安房国

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安房国の基本情報

最終更新
2010-03-22T16:05:01+09:00
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https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awa.html#basic
国名(よみ / 旧かな)安房国(あわのくに / あはのくに)
別名房州(ぼうしゅう / ばうしう)、安州(あんしゅう / あんしう)
延喜式の時代の等級中国、遠国
国府の所在地と現在地平群郡(へぐり) / 千葉県安房郡三芳村府中
総社鶴ヶ谷八幡宮
推定人口144,581人(1834年)
名物や名産品など鮪、鰹、海苔、干鰯、石材、長狭米、薪、房州団扇、笠
代表的な妖怪大東の旦那
現在の地名現在の千葉県南端にあたる。

安房国のその他情報

最終更新
2010-04-04T11:56:46+09:00
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https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awa.html#other

歴史

養老2(718)年5月2日、上総国の平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分け、安房国として独立。天平13(741)年12月10日に上総国に合したが、天平宝字元(757)年に元に戻され、東海道に属する一国となった。古代末期から中世にかけて、安房国は丸氏、長狭氏、安西氏、神余氏などの武士団が活動し、平安時代末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉期の守護は不明。室町期の守護には結城氏、上杉氏が就いた。

清和源氏新田氏の末流といわれる里見義実は、相州三浦氏の援助を受け、安房郡白浜の野島崎に上陸し、文安2(1445)年に諸豪族を滅ぼして安房を平定した。以後、里見氏は、六代義堯の頃に、上総下総に進出し、57万石を領して隆盛を誇った。その後、戦国の争乱で北条氏と戦い、次第に勢力が衰えていった。

天正18(1590)年、豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされ、北条氏についた諸豪族も滅亡した。里見氏は反北条氏として長年戦ってきたにも関らず、九代義康が遅参の咎めを受け、領国を安房一国とされる。後に、関東に入国した家康に臣従した。

慶長5(1600)年、関が原の役では、鹿島2万2000石の加封を受け、十代忠義も幕府に重んじられたが、慶長19(1614)年には小田原藩主大久保忠隣の改易に連座し、忠義は伯耆国に転封となる。その後は、東条藩、勝山藩、上総百首藩、北条藩、館山藩などの諸藩と幕府領、旗本領がおかれた。

街道

江戸時代の藩

国名延喜式吾妻鏡他郡名考・天保郷帳郡区編成現在
都道府県
安房平群(へくり)倍久里・平群平(へい)千葉県安房郡館山市・鴨川市
安房(あは)安房安房(あは)安房
長狭(なかさ)長狭長狭(ながさ)長狭
朝夷(あさひな)朝夷朝夷(あさい)朝夷

その他の情報

「安州(あんしゅう)」とも呼ばれるが、安芸国との重複を避けるために余り用いられない。

上総国阿幡郡、上総国阿波郡、上総国安房郡という表記の木簡が残っている。

村数は、280か村(天保期)。

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Copyright (C) 2010 七鍵 key@do.ai 初版:2010年03月22日 最終更新:2010年04月04日