第19番札所 橋池山立江寺

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橋池山立江寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

橋池山立江寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s19_tatsuezi.html#basic
正式名称と通称
橋池山魔尼院 立江寺(きょうちざん たつえじ)/通称:-
本尊と宗派、開基
延命地蔵菩薩 / 高野山真言宗 / 行基菩薩
真言
オン カカカビ サンマエイ ソワカ
御姿
橋池山立江寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第19番 橋池山 立江寺 の御詠歌に
いつかさて 西の住まいの わが立江 弘誓の舟に 乗りていたらむ(いつかさて にしのすまいの わがたつえ ぐぜいのふねに のりていたらん)
所在地と電話番号
〒773-0017:徳島県小松島市立江町字若松13(08853-7-1019)
前札所と次札所
前札所:第18番札所 恩山寺(4.0km)/次札所:第20番札所 鶴林寺(13.1km)
交通と駐車場
徒歩:恩山寺→恩山寺橋→恩山寺□→田野→立江三叉路→立江橋→立江寺
恩山寺から徒歩、小松島市営バス小松県港・立木萱原行:恩山寺前→立江西(10分)、下車後徒歩(400m)
JR牟岐線立江駅下車。徒歩5分。
駐車場:300円(50台:境内まですぐ)
宿泊
宿坊250人(3800円)、要予約

橋池山立江寺のその他情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s19_tatsuezi.html#other

歴史と謂れ

聖武天皇の勅願で、天平年間に行基菩薩が光明皇后の安産のために一寸八分(約6cm)の黄金の地蔵菩薩を刻み、本尊として安置して開基。堂宇建立の際、どこからともなく飛んできた白鷺が橋(現在の白鷺橋)の上に留まり、行基に建立の場所を示したといわれている。当時白鷺が示した場所は、現在の奥之院の場所とされる。その後、弘仁6年(815年)に弘法大師がこの寺に留錫し、六尺(約1.8m)の地蔵菩薩を刻んで行基作の尊像を胎内へ納めた。同時に寺号を立江寺とし、四国霊場札所に定められた。当時の寺は、現在より西側に建てられていたが、天正年間の長宗我部元親の兵火により、本尊のみを残し寺を焼失。寛永年間に蜂須賀藩二代目の至鎮によって再興された。昭和49年(1974年)、再び火災に遭うが、幸い本尊は無事で現在の本堂は昭和53年の再建。

堂塔

立江寺の仁王門

昭和53年に本堂は再建され、別格本山にふさわしく豪荘な建物、大師堂、多宝塔、観音堂、客殿など諸堂がある。

その他

行事

-

その他の情報

阿波の関所寺

立江寺は、霊場に4か所ある関所の1番目。悪いことをした罪人や邪心をもつ人は関所で大師のお咎めを受け、ここから先へは進めなくなるという。四国の関所と言われ、「心正しからざる者は恐れおののき、足が震えて、よくお詣りしない」とも言われる霊験あらたかなお寺。享和の頃(1700年代はじめ)、石見の国(島根県)のお京という女性が夫を殺し、その罪滅ぼしのためか、あるいは追手から逃れるためか、遍路になって四国参りをしていたという。ところが立江寺の本堂に近づくやいなや、お京の黒髪はたちまち逆立ちとなり、本堂の鐘の緒に巻き上げられた。後悔した彼女は、信心し、仏の道に入ったと伝えられる。また、参道の九ツ橋(十戒とする椅)に白鷺が出たら心の邪悪なものは渡れず、前途に凶事があるといわれる。他の三ヶ寺は、27番札所神峰寺60番札所横峰寺66番札所雲辺寺で、いずれも「遍路ころがし」と呼ばれる難所。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日