布袋

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布袋とは

最終更新
2008-01-06T00:00:00+09:00
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布袋は「ほてい」と読み、日本の七福神の一柱。支那唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋に由来する。大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。布袋は、七福神の中で唯一実在した人物と考えられている。

布袋の由来

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布袋のモデルとなった僧の本来の名は「釈契此(しゃくかいし)」で、常に袋を背負っていたことから「布袋」との俗称がつけられたとされる。現在の七福神の絵に描かれるような太鼓腹の姿で、比較的小柄で破れた衣を着、定住せず処々を泊り歩いたといわれる。生臭物であっても構わず施しを受け、その幾らかを背負った袋に入れていたとされる。また、袋の中には日常生活に必要なものを入れていたとされる。

その後、布袋が臨終に際して読んだ詩「弥勒は真の弥勒にして、分身は千百億なり、時々に時人に示すも、時人自ら識らず」から、布袋は弥勒菩薩の垂迹との伝聞が広まった。このため支那では、弥勒菩薩の姿形を布袋になぞらえた太鼓腹で描くようになり、寺院の主要な仏堂の本尊として安置するのが通例となった。日本でも、黄檗宗の本山萬福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿の本尊として、四天王韋駄天と共に安置されている布袋尊形の金色の弥勒仏像を見ることができる。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋尊)の伝には、布袋と禅との関係について一切触れられていない。布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。

日本では、鎌倉時代に禅画の題材として布袋が受容された。京都では伏見人形の布袋像を集める習慣があり、その風貌から日本でも人気の福の神となり、室町時代末期に成立した七福神に組み入れられた。肥満体の布袋は、広い度量や円満な人格、富貴繁栄を司るものと考えられ、所持品でトレードマークでもある大きな袋は「堪忍袋」と見なされるようになった。

その他

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Copyright (C) 2008 七鍵 key@do.ai 初版:2008年01月06日 最終更新:2008年01月06日