節分

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節分とは

最終更新
2007-11-19T22:01:01+09:00
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節分は「せつぶん」と読み、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことを指し、「季節を分ける」ことを意味する。江戸時代以降は特に、立春の前日(2月3日ごろ)を指す場合がほとんどである。この節分を境にして、暦の上では翌日から春になる。

古代支那では、大晦日に邪気や疫病などを打ち払うために、鬼の面をかぶった人をモモの木で作った弓矢で射って追い払う「追儺(ついな)」と呼ばれる行事があった。これが奈良時代に日本に伝わり、文武天皇の慶雲3(706)年に宮中で初めて行われたといわれている。これが平安時代には宮中で大晦日の行事として盛んに行われるようになり、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄神送り」「厄払い」「厄おとし」などと呼ばれていた。この頃には、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して家の門に掲げる、現在にも残る節分の飾りが広まったと伝えられている。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、ヒイラギは毒草で棘がありイワシは生臭物であるため、魔除けの効果があると信じられていたのである。

室町時代中期以降には豆まきの行事が定着し、江戸時代になると現在のような豆まきの行事が庶民の間にも広まった。これは、「炒った大豆を撒き、蒔かれた豆を自分の数え年の数だけ食べる」とのもので、追儺の行事と寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合した物と考えられている。本来は大晦日の行事であったが、旧暦では新年が春から始るため、冬から春になる時期を一年の境として現在の大晦日と同じように考えられていたため、次第に立春前日の節分の行事に変わっていった。

炒った豆は「福豆」と呼ばれ、豆を撒く際には掛け声をかける。通常は「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。これは、季節の変わり目に生じると考えられている邪気を、豆をまくことによって打ち払おうとしたものである。撒く豆は炒った大豆が普通であるが、北海道など落花生をまく地方もある(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる)。また、炒った豆を神棚に供えてから撒く地方もあり、自分の年の数より1つ多く食べると体が丈夫になり、風邪をひかないとの言い伝えがある地方もある。

節分には、恵方巻(えほうまき)と呼ばれる太巻き寿司を食べる習慣もある。節分の夜にその年の恵方(陰陽道でその年の干支によって定められた歳徳神の在する方位)に向かい、願い事を思い浮かべながら無言で太巻き寿司をまるかぶりするとのもの。七福神にちなんで「かんぴょう」「きゅうり」「伊達巻」「うなぎ」など7種類の具材が入れられて福を巻き込むとの意味と、切らずに食べるため縁を切らないとの意味が込められている。恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始ったといわれる。昭和初期にも、大阪では節分の「丸かぶりずし」の広告ちらしが見られる。戦後は一旦廃れ、1974年に大阪市で海苔店経営者等が節分のイベントで海苔巻きの早食い競争を始めたことや、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で知名度が上がり、コンビニ・スーパー各社が恵方巻の全国販売を開始したことも手伝って、豆まきに勝るとも劣らぬ国民的習俗へと急成長しつつある。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年11月19日 最終更新:2007年11月19日