パルメニデス【Parmenides】

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パルメニデス(BC544年頃〜BC501年頃)

最終更新
2007-09-30T17:00:51+09:00
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古代ギリシャの哲学者で、哲学史上初めて「ある」とはどのようなことかについて論理的に問いかけた、エレア学派の創始者。ギリシャの植民地だった南イタリアのエレア出身で、ピタゴラス学派アナクサゴラスの弟子・クセノファネスから教えを受けて哲学の道を歩むこととなった。同じくピタゴラス派のアメイニアスからも教えを受けたとされる。クセノファネスやエンペドクレスに倣い、伝統的なギリシャの叙事詩(ダクテュリコス・ヘクサメトロス:dactylikos hexametros)をモチーフに著した『自然について』が断片的に残されている。これは女神が真理を語るとの体裁を採り、自分の思想が高遠なものであるため、人の口からではなく女神の口から語ってもらうのが相応しいと考えたとされる。

『自然について』は2部構成であり、「真理(アレーティア)に従うもの」と「意見(ドクサ:思惑とも)」に分けられる。第一部の「真理に従うもの」では、「有」の概念について説いている。これは、それまでのミレトス学派のアルケー探求を土台から否定するものであり、後の哲学的思索の流れに大きな影響を与えた。パルメニデスは、真の意味で「ある」ということは、他の何ものの助けもなく、それ自身で完全にあり、しかも永遠にあり続けるということと説いた。それ以外のあり方は中途半端で不純なあり方で、本来の意味で「ある」ものが無から生じてきたり、あり方が変化して無にかえったりすることは、本来の存在にはありえないこととした。こうしてパルメニデスは、アルケーと呼び得るのは不変不動の一者であり、更にそれは球形であると結論付けたのである。

またパルメニデスは、我々が心理を知り得るのは正しく考えることによってのみだとも主張をした。考えるという作業は必ず何かについての思考であり、ないものを思考の対象にするのは不可能である。すなわち、正しく思考され得るものだけが本当の意味で存在し、我々が世界を知るためには、まず何よりも知ること自体に立ち返りそれを成立させる条件を考えなければならないとしたのである。これをパルメニデスは、「思考(されるもの)と存在(するもの)は同一である」との命題で表現をした。そして、思考のみを真理への道とみなすことで、感覚に映る現象がいかに多様で変化に富んでいようとも虚偽(思い込み)にすぎないと主張をした。これは、それまでのアルケーに関する思索を全面的に否定する発想である。

例えばニワトリは、卵・ひな・成鳥と姿を変えるが、それは見た目が変化しているに過ぎない。変化しない「ニワトリである」との概念こそが本当の意味での「存在」であり、本当の存在とは変化や現象の背後にある永遠に変わらないもののことを言うとした。パルメニデスは、感覚に頼るべきではなく理性によって論理的に考えるべきだとし、論理的な考えを哲学史で初めて哲学に持ち込んだ人物なのである。後の人々はこの永遠不変のものを、現象の背後にありその現象を成り立たせているものとして「実体」との言葉で表した。

第二部の「意見」では、世界には真の「有」のほかに人間の感覚の前に現れる様々な現象があるとしている。これらが絶えず生成消滅しているかのようにみえるのは感覚によるものとしながらも、それらを体系的に説明している。それによると様々な現象は2組の不変な要素の混合から説明され、全てのものは暖かいものと冷たいもの、即ち火と土の混合とした。暖かいものは「有」と結び付けられ、冷たいものは「無」と結び付けられたのである。これは、無は本来の存在ではないとした第一部の内容と矛盾しているものである。ただし、第一部が真理に従い必然的なことを確信するのに対し、第二部は事物のその時々の偶然的な外観に感覚的に惑わされて矛盾したことをいう愚衆の見解とされたといわれるため、パルメニデス自身の考えは矛盾していないのかもしれない。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月05日 最終更新:2007年10月05日