フィリピン
フィリピンの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
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- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- フィリピン共和国【Philippines】。公式の英語表記は、Republic of the Philippines。
- 首都
- マニラ【Manila】
- 国旗
- 人種
- マレイ系が主体。他に中国系、スペイン系、及びこれらとの混血、更に少数民族等がいる。
- 言語
- 国語はフィリピノ語、公用語はフィリピノ語と英語。その他80前後の言語がある。
- 宗教
- 国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、イスラム教は5%。
- 通貨
- フィリピン・ペソ:Philippine Peso(PHP)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- PHL/PH/608
- 人口/面積
- 86,241,697人/300,000平方キロメートル(日本の8割の広さ)
- 国歌/国花/国鳥
- 最愛の地/マツリカ/フィリピンワシ(タカ科)
- 漢字による表記
- 比律賓/非力彬/非立賓
- 時間帯
- UTC +8(DST: なし)
- ccTLD
- .PH
- 国際電話番号
- 63
フィリピンのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
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フィリピンの地形
アジア大陸の東南に位置し、ルソン、ミンダナオ、ヴィサヤス諸島などを中心とする大小7,109の島々からなる島国。東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がり、日本とフィリピン海上で国境を接する。環太平洋造山帯に属し、山がちな地勢で活火山が多く地震も発生する。海岸にはサンゴ礁が発達し、群島の東側にはフィリピン海溝が南北に走っている。
フィリピンの気候
高温多湿の熱帯モンスーン気候。南西モンスーンが吹く5〜11月が雨季で、スコール性の雨が降り台風の襲来も多い。南部のミンダナオ島は熱帯雨林気候。
フィリピンの経済
労働人口の半数近くが農漁業に従事する。米、トウモロコシなどの自給用作物と、バナナ、ココナツ、サトウキビなど輸出用の商品作物が栽培される。地主と小作人の関係が現在も続き生産性が低く、また商品作物が中心であるため食糧は輸入に頼る。農村部では半数以上の住人が1日1ドル以下の生活をしているとされる。林業も盛んであったが、伐採が深刻な環境問題を引き起こしている。地下資源が豊富で鉄鉱石、銅、ニッケルなどを産出。工業は従来からの軽工業に加え、海外からの投資により電子部品や機械部品が伸びている。セブ島やボラカイ島などリゾートを中心とした観光業も主要な産業。石油価格の変動を受けにくいため、近年は外資の直接投資も増え始め経済通貨は比較的安定してきている。1990年代のアジア通貨危機でもフィリピンはIMFの管理下にならなかった。フィリピンの経常収支は800万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられているとも言われている。
主要貿易品目
輸出は電子・電気機器、輸送用機器等。輸入は通信・電気機器、電子部品、発電用重電機器等。
主要貿易相手国
輸出はアメリカ、日本、中国。輸入はアメリカ、日本、シンガポール。
フィリピンの歴史
- 1521年:マゼランのフィリピン到着。
- 1571年:スペインの統治開始。
- 1896年8月26日:独立革命開始。スペイン支配に反抗したアギナルドが蜂起。
- 1898年:米西戦争中の6月12日、アギナルド将軍が独立を宣言。米西パリ講話条約調印により、アメリカの統治開始。
- 1935年11月15日:フィリピン連邦共和国が成立。アメリカが監督権を保持。
- 1935年:独立準備政府(コモンウェルス)発足。
- 1942年:日本軍政開始。
- 1943年:日本主導下でフィリピン共和国が成立(日比同盟条約を締結)。
- 1945年7月5日:連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が、フィリピン全土の解放を宣言。
- 1945年10月24日:国連加盟。
- 1946年7月4日:フィリピン共和国独立。
- 1951年7月17日:フィリピン最高会議が、アメリカの対日講和草案への反対方針を承認。
- 1965年:マルコス大統領就任(1972年戒厳令布告)。
- 1983年8月21日:マニラ空港で、米国亡命から帰国したアキノ元上院議員が国軍兵士に連行された直後に射殺される。
- 1986年:2月革命によりアキノ大統領就任、マルコス大統領亡命。
- 1989年12月6日:国軍の反乱により国家非常事態宣言発令。翌日国軍が投降。
- 1990年7月16日:ルソン島でM6.2の地震。
- 1990年10月6日:国軍部隊が反乱。鎮圧に乗り出した国軍に無条件降伏。
- 1991年9月16日:フィリピン議会がアメリカとの「基地貸与協定」の更新を拒否。米軍のフィリピン駐留が終了。
- 1992年11月24日:フィリピンからアメリカ軍が撤退を完了。
- 1992年:ラモス大統領就任。
- 1998年:エストラーダ大統領就任。
- 2000年12月30日:マニラ首都圏で連続爆弾テロ。22人死亡、100人以上負傷。
- 2001年:アロヨ大統領就任。
- 2004年:アロヨ大統領当選。
- 2007年1月15日:フィリピンのセブ島で、第2回東アジアサミット開催。北朝鮮に対し拉致問題解決を求める議長声明を発表。
フィリピンの文化
- 国名は、1542年にスペイン皇太子フェリペ2世の名から、フィリピナス諸島と名づけられたことに由来。名付け親は当時のスペインのメキシコ総督ヴィラロボス。
- 首都マニラは現地語のタガログ語の、「藍の原料となる草【nila】」の前に「ある【mai】」がついたものが語源。
- 現行の1987年憲法は、フィリピノ語を国語と定めるとともに、「フィリピンの公用語はフィリピノ語と、法律による別の定めがあるまでは英語である」と規定し、将来はフィリピノ語だけを唯一の公用語とすることを宣言している。
- フィリピンに台風が来襲する回数は、毎年20〜30回で、上陸回数は年平均9回。被害も深刻なため、フィリピン気象庁では毎年台風シーズンになると4段階の警報を出して注意を呼びかけている。シグナル1:小さな木の枝が折れる程度の暴風雨。シグナル2:ココナツの木が倒れたり傾いたりする暴風雨、一部の学校や会社は休みとなる。シグナル3:殆ど全てのバナナの木が倒れる暴風雨、学校や会社は全て休み。シグナル4:大きな木が根倒しとなる暴風雨、この段階では非難するには遅すぎるとされる。
- フィリピンの国歌には4か国語の歌詞があり、そのどれも正式な国歌として認められている。フィリピン国歌が正式に発表されたのは1898年6月12日の独立宣言の国旗掲揚の際。その翌年に詩人フリアン・パルマがスペイン語で詩をつけた。その後、フィリピンがアメリカの統治下に置かれた際、スペイン語の歌詞は英語と現地のタガログ語に訳された。更に1986年2月、反政府活動を続けるイスラム教徒との宥和をはかるためにアラビア語の歌詞が作られた。一般的にはタガログ語で歌われることが多い。
- 準国歌的に親しまれている『わが祖国』との曲もある。
- スプラトリー諸島(南沙諸島)で領有権問題あり。
- 東南アジア諸国連合加盟国。
- アジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月12日