第19番札所 天開山大谷寺

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天開山大谷寺の基本情報

最終更新
2009-01-12T19:46:08+09:00
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http://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b19_ooyazi.html#basic
正式名称と通称
天開山 千手院 大谷寺(てんかいざん おおやじ) 通称:大谷観音(千手観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
千手観世音 / 天台宗  / 弘法大師弘仁元(810)年
真言
おん ばざら たらま きりく
御詠歌
なおきくも めぐみおほやの くわんぜおん みちびきたまへ しるもしらぬも
所在地と電話番号
〒321-0345:栃木県宇都宮市大谷町1198(028-652-0128)
位置
緯度:36度35分48.416秒(36.596782)、経度:139度49分14.981秒(139.820828)
納経所
夏:8時半〜17時(4〜10月)、冬:9時〜16時半(11〜3月)(納経所の冬季休業あり。)
前札所と次札所
前札所:第18番札所 中禅寺 / 次札所:第20番札所 西明寺
交通と駐車場
最寄駅は、JR宇都宮駅。
宇都宮駅からバスも出ている。
駐車場:普通車10台
拝観料
大人300円、小学生70円(宝物館への入場料込み)

天開山大谷寺のその他情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ

弘仁元(810)年に空海が千手観音を刻んでこの寺を開いたとの伝承が残り、平安末期には現代に残される主要な磨崖仏の造立がほぼ完了した。また一説によると、この地には岩場に毒蛇が棲み、そのため里人から地獄谷と呼ばれていた。ある時出羽湯殿山の三人の行者が訪れ、毒蛇降伏の秘法を修し岩肌に観音を彫刻してからはその害がなくなったともいわれている。鎌倉時代初期には、鎌倉幕府によって坂東三十三箇所の一に定められた。鎌倉時代に入ると、大谷寺は宇都宮社の神職で鎌倉幕府の有力御家人でもあった下野宇都宮氏の保護の下で隆盛し、昭和40(1965)年の大谷寺発掘調査において、鎌倉時代の懸仏、貞治2年又は正平18年(1363年)奉納の経石、天文20(1551)年と書かれた銅椀などが出土している。しかし、豊臣秀吉により下野宇都宮氏が改易され、一時は衰退を余儀なくされた。

江戸時代に入ると徳川家康の娘亀姫が篤く信仰し、奥平忠昌が宇都宮城第29代城主に再封された後の元和年間(1615〜1624年)、慈眼大師天海の弟子であった伝海が藩主忠昌の援助を得て堂宇を再建。以後天台宗に属し、宝永年間(1704〜11)にも松平輝貞や奥平昌成ら諸侯の援助により堂宇建立を中心とした勧請が行われたが、その後の火事で多くの堂宇を焼失している。歴代の輪王寺の法親王は、上野寛永寺から日光社参の折にこの寺を宿泊所とし、幕府の庇護も厚かったとされる。文化13(1816)年には庫裏が輪王寺から移された。

本尊ほか重要文化財の保存維持のために、昭和37年から40年までに1100万円の国家予算で化学的な方法による修理が行われた。これとともに防災工事も行われ、脇堂は木造から鉄筋になり、観音堂にも防火シャッターが付けられた。この工事の際、堂下から屈葬の人骨や土器、石器などが発掘された。

堂塔

大谷寺の本堂大谷寺の境内観音堂は、大谷石のの岩屋に建っている。

大谷寺の山門

行事

その他の情報

本尊は凝灰岩の岩壁に彫られた高さ4メートルの千手観音で、一般には「大谷観音」の名で知られている。石心塑像と呼ばれ、浮き彫りにした岩に朱を塗り、塑土で細部を補って仕上げ、金箔を押し付けて完成させる。現在では塑土や金箔は落ち、岩肌のみの姿となっている。石造千手観音菩薩立像、同釈迦三尊像、同薬師三尊像、同阿弥陀三尊像は、国の特別史跡及び重要文化財に指定されている。

銅鐘は、栃木県指定の有形文化財(1988年4月3日指定)。元禄8(1685)年、大谷寺中興の祖との一人と云われる第4世応賢の依頼により鋳物師の戸室定国が鋳造したもの。小形、端正、古様の様式であることが特徴。

銅製灯篭は、宇都宮市指定の有形文化財(1988年3月22日指定)。享保元(1716)年、河内郡新里村の住民の寄進により戸室元蕃が鋳造したもの。巧みな意匠と安定感が特徴。

銅製鰐口は、宇都宮市指定の有形文化財(1996年3月22日指定)。寛文7(1667)年に鋳造された青銅製の鰐口。作者は不祥。金属性鰐口としては市内最古と見られている。耳が蕨手状になっていることが特徴。

大谷寺は、大谷石凝灰岩層の洞穴内に堂宇を配する日本屈指の洞窟寺院である。

当地周辺には縄文時代の人の生活の痕跡が認められる(大谷岩陰遺跡)。ほぼ完全な形の縄文人の人骨が出土したことから、大谷寺の洞窟は元々縄文人の横穴式住居であったものと考えられている。

平和観音像当寺の門前にある平和観音像は、大谷石の石切り場跡に世界平和を祈り、総手彫りで昭和23(1948)年から6年をかけて昭和29(1954)年に完成、昭和31(1956)年に開眼したものである。全長は88尺8寸8分(26.93m)で末広がりを意識している。ただし、近隣にはあるが大谷寺との直接的な関係はない。

お堂の上の岩山は、江戸時代歴代輪王寺の宮様が毎秋松茸狩りを行った場所で、一般人の入山が禁じられたところから、「御止山(おとめやま)」と呼ばれた。その景観の素晴らしさは「陸の松島」と讃えられ、平成18年7月には国の名勝に指定されている。

大谷寺の境内

大谷寺の境内

大谷寺の境内

大谷寺の境内

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Copyright (C) 2008-2009 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2009年01月12日