アナクサゴラス【Anaxagoras】

広告

広告

アナクサゴラス(BC500年頃〜BC428年頃)

最終更新
2007-10-08T17:13:36+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/philosophy/anaxagoras.html#what

古代ギリシャの自然哲学者で、アナクシメネスの弟子とされる。小アジア・イオニアの植民都市クラゾメナイで生まれ、紀元前480年頃アテネに移住した。パルメニデスの議論を踏まえつつ、感覚世界の多様化と変化をも説明しようと試みたのが多元論者と呼ばれる人々であり、その代表者の1人がアナクサゴラスとされる。アナクシメネスは、アルケーの複数性が許容されるのであれば、その数がエンペドクレスの唱えるように4つに限られる必然性はないと考えた。

アナクサゴラスは、空気をアルケーとみなした師アナクシメネスの発想を踏まえ、この世界にはありとあらゆるアルケーが存在し、それらは限りなく分割され、無限に小さく無限に多いものだと考えた。このようなアルケーをアナクサゴラスは「スペルマタ【spermata】(種)」と名付け、スペルマタが万物の源をなしていると考えたのである。スペルマタとしてのアルケーは、目に見えないほど小さいため人間には知覚できないが、同種のスペルマタがある一定数以上集まると知覚できるようになる。ただし、ある物質が同種のスペルマタだけで構成されているわけではなく、それぞれの物体には全てのスペルマタが含まれているとアナクシメネスは考えていたようである。その物質を特徴付けるスペルマタを多く持っていれば、その物質の特徴が現れるのである。

また、アナクサゴラスは、無数のスペルマタが混沌とした状態で存在している原初の世界に秩序をもたらし、生成をうながすきっかけとして作用する力を「ヌース【nous】(知性/理性)」と呼んだ。これは、エンペドクレスが想定した「斥力(愛と争いの力)」に相当するものである。世界のあらゆる物質は無数のスペルマタの混合によって生じ、宇宙の生成において混沌としていたスペルマタがヌースの働きによって次第に分別整理され、現在の秩序ある世界ができあがったというのが、アナクサゴラスの根本思想である。

このように考えれば、感覚世界に現れる生成や変化、消滅は、決してスペルマタの変化などではないことになり、パルメニデスの存在感には抵触しない。初めからあるものが増えたり減ったり、変化したりするのではなく、含まれるスペルマタの割合や量が変わるだけなのでエレア派の要求も満たしていることになる。更に、万物が無限小の微粒子であるアルケーから作られているとすれば、当然それは無限に分割できるものであるため、ゼノンのパラドクスもかわせるものと考えたのである。

アナクサゴラスの考えたヌース観

あらゆるもののうちにあらゆるもののスペルマタがあるが、ヌースは別だ。だが、その知性もまた内在するようなものがいくつかある。

ヌースは無限で独立自存し、何ものとも混合せず、ただひとり、それ自身で、自らのもとにある。

(中略)

またヌースは、回転運動全体を支配したため、原初において回転運動が生じた。最初は小さな領域から回転運動が生じたが、今ではより広範囲にわたって回転運動が行われ、これから先もいっそう広い範囲にわたって回転運動が行われることだろう。そして、混合されたもの、切り離されたもの、分離されたもの、これらのもの一切を、知性は知ったのだ。また、あろうとしていた限りのもの――即ち、かつてあったもの、今あるもの、これから先あるであろうもの――の一切を、知性は秩序づけたのだ。

そしてヌースが運動を始めたとき、ヌースは動かされたものの一切から切り離され、ヌースが動かした限りのものはすべて分離された。ものが動かされて分離されるうちに、回転運動はさらにいっそう分離をひき起こすことになったのだ。

だが、常にあるものであるヌースは、他のすべてのものもまたあるところに、すなわち、まわりを取り囲む多のうちにも、またこれまで結合されたり、分離されてきたもののうちにも、今なお確かにあるのだ。

その他

広告

Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月08日 最終更新:2007年10月08日