第27番札所 竹林山神峰寺
竹林山神峰寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s27_konominezi.html#basic
- 正式名称と通称
- 竹林山地蔵院 神峯寺(ちくりんざん こうのみねじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 十一面観世音菩薩 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
- 真言
- オンマカ キャロニキャ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第27番 竹林山 神峯寺 の御詠歌に
- みほとけの恵みの心神峯 山も誓いも高き水音(みほとけの めぐみのこゝろ こうのみね やまもちかいも たかきみずおと)
- 所在地と電話番号
- 〒781-6422:高知県安芸郡安田町唐浜2594(0887-38-5495)
- 前札所と次札所
- 前札所:第26番札所 金剛頂寺(30.5km)/次札所:第28番札所 大日寺(38.3km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:金剛頂寺→羽根岬→国道55号線→田野→安田町→唐ノ浜→神峰寺
- 金剛頂寺から徒歩45分、高知県交通バス高知行:元橋→安田(1時間15分)、下車後徒歩(5.1km)
- JR高知駅下車。室戸行きバス1時間25分(唐の浜東下車)。徒歩10分。
- 駐車場:普通車300円(30台:境内まで徒歩10分)
- 宿泊
- 宿坊なし
竹林山神峰寺のその他情報
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歴史と謂れ
神功皇后が、戦勝祈願のため天照大神など諸神を祀ったのが始まりとされる。後に行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで安置し、神仏を合祀したとされる。大同4年(809年)には聖武天皇の勅命によって弘法大師が来錫し、本尊を神峯神社に合祀して観音堂と号した。その時、諸堂を整え四国霊場札所に定めたとされる。明治の神仏分離で一時廃寺となり、本尊の十一面観世音は金剛頂寺へ移されたが、明治20年(1887年)に住職間崎天竜師が再建し、竹林山地蔵院と改め、昭和に入り現在の神峯寺となった。
堂塔
山門は龍園尼の発願で建立。本堂、大師堂は急な山の斜面に建てられている。境内には清澄な霊水が湧き出ており眼下に美しい紺青の海原が望まれる。
その他
行事
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その他の情報
- 神峯山(標高452m)の山頂近くに建つこの寺は遍路泣かせの急勾配。勾配45度、1.3kmの急坂は「真っ縦」や「遍路ころがし」と呼ばれ、土佐路の関所寺とされていた。お四国詣り6つの難所(鶴林寺・太龍寺・神峯寺・横峰寺・雲辺寺・焼山寺)の1つといわれる。
- 山門から本堂までは、約150段の石段を上がる。その両脇には四国霊場随一といわれる美しい日本庭園が配されている。
- 本堂へ向かう石段の脇からは岩清水が流れ落ち、霊水「神峯の水」と呼ばれている。危篤の女性が、弘法大師にここの水を飲ませてもらう夢を見、夢から目覚めた女性は一命を取りとめたといわれる。後にその霊水を探して四国霊場をまわったところ、この神峯寺で見付けたとの伝説が残っている。
- 三菱財閥創始者である岩崎弥太郎の母親が、息子の開運を祈願して熱心にお参りしたことでも知られている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日