セントクリストファー・ネイビス
セントクリストファー・ネイビスの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-28T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/c_america/kna.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- セントクリストファー・ネイビス【Saint Kitts and Nevis】。公式の英語表記は、Saint Christopher and Nevis。
- 首都
- バセテール
- 国旗
- 人種
- アフリカ系が大半を占める
- 言語
- 英語(公用語)、パトア語(フランス語ベースのクレオール語)
- 宗教
- カトリック、他に英国国教会等
- 通貨
- ECドル:East Caribbean Dollar(XCD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- KNA/KN/659
- 人口/面積
- 38,836人/261平方キロメートル(熊本市とほぼ同じ)
- 国歌/国花/国鳥
- おお美しき地/-/-
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC -4(DST: なし)
- ccTLD
- .KN
- 国際電話番号
- 1-869
セントクリストファー・ネイビスのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-28T00:00:00+09:00
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セントクリストファー・ネイビスの地形
西インド諸島の小アンティル諸島にあるセントクリストファー島(セントキッツ島)(168平方km)とネイビス島(94平方km)の2つの島からなる。両島の間には幅3kmのナローズ海峡があり、直径100m足らずのブービー島が位置する。セントクリストファー島は火山島で、標高1156mの休火山ミゼリー山がある。島の最南端にはグレート・ソルト湖がある。山がちな島だが、島の南部には平地もあり人口が集中している。島の北部は山がちで火山性の黒浜の海岸が多い。ネイビス島も火山島で休火山の標高985mのネイビス山があり、島の周囲は珊瑚礁が多い。
セントクリストファー・ネイビスの気候
熱帯海洋性気候で、北東貿易風により1年中快適な気候。極端な雨季や乾季はなく、年間降水量は1300〜1500mm程度。
セントクリストファー・ネイビスの経済
伝統的には農業、特に砂糖生産に大きく依存しているが、近年の経済多角化策の下で、柑橘類など砂糖以外の農産品、観光業、オフショア金融の振興に努めている。農業ではサトウキビのほかにココナッツや綿花の栽培もおこなわれている。また、電機機械の組み立てが産業として確立している。
主要貿易品目
輸出は砂糖、ロブスター、電気部品。輸入は機械類、工業製品、食料品、衣類。
主要貿易相手国
輸出はアメリカ、カリブ諸国、イギリス。輸入はアメリカ、カナダ、カリブ諸国、イギリス、日本。
セントクリストファー・ネイビスの歴史
- 1493年11月12日:クリストファー・コロンブスによってセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島が発見される。
- 1623年:トーマス・ワーナー卿、セントクリストファー島に到着。
- 1624年:ワーナー卿がイギリスの入植者一団を連れてセントクリストファー島へ初入植。
- 1625年:フランスのピエール・ブランもフランスからの入植者を引き連れて島に入植。
- 1626年:イギリスとフランスの入植者との間で悪化。先住民のカリブ族はイギリスとフランスの入植者によって大虐殺され、生き残った者は島から追われる。
- 1627年:イギリス人入植者とフランス入植者との条約によりセントクリストファー島の中部がイギリス、北部と南部がフランスと分割される。
- 1628年:セントクリストファー島のイギリス入植者たちがネイビス島へ入植。
- 1629年:スペインがセントクリストファー島を侵略するがすぐに島から去る。
- 1664年:イギリスとフランスとの間で島の争奪戦争が起こる。
- 1671年:セントキッツ島とネイビス島はイギリスの知事下でリーワード諸島連邦の一部になり、アンティグア島とモントセラトも加わる。
- 1713年:ユトレヒト条約によりフランス人入植者はイギリス人入植者の領土の主張を諦めセントクリストファー島は完全にイギリス領となる。
- 1782年:フランスが再び島を襲うが、1783年ベルサイユ条約によりイギリスへ島を返還。
- 1861年:セントキッツ島、ネイビス島、アンギラ島と、さらにイギリス領ヴァージン諸島は一つの植民地として1871年まで管理される。
- 1882年:セントキッツ・ネイビス・アンギラはリーワード諸島連邦内で「大統領」として確立される。
- 1932年:セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP)、独立のためのキャンペーンを行う。
- 1958年:イギリス領西インド連邦に加盟。
- 1956年:セントキッツ島とネイビス島とアンギラ島はセントキッツ・ネイビス・アンギラとなり、別々のイギリスの植民地となる。
- 1967年:セントキッツ・ネイビス・アンギラとしてイギリス自治領となり、労働党政府のロバート・ブラットショーが初代首相に就任。
- 1967年5月30日:アンギラ政府がこの決め付けに不満を抱きアンギラにいる17人のセントキッツ警察を島から追放。
- 1967年7月12日:アンギラが単独で独立を宣言。
- 1969年:アンギラ島政府がアンギラ共和国の成立を宣言。
- 1969年6月19日:イギリスが2台の護衛艦を使いアンギラに軍を派兵。イギリスの植民地統治下に復帰。
- 1971年8月6日:島の管理をイギリスに返したアンギラ法がイギリス議会で可決。
- 1980年:アンギラが正式にセントキッツ・ネイビスから分離。
- 1983年9月19日:セントクリストファー・ネイビスとしてイギリスから独立。人民行動運動(PAM)のケネディ・シモンズが独立最初の首相に就任。
- 1983年9月23日:国連加盟。
- 1989年:大型ハリケーン「ヒューゴ」に襲われ国の主産業であるサトウキビや電力供給に深刻な被害がでる。
- 1993年11月:選挙でシモンズ首相が再任。
- 1995年:SKNLPのデンジル・ダグラスがシモンズを破り首相に就任。
- 1998年:ネイビス島の分離独立を伺う住民投票で、賛成票が61.83%と、分離に必要な2/3にわずかにとどかずネイビス島の分離独立は出来ず。
- 2000年3月:与党のSKNLPが1議席伸し、ダグラス首相が再任。
セントクリストファー・ネイビスの文化
- セントクリストファー島は、クリストファー・コロンブスが自分自身の名前の由来でもある聖クリストファ(聖クリストフォルス:St. Christopher)の名をこの島に付けたことが由来。クリストファーという人名の愛称はキッツなのでセントキッツ島とも呼ばれる。
- ネイビス島は、ネイビス山の頂上が真っ白な雲に覆われている様子を見て、山の頂上に雪が積もっていると勘違いした事から雪を意味するネイビス(雪)が付けられたとされる。
- イギリス連邦加盟国。
- カリブ共同体(CARICOM)加盟国。
- 旧西インド連邦構成国及び地域の1つ。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月28日