字による表記
- 尼日爾
- 時間帯
- UTC (+1)(DST: なし)
- ccTLD
- .NE
- 国際電話番号
- 227
ニジェールのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
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ニジェールの地形
西アフリカ、サハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する内陸国。アルジェリア、マリ、ブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと国境を接する。北部中央に最高2000mに達するアイル山地があり、中部及び北部は起伏の多い高原状の砂漠地、東南部はチャド湖へ続くステップ地帯、南部はサバナ平原が広がり、南西部にニジェール川が流れる。国土の3分の2をサハラ砂漠が占める。
ニジェールの気候
北部は高温乾燥の砂漠気候。南部はサバナ気候で6月〜10月が雨季に当たり多湿。
ニジェールの経済
農業、畜産業、鉱業が主産業。世界最貧国の1つ。ニジェール川流域で穀物、落花生、綿花が栽培され、北部では遊牧が行われている。鉱業の主力であるウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇る。アクータ鉱山など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。その他にスズや金を産出。工業は食品加工などわずかに行われている程度。ウラン価格の低下や度重なる政情不安による海外援助が途絶え、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に。しかし2000年12月、国際通貨基金(IMF)などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万ドルの債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。
主要貿易品目
輸出はウラニウム、家畜。輸入は食品、資本財、石油製品。
主要貿易相手国
輸出はフランス、ナイジェリア、日本。輸入はフランス、コートジボワール、中国。
ニジェールの歴史
- 7〜12世紀:ソンガイ、ガオ、マリ、ボルヌー諸王国の抗争時代。
- 17〜19世紀:トゥアレグ、プール族の支配
- 1922年:フランス領西アフリカの一部に。
- 1958年9月:自治国となりフランス共同体に加盟。
- 1958年12月:共和国宣言。
- 1960年8月3日:フランスより独立。デイオリ初代大統領選出。
- 1960年9月20日:国連加盟。
- 1974年4月:陸軍のクンチェ参謀長【Seyni Kountche】がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。憲法は停止され、議会・政党活動も中止。
- 1987年11月:クンチェ議長の死去に伴い、サイブ政権成立。
- 1989年9月:国民投票で新憲法が承認される。
- 1989年12月:アリ・セブ【Ali Saibou】大統領が選出され民政移管。
- 1990年11月:複数政党制を導入。
- 1980年12月:新憲法の国民投票。
- 1993年2月:議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の与党「社会発展国民運動」【National Movement of the Development Society:MNSD】に大差で勝利。
- 1993年3月:大統領選で「民主社会会議」【Democratic and Social Convention:CDS】のマハマヌ・ウスマン党首が当選。
- 1995年1月:総選挙でMNSDなどの野党連合が勝利。
- 1995年2月:ハマ・アマドゥMNSD書記長が首相就任。
- 1995年4月:自治を求めるトゥアレグ人およびトゥーブー人反政府勢力と和平合意。
- 1996年1月:軍のクーデターでイブライム・バレ・マイナサラ【Ibrahim Bare Mainassara】大佐を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。
- 1996年7月:大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。
- 1996年12月:マイナサラ大統領は救国委員会を解散、シセ前経済相を首相に任命。
- 1997年11月:野党との対立やストライキ問題を解決できないとしてシセ首相を解任、マヤキ外相を新首相に。
- 1999年4月:再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺。警護隊隊長のワンケ【Daouda Malam Wanke】少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」【National Reconciliation Council】が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止。
- 1999年7月:軍事政権による憲法草案の是非を問う国民投票、約90%の支持で承認。
- 1999年10月:大統領選で軍の元幹部でMNSD党員のママドゥ【Mamadou Tandja】が当選。
- 2000年3月:イスフ元首相ら野党勢力が「民主勢力連合」(CFD)を結成。
- 2000年6月:MNSDなど大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD)を結成。
- 2001年2月:大学への政府補助金50%以上削減に抗議した学生が各地でデモ、警官隊と衝突。政府はニアメ大学を閉鎖。
- 2001年4月:マイナサラ大統領銃殺事件の捜査を求める支持者ら数千人が首都でデモ。
- 2002年7月:賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部のディッファで反乱を起こし、ラジオ局を占拠。政府は同月のうちに、ディッファに非常事態宣言を発令した。
ニジェールの文化
- フランス語が公用語だが、ハウサ語、ジェルマ語、フラニ語などの各民族語が主流。
- 1997年の干ばつで国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。
- ニジェール川のレテ島の帰属問題をめぐり、ベナンと国境紛争を抱える。2000年5月、島に建設中のベナン政府施設をニジェール軍が破壊。6月に双方が会談したが決裂し、アフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合)などに仲裁を要請。2001年6月、両国は結論を国際司法裁判所(ICJ)の判断にゆだねることで合意。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月10日