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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s23_yakuouzi.html#basic
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神亀3年(726年)に、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基。弘仁6年、弘法大師が42歳のとき、天城天皇が大師に衆生の厄除け祈願寺をとの勅命を下した。そこで大師は自他の厄除を誓願して本尊の薬師如来を刻み、厄除けの根本祈願寺として開山した。以来、嵯峨、淳和、後鳥羽天皇の尊信を得て、また歴代天皇は厄除け祈願の勅使を薬王寺へ下向させている。文治4年(1188年)の災火で本尊は玉厨子山へ移されたが、再建後は新しい尊像が造顕されたため、元の尊像は後向きに本堂へ入られ「後向薬師」とよばれている。嘉禄2年(1226年)には、土御門上皇が皇后として住んでいたとされる。その後も嵯峨天皇が伽藍を再建、仁助法親王が落慶供養をしたり、藩政時代には蜂須賀家から寺領を賜るなど、厚い信仰を集めた。現在の本堂は明治36年の建立。現在も厄除けの寺として全国的に有名で、参拝する人が後を絶たない。
薬王寺は日和佐の町を見下す山の中腹にあり仁王門から三十三段の女厄坂。本堂までの四十二段の男厄坂がある。
本堂右手の還暦厄坂を上ると瑜祇塔がある。真言宗の経典である瑜祇経の教理を形に表したもので、塔の高さは約30m。地下は真っ暗な戒壇めぐりになっており、閻魔図などの書画が展示されている。一階には弘法大師の生涯を著した、「高野大師行状図画」を展示している。これは約700年前のもので国宝に指定されている。2階の展望台には幸せを運ぶとされる金色の亀がいる。
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厄除け橋を渡って仁王門をくぐると厄坂がある。女厄坂は三十三段、男厄坂は四十二段、還暦厄坂は六十一段ある。石段の下には薬師本願経を小石に一字ずつ書かれたものが埋められていて、一段ごとに賽銭を置きながら上がっていくのが習わしとされる。階段を上りきったところの絵馬堂には厄除け臼があり、自分の歳の数だけ厄除けを祈願しながら杵でつき鳴らす。広場には厄除けの小さな鐘があるので、これも自分の年の数だけ打つと厄が鳴り落ちるといわれている。正月にはお賽銭として供えながら上る人もあり、一円玉で石段が埋まるという。四国一の厄除けの寺だけに年間百万の人が参拝するといわれている。
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