広告
広告
https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awazi.html#basic
国名(よみ / 旧かな) | 淡路国(あわじのくに / あはぢのくに) |
---|---|
別名 | 淡州(たんしゅう / たんしう) |
延喜式の時代の等級 | 下国、近国 |
国府の所在地と現在地 | 三原郡(みはら) / 兵庫県南淡路市神代国衙 |
総社 | 十一明神神社 |
推定人口 | 123,500人(1834年) |
名物や名産品など | 烏賊、鳴門若布、五色撒石、淡路瓦、塩辛、納豆、乾鰈 |
代表的な妖怪 | 辻の神 |
現在の地名 | 現在の兵庫県淡路島とその範囲が一致する。 |
https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awazi.html#other
律令制の下では、田畑の面積が少いが一国として成立した。しかし『延喜式』や平城京などから発見された木簡により、淡路国は租庸調に加え、贄を直接朝廷の内膳司に納めていたことが分かっている。このことにより、朝廷にとって淡路国が特殊な位置にあったとする説がある。
畿内から阿波に至る路として「淡路」と呼ばれるようになったと考えられている。鎌倉時代から室町時代にかけて、淡路の守護職は佐々木氏、長沼氏、細川氏と代わる。後に、阿波の国人領主である三好長慶の勢力化に入ったが、土佐の長宗我部元親が三好氏を破り、淡路を支配した。豊臣秀吉の四国平定後は、脇坂安治が洲本城に入り、徳川家が天下を握ると、池田輝政の三男忠雄が淡路を領した。その後、元和元(1615)年、徳島藩蜂須賀家の藩領となった。
国名 | 延喜式 | 吾妻鏡他 | 郡名考・天保郷帳 | 郡区編成 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
都道府県 | 郡 | 市 | |||||
淡路 | 津名(つな) | 津名 | 津名(つな) | 津名 | 兵庫県 | 津名郡 | 洲本市 |
三原(みはら) | 三原 | 三原(みはら) | 三原 | 三原郡 |
古事記では、日本列島で最初に生まれた島とされる。島内には伊弉諾神宮が祭られている。
広告