ギニアビサウ
ギニアビサウの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/w_africa/gnb.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ギニアビサウ共和国【Guinea-Bissau】。公式の英語表記は、Republic of Guinea‐Bissau。
- 首都
- ビサウ【Bissau】
- 国旗
- 人種
- バランタ族、フラ族、マンジャカ族、マンディンカ族、パペウ族等
- 言語
- ポルトガル(公用語)、クレオール語
- 宗教
- 原始宗教50%、イスラム教45%、キリスト教5%
- 通貨
- CFA(アフリカ金融共同体)フラン:Communaute Financiere Africaine Franc(XOF)(1997年以前はギニアビサウ・ペソ)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- GNB/GW/624
- 人口/面積
- 1,388,363人/36,120平方キロメートル(九州とほぼ同じ)
- 国歌/国花/国鳥
- それは最愛の我が国/-/-
- 漢字による表記
- 幾内亜美須
- 時間帯
- UTC 0(DST: なし)
- ccTLD
- .GW
- 国際電話番号
- 245
ギニアビサウのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-21T00:00:00+09:00
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ギニアビサウの地形
アフリカ西部の大西洋に面した国で、いくつかの河川が流れる大陸部と沖合いのビサオ島とビジャコス諸島からなる。セネガル、ギニアに接する。沿岸地方は多くの入り江があり、高い山は無く国土の半分は海抜0mに近い。国内の最高所でも標高は310m。
ギニアビサウの気候
高温多湿の熱帯雨林気候。6〜11月は雨季で、12〜5月はサハラ砂漠からのハルマッタン(乾燥熱風)による暑く乾燥した乾季。
ギニアビサウの経済
工業、鉱業はほぼ存在せず、労働力の8割が従事する主要産業の農業も米などの自給農業が中心。にも関らず、国内需要すら満たせないほど生産性が低く、穀物輸入国である。商品作物としては落花生と油ヤシを生産。エビやイカをはじめとする漁業が急速に発展。東部高原ではボーキサイトとリン鉱石が発見されているが、開発には至らず。企業家層がおらず識字率も低いため、経済発展の基礎的な条件が存在していない。産業と呼べるものがほとんど無いため、世界最貧国のひとつとなっている。
主要貿易品目
輸出はカシューナッツ、魚、エビ。輸入は食料品、資本財、石油製品。
主要貿易相手国
輸出はインド、アメリカ、ナイジェリア、イタリア。輸入はセネガル、ポルトガル、オランダ、中国。
ギニアビサウの歴史
- 1446年:ポルトガルがこの地域一帯の領有を宣言。
- 1630年:ポルトガルが総督府を設置。
- 1765年:ビサウに奴隷貿易の拠点が設置。
- 1879年:カーボベルデ諸島植民地から分離して単独の植民地となる。民族主義的集団が形成され、武装蜂起が度々起こる。
- 1951年:ポルトガルの憲法改正により、植民地から海外州・県となる。
- 1956年:アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)による独立・民族解放運動が始まる。
- 1973年1月:アミルカル・カブラルがギニアにて暗殺される。
- 1973年9月24日:東部の町マディナ・ド・ボエにおいてギニアビサウ独立共和国の独立を宣言。初代大統領は暗殺されたアミルカルの弟のルイス・カブラル。
- 1974年9月10日:ポルトガル政府により正式に独立が承認。
- 1980年11月:ジョアン・ヴィエイラによるクーデターが発生し、革命評議会が全権を掌握する。
- 1984年5月:革命評議会に代わり国家評議会が設置され、ヴィエイラが議長に就任。
- 1985年11月:コレイラ国家評議会副議長によるクーデター未遂。
- 1990年:ヴィエイラ、複数政党制民主主義への移行を表明。
- 1991年5月:憲法改正(複数政党制への移行)。
- 1993年:クーデター未遂事件。
- 1994年8月:大統領選挙(ヴィエイラ大統領当選)
- 1998年6月:一部軍人(マネ前参謀長ら)による反乱発生。これをきっかけに内戦が発生し、避難民30万人がビサウに流入。
- 1999年5月:クーデターでヴィエイラ大統領亡命、サーニャ国民議会議長が暫定国家元首に就任。
- 1999年11月:大統領選挙(第1回投票)、国民議会選挙。
- 2000年1月:大統領選挙(第2回投票)、(クンバ・ヤラ候補当選)。
- 2003年9月:ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ将軍の無血クーデター発生、ヤラ大統領辞任・逮捕。エンリケ・ホザが臨時大統領に就任。
- 2004年:セアブラ将軍が死亡。議会選挙によりPAIGCが勝利。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相による連立政権樹立。
- 2005年:ヴィエイラが大統領に就任。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相が更迭され、アリスティデス・ゴメスが首相に。
ギニアビサウの文化
- 言語は公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を話す人の割合はあまり高くなく、ポルトガル語をベースにしたクレオール語が共通語としての役割を果たしている。ほかにバラント語、フラ二語、マリンケ語などの現地語などがある。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月21日