マカオ
マカオの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_asia/mac.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- 中華人民共和国マカオ特別行政区【Macao】。公式の英語表記は、Macao Special Administrative Region。
- 首都
- (中心地区:マカオ)
- 国旗
- -
- 人種
- 中国系99%、ポルトガル系1%
- 言語
- 中国語、ポルトガル語(以上公用語)
- 宗教
- 仏教50%、カトリック15%
- 通貨
- パタカ:Pataca(MOP)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MAC/MO/446
- 人口/面積
- 445,286人/25平方キロメートル(東京都世田谷区の約1/2の大きさ)
- 国歌/国花/国鳥
- -
- 漢字による表記
- 澳門
- 時間帯
- UTC +8(DST: なし)
- ccTLD
- .MO
- 国際電話番号
- 853
マカオのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
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マカオの地形
中国広東省南部、珠江河口の西南岸に位置し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いのタイパ島、コロネア島より構成される。香港から南西に70km、広州から南西に145km離れている。1970年代以降に大規模な埋立が行われたため、地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡となった。
マカオの気候
高温多湿の亜熱帯モンスーン気候。4〜9月が雨季。
マカオの経済
マカオは高度に密集した都市であり、耕地、牧場、森や林はなく、実質的に農業は殆ど行われていない。このため、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。漁業では鮮魚や加工品を香港へ輸出している。また、1970年代から香港資本の進出で、衣料、玩具、電子機器などの製造業が興り、中国などへ輸出されている。港湾の規模が狭いため、貿易は縮小傾向。現在では「東洋のモンテカルロ」「東洋のラスベガス」などと呼ばれ、カジノやドッグレースなどギャンブルを中心とした観光産業が主力。
マカオの歴史
- 1513年:それまで港町として栄えていたマカオにポルトガル人が初渡来、明王朝との交易を開始。
- 1557年:ポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となる。ただし、この時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。
- 1845年:ポルトガルはマカオ自由港の成立を宣言、タイパ島とコロアネ島を占領。
- 1848年:中国人による総督殺害事件を機に清朝税関等の官吏を追放し、地租の支払いを停止し、マカオの行政権を取得。
- 1888年:ポルトガルは清朝との間で香港からの阿片密輸防止協力する見返りとして「友好通商条約」を締結、ポルトガルのマカオに対する行政権が法的に確立。清朝はポルトガルがマカオを永久に占領し、第三国へ譲渡しないことを承認。
- 1949年:中国共産党が中華人民共和国を設立し中国大陸を統治するようになったものの、マカオは依然としてポルトガルの統治が続く。
- 1951年:マカオはポルトガルの海外県となる。
- 1966年:中国文化大革命の影響により左翼系の中国系住民が反ポルトガル闘争を組織。マカオ政府はデモを鎮圧できず、中国政府の影響力を借りることにより事態を収拾し、以後、マカオにおける中国の影響力が拡大したとされる。
- 1974年4月:ポルトガル革命後、ポルトガルの新社会主義政権は植民地主義を放棄。
- 1976年:新憲法においてマカオの特別の地位(「ポルトガル海外県」から「ポルトガル行政下にある領域」)を認め、「マカオ組織章程」を制定、立法会も設置。
- 1987年4月13日:ポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印。
- 1999年12月20日:マカオの行政権は中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになる。
- 2005年7月15日:マカオの8つの広場と22の歴史的建造物が、マカオ歴史地区という名前で世界文化遺産登録される。
マカオの文化
- マカオという名称は、この地にある道教の廟、媽閣廟に由来すると考えられている。
- マカオは中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日にマカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前で世界文化遺産登録された。
- マカオと香港の間を約1時間で結んでいる高速船が毎日24時間運航されている他、ヘリコプターによる定期便も頻繁に運航されていることから、香港の旅行客が日帰りでマカオを訪れることも多い。
- 返還後50年間は現状の保全が取り決められているため、現在もポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用されている。これに伴いポルトガル語は中国語と並ぶ公用語とされ、道路表示や看板など全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民の使用する言語は広東語である。
- マカオの人口は95%が華人であり、最も多いのが広東人。残りはポルトガル人や、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血を祖先とする人々。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月18日