セントヘレナ島
セントヘレナ島の基本情報
- 最終更新
- 2007-03-28T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/w_africa/shn.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- セントヘレナ島【Saint Helena】。
- 首都
- (ジェームズタウン)
- 国旗
- -
- 人種
- セントヘレナ人(イギリスの白人と黒人などの混血)85%
- 言語
- 英語(公用語)
- 宗教
- 英国国教会がほとんど
- 通貨
- セントヘレナ・ポンド
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- SHN/SH/654
- 人口/面積
- 7,415人/410平方キロメートル
- 国歌/国花/国鳥
- 女王陛下万歳、我がセントヘレナ島(非公式)/-/-
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC +0
- ccTLD
- .SH
- 国際電話番号
- 290
セントヘレナ島のその他情報
- 最終更新
- 2007-03-28T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/w_africa/shn.html#other
セントヘレナ島の地形
セントヘレナ(Saint Helena)はアフリカ西岸より2,800km洋上に位置する面積122平方kmの南大西洋に浮かぶ火山性の島で、イギリスの海外領土。行政区画としてはアセンション島、トリスタン・ダ・クーニャ、ゴフ島など、大西洋上の他の島を含む。火山島で最高峰がダイアナ山(820m)。島の周囲は断崖が多い。
セントヘレナ島の気候
-
セントヘレナ島の経済
人口が少く、経済は生産性の低いモノカルチャー(単一作物生産)経済であり、主にロンドンからの移入物資によって島民の生活は支えられている。主な経済活動は漁業、家畜農園、手工芸品であるが、これだけでは全住民の生活を支えられず、不完全雇用がセントヘレナの大きな問題となっている。
セントヘレナ島の歴史
- 1502年:ポルトガル人の来航。島名はコンスタンティヌス1世の母、聖へレナにちなんで名づけられた。当時、島に住民はなく、ポルトガル人は生活物資を運び込んで航海のための拠点とした。
- 1584年:2人の日本人が島に来航した記録がある。
- 1645年頃:オランダ人によって占拠され、ポルトガルは領有権の主張を放棄する。
- 1661年:イギリス東インド会社は、オランダ人がセントヘレナ島から出た直後から同島を保持、特許状により島を保有する。
- 1658年:現在の首都ジェームズタウンが東インド会社によって建設される。この名は当時の王弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)にちなんで名づけられた。
- 1676年:エドモンド・ハレーが天文台を設置し、天体観測の拠点とする。
- 1810年以降:東インド会社による広東貿易の寄港地として使用される。
- 1833年:王領直轄地となる(1834年4月22日までセントヘレナは東インド会社の所有地)。
- 1870年代半ばまで:大西洋とインド洋を結ぶ航海の要地として繁栄したが、スエズ運河開通(1869年)以降は交通量が激減。
セントヘレナ島の文化
- イギリスの海外領土。
- スエズ運河建設までインド洋へ通じる戦略的要地として重要であり、主に給水地として使用された。
- 絶海の孤島であるため流刑地として使用され、ナポレオン1世の流刑地として著名。このことは現在、島の観光経済に大きく寄与している。またボーア戦争後にもボーア側首脳の流刑地として使用された。
- 島は小さく、また現代経済における重要性が小さいことから、島民にはイギリス政府が島を軽視しているとの不満が絶えない。
- ギネスブックよると地球上で他の陸地から距離が2番目に遠い陸地とされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月28日