ゼノン【Zenon】

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ゼノン(BC490年頃〜BC430年頃)

最終更新
2007-10-14T13:08:52+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/philosophy/zenon.html#what

パルメニデスの弟子で、古代ギリシャの自然哲学者で南イタリアのエレア出身。師の考え方をパラドクス(逆説)を用いて援護。アキレスと亀のほか、飛ぶ矢は飛ばずなどの様々な逸話を使い感覚は全て疑わしいものであること、特に運動と変化は不可能であるとの学説を論証するに至った。

質疑応答によって知識を探求する方法は、ゼノンによって初めて組織的に実践されたといわれる。彼の論法は、もし存在が多であるならばそれは有限であると共に無限である、というような矛盾した結論を相手方の主張を前提とすることから導き出し、これを反駁するところに特色がある。これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。パルメニデスの議論を聞いた人々は、それが理屈としては正しいのかもしれないが、自分達の感覚に現れる多様な現象が全てまやかしにすぎないというのは、いきすぎだと感じたようである。ゼノンはこれに対して、人々の常識や通念の矛盾点を指摘することで、裏から師であるパルメニデスを擁護しようとしたのである。

この一と多の関係についての議論の中から、有名な独特の議論、ゼノンのパラドクスが提示された。「一があるのであって多があるのではない、多があるとすれば運動は不可能である」との学説を、ピタゴラス派の多を主張する立場を批判して唱えたものである。つまりゼノンは、世界が不可分な要素的な点やアトムからなるとすれば運動は背理となることを示そうとしたのである。運動不可能を論じた「アキレスと亀」や「飛ぶ矢は動かず」といった論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われている。どちらにせよ、「実在するものが世界の全てであり、変化も運動も存在しない」。これこそゼノンがパルメニデスから継承した命題である。

ゼノンの世界観では、複数の世界が存在するものの虚空間は存在せず、万物の本質は「温」・「冷」・「乾」・「湿」の諸要素から成り、これらは相互に変化するものであることとされた。また、人間は大地から生まれたものであり、魂は既述の4要素が混合したものだがどの要素も優位を占めない状態にあるとした。

ゼノンのパラドクス

二分法

ある距離を進むには、まずその半分の距離を通過しなければならない。そこまで進むためにはそのまた半分の距離を通過しなければならない。このことをどこまでも考えていくと、結果として最初から一歩も進めないことになり、移動を開始することすら不可能となる。

アキレスと亀

足の速いことで有名なアキレスが、1000m後ろからのろまな亀を追いかけるとする。アキレスが亀に追いつくためには、まず亀の最初のスタート地点にたどり着かなければならないが、そのとき既に亀はそれにかかった時間の分だけ前進している。今度はその差の分だけアキレスは進まねばならないが、やはりまたその分だけ亀はさらに前進している。これをどこまでも考えていくと、いつまで経ってもアキレスは亀に追いつけないことになる。

飛んでいる矢は止まっている

矢が飛んでいる際、矢はある瞬間にある場所に位置している。僅かな時間に区切って見れば、矢は少ししか移動していない。この時間をどこまでも短くすれば、矢が動く時間はなくなり同じ場所に留まらざるを得なくなる。同様に次の瞬間にもまた同じ場所に留まっているはずである。こうして矢はどの瞬間にも同じ場所から動くことはできず、同じ場所に留まらなくてはならない。従って、飛んでいる矢は止まっている。

競技場

競技場において、1秒間に1mの距離を移動することができる2台の馬車を考える。それぞれの馬車は逆方向に進むものとし、移動開始から1秒後には2台の馬車はそれぞれ元の位置から1m移動している。このとき、いずれかの馬車に対してもう一方の馬車は2m移動している。つまり、馬車は1秒間に1m移動しようとすれば2m移動しなければならないことに成り、これは不可能である。だから馬車の運動は不可能である。

パラドクスの数学的解釈

パラドクスを解決するためには、何を前提とした議論なのかを考える必要がある。パラドクスのいくつかは無限の概念に関係しているが、数学においても無限について厳密に取り扱えるようになるのは近世以降のことである。17世紀以降に発展した微分・積分学、特にその中の級数や極限の概念を前提とするならば、アキレウスと亀の問題は「考えをいくらでも続けることができる」から「いつまで経っても追いつけない」との結論に飛躍があるとみなせる。ただし級数や極限を用いた数学的な解釈も、ゼノンのパラドクスにおける前提を正確に反映しているかどうかは定かではない。有限を無限の回数の加算の結果と「みなしうる」という独自の前提を定めて、アキレスのほうが亀よりも速い(級数が収束する)からアキレウスは亀に有限時間内に追いつけるとしているだけであり、ゼノンのパラドクスに対する反論に都合のよい前提を持ってきただけとも言えるため、数学における極限の概念を持ちだしただけではゼノンのパラドクスを解決したことにはならない。数学上の概念によって説明される場合には、数や連続性や極限、無限の概念などにいくつかの仮定を用いているが、パラドクスの指している状況と数学モデルの置いている仮定が同一のことなのかということが哲学的な議論の対象になる。例えば無限回の加法と自然言語で記述されていても、それが有限加法性のことなのか完全加法性のことなのかは自明ではない。数学的な解釈がゼノンのパラドクスについて示唆してくれることは、ゼノンのパラドクスがパラドクスでなくなるような視点がある数学モデルにより得られるということであり、その数学モデルはニュートン力学と親和性が高いものであるということに過ぎない。

ゼノンの残した名言

その他

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月05日 最終更新:2007年10月14日