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https://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b17_manganzi.html#basic
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寺伝によれば、天平神護元(765)年に勝道上人が創建したという。それ以前にも、現在奥の院と呼ばれている霊窟の鐘乳石は全く自然に生れた十一面観世音菩薩の後ろ姿として拝まれていた。天平時代、下野の国司であった若田氏高藤介と妻女の明寿は子宝に恵まれないことを嘆き、この観音様に祈念したところ男子を授かり、この子が後に出流山を開祖する勝道上人であったといわれる。上人はこの尊像に深く帰依し、二十歳にしてこの霊窟で三か年修行、やがて男体山の登拝、日光山を開創したといわれる。
弘仁11(820)年、空海が勝道上人の徳を慕って参詣し、この岩窟への参詣だけでは難儀であろうと当山の銘木で千手観世音菩薩を造立。千手院として称えたのが、今の満願寺といわれている。応永年間(1397〜1428)に足利義満が寄進したお堂は焼失、明和元(1764)年に道杲によって再建されたのが、八間四面の現在の大御堂である。
本堂は明和元(1764)年の建立といわれ、栃木県の重要文化財。全体が弁柄漆塗りで、彫刻には彩色を施し、要所を黒漆塗りと飾金具で荘厳さを漂わせている。
山門は享保20(1735)年の建立といわれ、栃木市の文化財。「出流山」の扁額は、輪王寺守覚法親王御染筆。
当山の奥、剣ケ峰の中腹には七つの霊窟(鐘乳洞)があり、特に観音霊窟は奥の院と呼ばれている。本堂脇から、途中大悲の滝もある奥の院への道のりは1.5km。山道には如蓮地蔵堂、聖天堂、女人堂などもある。
出流鍾乳洞は、栃木市指定天然記念物。鍾乳石は100年に1cm程度しか延びないもので、この十一面観世音の後姿は5万年以上かかって出来上がったものと考えられている。
奥の院のお堂の前には、落下6mの大悲の滝がある。ここで行者は垢離を行い、かつて修験者たちは21日の間この滝に打たれなくては日光山への入峰は許されなかったといわれている。
出流自然林は、栃木市指定天然記念物。
出流山会館との宿泊施設がある。一泊二食付で昼食のみも可。料理は当山の精進料理。
縁起から、この十一面観世音菩薩は子授け・子育て観音として多くの信仰を集めている。
七万坪に及ぶ境内には、かつては福性院はじめ八か院があった。
満願寺の観音堂は大御堂と呼ばれ、筑波山、興福寺とともに日本三御堂の一つとされている。
奥の院をはさんで大日如来と弘法大師の霊窟があり、これを巡るのを「出流山厄除け三山めぐり」と呼んでいる。
奥の院が女人禁制だったこともあり、女性の方は奥の院山道の女人堂でお参りをしたといわれている。
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