D.H.ローレンス【David Herbert Lawrence】
D.H.ローレンスの概要
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デーヴィッド・ハーバート・ローレンス【David Herbert Lawrence】(1885年9月11日 - 1930年3月2日)は、イギリスの詩人・小説家・思想家。
D.H.ローレンスの略歴
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- 1885年9月11日:ノッティンガムシャーのイーストウッド村に生まれる。
- ノッティンガム大学で免状を得て教師となる。
- 1911年:在学中に小説『白孔雀』【The White Peacock】を出版、文筆生活に入る。
- 1912年:『侵入者』【The Trespasser】。
- 1912年:旧師の妻でマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの遠縁に当たるフリーダと恋愛し、ともにドイツに逃れる。
- 1913年:『息子と恋人』【Sons and Lovers】。
- 1914年:帰国してフリーダと結婚。
- 1915年:『虹』【The Rainbow】。ただし、第1次世界大戦中にドイツスパイの容疑を受けて小説『虹』は発禁とされた。
- 1916年:『恋する女たち』【Woman in Love】完成(1921年刊行)。
- 1920年:『迷える乙女』【The Lost Girl】。
- 1921年:『海とサルジニア』【Sea and Sardinia】。
- 1922年:『無意識の幻想曲』【Fantasia of the Unconscious】。
- 1922年:『アロンの杖』【Aaron's Rot】。
- 1923年:『アメリカ古典文学研究』【Studies in Classic American Literature】。
- 1923年:『カンガルー』【Kangaroo】。
- 1923年:『タオスのロレンツォ』。
- 1924年:『国境線』【The Border Line】。
- 1925年:『シー・マウアー』【St. Mawr】。
- 1926年:『羽毛のある蛇』【The Plumed Serpent】。
- 1928年:『チャタレイ夫人の恋人』【Lady Chatterley's Lover】(限定版)。
- 1929年:『三色すみれ』【Pansies】。
- 1930年:『いらくさ』【Nettles】。
- 1930年3月2日:ニースに近いヴァンスで病気療養中に没する。
- 1931年:『死んだ男』【The Man Who Died】。
- 1931年:『黙示録』【Apocalypse】。
- 1932年:『エトルリア遺跡』【Etruscan Places】。
- 1932年:『てんとうむし』【The Ladybird】。
- 1932年:『最後の詩集』【Last Poems】。
D.H.ローレンスの残した名言
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- 将来のことを考えていると憂鬱になったので、そんなことはやめてマーマレードを作ることにした。オレンジを刻んだり床を磨いたりするうちに、気分が明るくなっていくのには全くびっくりする。
- 自由とは、まず第一に私自身からの自由である。
- 愛のきずなぐらい、いまわしい束縛が考えられるだろうか(『Love』より)。
- お母さん、あなたは僕をとても愛していて、僕をあなたのポケットに入れたがっている。そしてそのポケットの中では、僕は息が詰まって、死んでしまうんです。
- 子供を父や母に結びつけていた絆は決して切れることはないけれども、それはゆるむのである。
- 自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。
D.H.ローレンスの逸話
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- 父は炭坑夫であったが、中流階級出身の母は教養のない夫の生活にあきたらず、もっぱら息子の将来に望みを抱き、母子のあいだには特異な愛情が育まれたという。
- ローレンスは性の意義を重視し、大胆露骨にその問題を扱ったが、他面、真摯な文明批評家で一種の予言者のような熱情をもっていたため、誤解される点も多かったとされる。中でも『チャタレイ夫人の恋人』は特に激しい論議の的となり、日本では翻訳の出版も裁判沙汰となった。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月12日 最終更新:2007年10月12日