第75番札所 五岳山善通寺

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五岳山善通寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

五岳山善通寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
http://www.7key.jp/data/shikoku88/s75_zentsuuzi.html#basic
正式名称と通称
五岳山誕生院 善通寺(ごがくざん ぜんつうじ)/通称:お大師さん
本尊と宗派、開基
薬師如来 / 真言宗善通寺派 / 弘法大師
真言
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
御姿
五岳山善通寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第75番 五岳山 善通寺 の御詠歌に
我住まば よも消え果てじ 善通寺 深き誓いの 法の灯し火(われすまば よもきえはてじ ぜんつうじ ふかきちかいの のりのともしび)
所在地と電話番号
〒765-8506:香川県善通寺市善通寺町3-3-1(0877-62-0111)
前札所と次札所
前札所:第74番札所 甲山寺(1.6km)/次札所:第76番札所 金倉寺(3.8km)
交通と駐車場
徒歩:甲山寺→フローラン工場→国立善通寺病院→善通寺
甲山寺から徒歩7分、JRバス善通寺行:朝比奈→善通寺赤門前(6分)、下車後徒歩(700m)
JR予讃線善通寺駅下車。詫間経由観音寺行きバス3分(赤門下車)。徒歩5分。
駐車場:200台(普通車200円:境内まですぐ)
宿泊
宿坊250人(3800円)、要予約

五岳山善通寺のその他情報

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2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ

「お大師さん」の愛称で親しまれている空海誕生の地であり、弘法大師三大霊場(他は高野山の金剛峰寺と京都の東寺)の1つでもある真言宗善通寺派の総本山、大師自ら創建した真言宗発祥の根本道場である。正式には屏風浦五岳山誕生院総本山善通寺。弘法大師は、父の佐伯直田善通と母の玉寄御前の三男として、宝亀5年(774年)6月15日に現在の御影堂の所で誕生したとされる。大師は唐より帰朝後、大同2年(807年)に真言宗弘通の勅許を得て、先祖の氏寺の建立を発願した。讃岐の豪族であった父の善通師から荘園や邸宅の喜捨を受け、この地に唐の八霊場の土砂を撒き、恩師である恵果和尚がいる唐の青龍寺の伽藍を模して建立した。寺号は父の名をとって善通寺とし、寺の背後に香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山の五峰がそびえていることから山号を五岳山とした。後の弘仁4年(813年)には本堂や七堂伽藍が完成し、大師は薬師如来を本尊として刻み安置した。永禄元年(1558年)の兵火により本堂は焼失したが、本尊は難を免れることができた。現在の本堂は貞享2年(1685年)に再建されたもので、新たに運長が刻んだ薬師如来を本尊として祀り、大師が刻んだものは胎内仏として祀られている。歴代天皇の尊信が厚く、寺宝も多く所有されており、中でも「一字一仏法華経序品」や「三国伝来金銅錫杖」は国宝に指定されている。中世には足利氏、近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。

堂塔

善通寺の仁王門

約13万5000坪という広大な寺領は東西二院に分かれている。五重塔を前方に見ながら市街へ入ると、左に伽藍といわれる東院があり、境内にご本尊の薬師如来を奉安した金堂、五重塔、常行堂などが位置する。そして東に赤門、西に中門、南に大門(南大門)がある。一方、右には誕生院といわれる西院があり、境内に仁王門、勅使門、大師御影堂、産湯井、その他諸堂がある。善通寺派の総本山であるだけに四国一の規模を誇り、大師誕生の地にふさわしい。

智慧の文殊菩薩

智慧の文殊菩薩

弘法大師像

その他

行事

-

その他の情報

御影堂地下の戒壇めぐり

御影堂の地下に戒壇めぐりがある。真っ暗な闇の中を、左側の壁に手を這わせながら一周する。「南無大師遍照金剛」と繰り返し唱え進んで行き、真中のあたりに来るとぼんやり明かりが見えてくる。ここは弘法大師が生誕した場所で、祭壇が有り大師の話を聞くことができる。悪行のある者は出られないといわれる。

善通寺の寺宝

国宝に指定されている、一字一仏法華経序品(大師が写経をし、母の玉依御前が仏像を描いたもの)や、恵果阿闍梨から授かったという紫金銅錫杖、大師が刻んだ木造吉祥天立像(重要文化財)、木造地蔵菩薩立像(重要文化財)、善通寺伽藍並寺領絵図(重要文化財)、稚児大師立像がある。

自画像「瞬目大師」の伝説

御影堂の左手に御影の池があり、弘法大師が唐に留学をする前に自画像を書いて母の玉依御前の贈ったといわれる。大師は松の木に登り、池に自分の姿を映して自画像を描きはじめた。夕暮れ時で暗くなってしまったが、裏山から金色の光が差していたため描き終えることができた。大師が後ろを振り返るとお釈迦様が光を放っていたという。そのため自画像には、お釈迦様が描かれている。この絵を土御門天皇が見た際、大師が瞬いたので「瞬目大師」との名を賜った。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日