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https://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b31_kasamoridera.html#basic
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延暦3(784)年に伝教大師が東国巡錫をしている際、尾野上の山頂に霊光を拝した。そこで山に登ってみると、山上に宝形の岩があり、その上に十一面観音を感得した。近づくと楠の古木があったため、その木で七尺六寸の尊像を刻み、仮堂を建てて安置したといわれる。これは、「光明と楠との縁をとりて大悲山楠光院と題し給へり」と『縁起』に記されている。
天慶年間(938〜947年)、獅子ヶ瀬と呼ばれるところに箕作りの貧しい民家があり、末娘の名前を於茂利といった。そのころ、上総国の国司に玉前明神の神託があり、府中市原で田植祭を催した。国中から乙女が呼ばれることになり、於茂利も府中に向った。その日は大雨で、尾野上の観音堂は雨漏りがし、濡れていた尊像を不憫に思った於茂利は、自分の笠を尊像に掛けたといわれる。祭に集った乙女の中で最も於茂利の器量がよかったため、国司は都に奏上、朱雀天皇の寵愛を得てついに后妃となった。後に於茂利は、尾野上に壮麗な観音堂を建立し、於茂利の笠ということから笠森と呼ばれるようになったといわれている。
長元元(1028)年、後一条天皇の勅命で、飛騨の工匠一条康頼と堀川友成が棟梁となり、舞台造りの本堂を建て、法東山と称して勅願寺とした。現在の本堂は、文禄年間(1592〜95年)の墨書銘が見付かっており、その頃の再建ではないかといわれている。昭和32年から35年まで、全解体復原大修理が実施され、その昔の姿に復旧し、あわせて防火その他の防災施設も完備した。
観音堂は、国の重要文化財。笠森寺観音堂 1棟、四方懸造、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、銅板葺、階段及び踊場を含む。岩山を背に、それぞれ高さの違う61本の柱で支えられた四方懸造で、日本唯一とされる特異な建築様式のもの。二代目広重の「諸国名所百景」の錦絵にも画かれている。
参道には、子授楠との霊木がある。この巨木には大きな穴があり、これをくぐると子宝に恵まれると言われている。
本尊は伝教大師が彫刻したと伝わるが、像の背面には応永33(1426)年仏師慶賛法眼が造立した旨の墨書がある。像高2.3mで、四臂を備えて右の二手には錫杖と数珠を、右の二手には蓮華と水瓶を持ち、岩坐に立っている。回廊からの入り口より一本の縄が渡されており、そこにはハンカチや手ぬぐいが折り重なって結ばれている。十一面観世音に願いがあるときには、ここに結ぶと必ず成就するといわれている。
鋳鋼唐草文釣燈籠は、国の重要文化財。
笠森寺自然林は、天然記念物。延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられ、暖帯林の残存林。
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