第33番札所 高福山雪蹊寺
高福山雪蹊寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s33_sekkeizi.html#basic
- 正式名称と通称
- 高福山 雪蹊寺(こうふくざん せっけいじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 臨済宗妙心寺派 / 弘法大師
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第33番 高福山 雪蹊寺 の御詠歌に
- 旅の道 うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月(たびのみち うへしもいまは こうふくじ のちのたのしみ ありあけのつき)
- 所在地と電話番号
- 〒781-0270:高知市長浜町857-3(088-837-2233)
- 前札所と次札所
- 前札所:第32番札所 禅師峰寺(7.5km)/次札所:第34番札所 種間寺(6.3km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:禅師峰寺→仁井田→浦戸大橋→桂浜→長浜病院前→雪蹊寺
- 禅師峰寺から徒歩15分、土佐電鉄バスはりまや橋行:峰専→はりまや橋(40分)、高知県交通バス桂浜・長浜・みませ・諸木・甲殿・仁野行:はりまや橋→長浜(21分)、下車後徒歩(0.3km)
- JR高知駅下車。桂浜行きバス20分(長浜出張所下車)。徒歩5分。
- 駐車場:無料(20台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊50人(3800円)
高福山雪蹊寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
延暦年間に弘法大師が四国巡錫中、種崎に留錫し開基したと伝えられる。その時に大師自ら作ったといわれる御座大師傾が現存している。当時は少林山高福寺と号し、鎌倉時代に仏師の運慶と長男の湛慶が訪れて毘沙門天の像などを安置したことから、慶運寺と寺号を改められた。その後寺は荒廃するが、天正年間の未に月峰和尚が入山し住職となった。和尚は、長宗我部元親と親しい間柄であったことから、寺は元親の援助を受け再興した。この時、元親の宗派に習って真言宗から臨済宗に改宗し、寺号も元親の法号にちなみ高福山雪蹊寺とした。その後、元親が慶長4年(1599)に伏見で没した後、後を継いだ盛親はこの寺を長宗我部氏の菩提寺に定めた。明治初期、神仏分離令を受けて荒廃するが、明治12年(1879年)に再興を許可され、名僧山本太玄宜點和尚により再興された。太玄の養子嗣法となった山本玄峰は昭和の傑僧といわれた人物。玄峰は静岡県にある三島龍沢寺など、多くの寺を再興させた。また、朱子学南学派の祖ともいうべき天室もこの寺の住職を務めた。天室の弟子で谷時中、寺中の弟子に小倉三省と野中兼山らを輩出し、雪蹊寺は南学発祥の道場ともいわれている。
堂塔
石柱の門を入れば観音堂、鐘楼、大師堂、本堂がある。
行事
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その他の情報
- 昔の遍路は種崎から長浜へ船で渡ったが、今は浦戸大橋ができて陸続きとなっている。長浜は長曽我部元親の城下町としてひらけ、町を抜けると秦神社があって祭神に元親の像が祀られている。この神社の隣りに雪蹊寺がある。
- 四国霊場の中で禅宗の寺は、第11番札所藤井寺と、ここ雪蹊寺のみ。
- 本堂脇の馬頭観音は旅の安全を守るとされ、遍路の信仰が厚い。
- 境内に入るとすぐ左手に、坂本龍馬の剣の師である土居楠五郎の墓碑が祀られている。
- 本尊の薬師如来像は運慶晩年の作といわれ、鎌倉時代の作風を今に伝える名品で国の重要文化財に指定されている。脇仏は日光・月光菩薩でいずれも運慶晩年の作。毘沙門天と脇仏の吉祥天女、善賦師童子は運慶の子湛慶の作。
- 山本太玄の養子嗣法となった、のちに臨済宗妙心寺派の管長となり昭和の傑僧と呼ばれる山本玄峰老師は青年のころ失明に近い状態となり、裸足で七回遍路に出たという。その途中で太玄と出会い「心眼を開け」の言葉を授かる。玄峰和尚が太玄和尚のために建立した塔の裏側に刻まれた碑文には、太玄の生涯が刻まれている。また、寺宝「眼鏡の額」は大師堂に納められ非公開となっているが、予約をすれば見ることができる。山本太玄と玄峰の故事から眼病祈願をし、御利益をもらった信者が奉納したものといわれている。また、境内の右手にある梵鐘には「朝破無明夢 夕闇清浄智」の銘がある。この詩は三島龍沢寺の老師で、山本玄峰の弟子にあたる中川宗淵より贈られたもの。
- 雪蹊寺の中興の祖、月峰和尚には妖怪とのやりとりの伝説がある。妖怪は、和歌の上の句に悩んで亡くなった者が成仏できず、荒れた雪蹊寺に住み着いたものとされていた。月峰は近隣の住民の反対を押し切り、いかなる妖怪であろうかと寺に寝泊りすることにした。初日に月峰が境内で座禅をくんでいると、泣き声とともに「水も浮き世という所かな」という下の句が聞こえた。月峰は翌晩までに上の句を考え、翌晩も座禅をくんで霊が現れるのを待っていると、またその声がしたので、「墨染めを洗えば波も衣きて水も浮き世という所かな」と詠んだ。泣き声はそれ以降しなくなり、妖怪も出なくなった。その話をきいた長宗我部元親は月峰に雪蹊寺の住職になるように頼み、元親は月峰のために雪蹊寺を立派に建て直し、現在に至るという。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日