第20番札所 獨鈷山西明寺

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獨鈷山西明寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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http://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b20_simyouzi.html#basic
正式名称と通称
獨鈷山 西明寺(とっこさん さいみょうじ) 十一面観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
十一面観世音 / 真言宗豊山派  / 行基菩薩天平9(737)年
真言
おんまか きゃろにきゃ そわか
御詠歌
さいみやうじ ちかひをここに たづぬれば つひのすみかは にしとこそきけ
所在地と電話番号
〒321-4217:栃木県芳賀郡益子町益子4469(0285-72-2957)
位置
緯度:36度27分9.685秒(36.45269)、経度:140度7分1.626秒(140.117118)
納経所
夏:8時〜17時、冬:8時〜16時半
前札所と次札所
前札所:第19番札所 大谷寺 / 次札所:第21番札所 日輪寺
交通と駐車場
最寄駅は、真岡鉄道の益子駅。4km。
駐車場:普通車30台
拝観料
本堂内陣拝観300円

獨鈷山西明寺のその他情報

最終更新
2009-08-16T01:24:34+09:00
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歴史と謂れ

縁起によると、天平九(737)年に行基が十一面観音を刻み安置し草創されたといわれる。聖武天皇の生母は熊野権現を篤く信仰しており、春になると毎年参詣して国家の泰平を祈願していた。ある夜のこと、証誠殿の扉が開いて権現が現れ、生母に十一面観音の画像を授けた。生母はこれを都に持ち帰り、礼拝していたとされる。その没後に聖武天皇は、行基菩薩に勅して十一面観音の木造を作らせ、胎内に生母が礼拝していた画像を納めて、豊前国京都郡に安置したといわれる。後に行基菩薩が熊野権現を参拝している際に神託があり、東国に霊地を求めて旅立った。下野国芳賀郡まで来たとき、益子の山に数万の烏が集まっているのを見てさっそく登ったところ、豊前国に安置したはずの尊像が光明を放って立っていたといわれる。そこで堂宇を建立し、芳賀山益子寺と号したといわれている。天平宝字元(757)年には唐僧恵林が入山し、観音堂を建てて寺門の充実につとめた。

また、延暦年間(782〜806年)には、弘法大師がこの地にとどまり、近隣の人々を帰依せしめ、山内十二坊、四十八伽藍を設けて独鈷山と改称したといわれている。『霊場記』によると、弘法大師の来山によって「貴賎渇仰して法水に浴す。時に法相宗の僧ら、挙げて大師の徳を妬み」岩窟におしこめた、と記されている。大師は所持していた独鈷でこの難を逃れたといわれ、それ以来獨鈷山と称したとされる。

その後、たびたびの兵火によって焼失衰亡したが、康平年間(1058〜65年)には、紀正隆が高舘山に居城を築き、益子氏を名乗って大いにこの寺を保護したといわれる。後に最明寺入道(北条)時頼が詣でた際、本尊の由来を聞き、深く信仰したといわれる。そして、伽藍を造営して、益子寺との名称を西明寺に改めたといわれている。しかし、正平6(1351)年の益子城落城に際し、全てが灰盡に帰した。江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられた。

堂塔

西明寺の本堂本堂は、栃木県指定文化財。治承元(1177)年の創建で、元禄14(1701)年に外陣を増築したといわれている。江戸時代初期の火災焼損し、元禄15(1702)年に再興された。彫刻や彩色など、江戸文化の華やかな面もあらわれている。本堂内の唐洋式の厨子は、本堂より古い室町時代(応永年間:1394〜1428年)の作で、重要文化財に指定されている。また厨子には、天平9(737)年、行基菩薩が刻んだと伝わる十一面観世音菩薩が安置されている。

西明寺の鐘楼鐘楼は、栃木県指定文化財。二間四方の宝形造り。茅葺で江戸時代中期の建立と考えられている。装飾や彫刻が少く、単純な構造である。栃木県内ではこの式のものは他に類がなく、古式に倣って造営されたものと考えられている。

閻魔堂閻魔堂の中の閻魔様閻魔堂は、正徳4(1714)年の建立、寛保3(1743)年の再建といわれている。寄棟造りの茅葺といった簡素な建造物。木造閻魔大王坐像(笑い閻魔)および両脇侍像(左:悪童子、右:善童子)は、栃木県指定文化財。関東随一といわれる巨大な閻魔大王(像高2.5メートル)が安置されている。口を大きく開けているため、笑い閻魔と称される。堂内には、奪衣婆と地蔵菩薩も祀られている。

西明寺の楼門桜門は、三間一戸、入母屋造茅葺き、純唐様。明応元(1492)年の建立で、重要文化財に指定されている。飛檐捶の落書きによって、完成まで3年を要したことがわかる。

西明寺の三重塔三重塔は、天文7(1538)年の建立で、重要文化財に指定されている。屋根を銅板葺きとし、和様と唐様が調和した三重塔。板屋根の塔は、日本唯一とされている。益子家宗が寄進し、関東地方の古塔の一つとして知られる。屋根の勾配が急で、軒の出が深く、軒の真反りが強い。頂部の水煙は独特の形をしており、関東甲信越四大古塔の一つとして有名である。

西明寺の大師堂弘法大師堂。

行事

その他の情報

西明寺の入り口院号は善門院。

コウヤマキ高野槙は、天然記念物(昭和29:1954年指定)。樹高30メートル、周囲5.4メートル、枝張12メートル、推定樹齢は750年。承元3(1209)年に、土御門天皇の御代、宇都宮景房が本堂修復の際に記念に植えたとの説が伝わっている。紀州高野山に多いことからこの和名がついており、北関東では巨木になることが珍しく、北関東のコウヤマキとしては最大である。

椎林叢椎林叢は天然記念物(昭和32:1957年指定)。参道の階段左右に見られる。

法幸の椿本堂左手前には、樹齢700年の法幸のツバキ(天然記念物)がある。

木造千手観音菩薩立像は、栃木県指定文化財(附:木札6枚)。

木造千手観音菩薩坐像は、栃木県指定文化財。

西明寺本堂厨子内仏像群(十一面観音立像、聖観音立像、馬頭観音立像、如意輪観音坐像、准胝観音立像、延命観音立像、勢至菩薩立像、毘沙門天立像)は、栃木県指定文化財。

本堂の板壁には、明応3(1494)年の坂東札所巡礼者の落書きがある。

境内には、医療施設として入院19床を備えた医療法人普門院診療所がある。

益子駅から七井駅に至る「焼き物としいの木のみち」118キロメートルのほぼ3分の1に位置する。

西明寺の境内

西明寺の境内

西明寺の境内

西明寺の境内

西明寺の境内

西明寺の境内

西明寺の布袋様

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Copyright (C) 2008-2009 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2009年08月16日