モントセラト
モントセラトの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-20T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_america/msr.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- モントセラト【Montserrat】。公式の英語表記は、。
- 首都
- (プリマス【Plymouth】、ただし現在はブレイズ【Brades】に臨時政庁が置かれている)
- 国旗
- -
- 人種
- アフリカ系黒人(96%)ムラート、白人
- 言語
- 英語(公用語)
- 宗教
- 英国国教会(38%)、メソジスト派(28%)、カトリック
- 通貨
- 東カリブ・ドル
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MSR/MS/500
- 人口/面積
- 9,245人/102平方キロメートル
- 国歌/国花/国鳥
- -
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC-4
- ccTLD
- .MS
- 国際電話番号
- 1-664
モントセラトのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-20T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/c_america/msr.html#other
モントセラトの地形
カリブ海に浮かぶ火山島。山がちな島で2つの火山プレートの衝突する上にあり、この境界に沿って起きる火山活動が小アンティル諸島を結成していると言われている。最高峰はスーフリエールヒルズ山(915m)。行政教区はセント・アンソニー【Saint Anthony】、セント・ジョージ【Saint Georges】、セント・ピーター【Saint Peter】の3つ。
モントセラトの気候
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モントセラトの経済
農業はバナナなど。観光も島の経済の有望な産業だが、他のカリブの島々と比べると遅れている。
モントセラトの歴史
- 1493年11月3日:クリストファー・コロンブスが2回目の航海の際に発見。当初スペインは入植していない。
- 1625年:チャールズ1世が植民地開拓を認める特許をイギリスに与える。
- 1631年:迫害を受けていたアイルランド人のカトリック教徒が、モントセラトとアンティグアに強制的に移住させられる。
- 1632年:セントキッツ島から来たイギリス人プロテスタント入植者達によってイギリスの植民地となる。
- 1782年:アメリカ独立戦争でフランスが占領する。
- 1782年:パリ条約でイギリスに返還される。
- 1958年:西インド連邦の一州となる。
- 1962年:再びイギリスの植民地となる。
- 1995年7月18日:スーフリエールヒルズ山【Soufriere Hills】火山噴火で人口の3分の2が国外へ避難。イギリスは救助のため軍艦を派遣する。
- 1997年:再びスーフリエールヒルズ山が噴火。
- 2002年:ナショナル・サッカーチームがFIFAランキング最下位203位。6月にアザー・ファイナルと称して202位のブータンと対決したものの、結果は惨敗。
- 2003年:1997年以来のスーフリエールヒルズ山の大噴火で多くの建物が破壊される被害がでる。
モントセラトの文化
- 現在はイギリスの海外領土。
- クリストファー・コロンブスが、スペインのバルセロナ近郊に聳え立つセラト山(モンセラート)から命名したとされる。
- 首府は島の南西に位置するプリマス【Plymouth】だが、1995年にスーフリエールヒルズ山の火山噴火で事実上壊滅し、現在はブレイズ【Brades】に臨時政庁が置かれている。
- 島の山肌は繁茂している植物群とアイルランドからの初期移住者にちなんで、カリブの「エメラルド島」、または「西のエメラルド」と呼ばれている。
- カリブ共同体(CARICOM)加盟国。
- 旧西インド連邦構成国及び地域の1つ。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月20日