成人式

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成人式とは

最終更新
2008-01-06T13:21:18+09:00
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https://www.7key.jp/data/word_custom/seijinshiki.html#what

成人式とは、地方公共団体などが成人式を行う年度内に成人に達する人々を招き、激励・祝福する行事を指す。現在は男女共に二十歳になると成人と認められる。1月15日を成人の日として国民の祝日にしたのは1948年からだが、現在は1月の第2月曜日が成人の日と定められている。

成人を祝う儀礼は古くからあり、男児が大人の仲間入りをする通過儀礼が行われ、これが現在の成人式に当る。すでに682(天武11)年には儀式として制定されており、奈良時代以後は「元服(げんぷく)」と呼ばれるようになる。元服の「元」は首、「服」は着用するとの意味であり、宮廷や貴族達の社会では13歳から15歳になると元服して少年の髪型を成人の髪型に変え、冠をかぶるようになり、衣服も成人の服装に変わったのである。中世以降の武家社会では、およそ15歳になると男子には元服の儀式があり、それまでの幼名から大人の名前に改め、烏帽子と呼ばれる冠をかぶることになっていた。元服の儀式では、父親や烏帽子親と呼ばれる人に烏帽子をかぶせてもらい、彼らから一字をもらって改名した。烏帽子親は長老や有力者などに頼むのが習わしであった。やがて江戸時代になると、烏帽子をかぶる風習はなくなるが、貴族や武士にならって庶民の間でも18から19歳で元服が行われるようになった。

一方、女の子の場合は、13歳頃から初潮を迎えるなど生理的に大人の条件を備えてくるため、平安時代中期には13歳から16歳頃に垂らしていた前髪を結い上げて髪上げをし、「裳(も)」(正装の際に着ける衣)を着てお歯黒をし、眉墨を描くことなどが許されるようになった。鎌倉時代以降は、成人女性と認められると袖留を着るようになり、江戸時代には裳を着たりお歯黒や眉墨は結婚後となるなど、時代によって女性の大人入りはかなり変化してきた。

日本における今日の形態の成人式は、1946年11月22日埼玉県北足立郡蕨町において実施された「青年祭」がルーツとなっている。敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となった。蕨市では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年の成人の日には市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して同市内の蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が同市によって建立された。蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した。それ以降、ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになった。その後、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動している。

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Copyright (C) 2008 七鍵 key@do.ai 初版:2008年01月06日 最終更新:2008年01月06日