香川県

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香川県の基本情報

最終更新
2007-06-20T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/prefectures/kagawa.html#basic

香川県の位置

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名称香川県【Kagawa Prefecture】
団体コード / ISO 3166-237000-2 / JP-37
県庁所在地高松市(たかまつ)
県庁所在地の情報〒760-8570 香川県高松市番町4-1-10 / 087-831-1111
人口(男性 / 女性)1,018,000人(489,000人/ 529,000人)(平成16年)
平成12年から16年の人口増加率-0.17
総世帯数364,972世帯(平成12年)
面積1,876.16平方km(第47位)(平成16年)
湖沼面積 / 林野面積-(平成16年) / 883平方km(平成12年)
人口密度542.6人/平方km
年間平均日照時間/降水量/気温1,857時間(第15位) / 1,252mm(第39位) / 16.5℃(第13位)
県の花オリーブ
県の木オリーブ
県の鳥ホトトギス
県の魚ハマチ
県の動物シカ
県の歌-
県民の日-
隣接都道府県徳島県愛媛県岡山県(瀬戸大橋)、兵庫県(海)、広島県(海)
旧国名讃岐(さぬき)
国立公園瀬戸内海(62,790ha)
国定公園-
香川県の公式Webサイトhttp://www.pref.kagawa.jp/

香川県のその他情報

最終更新
2007-11-12T21:41:55+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/prefectures/kagawa.html#other

全般

県名は、高松市が所属していた香川郡にちなむ。1994年4月22日には、中国の陝西省と姉妹県提携。

この地方は、渇水期になると水が無くなる河川が多く、昔から水枯れが多かったことから、「枯川(カレカワ)」が転訛して「香川」になったとの説がある。

香川県の地理

北部は瀬戸内海に面して讃岐平野が広がり、南部には讃岐山脈が連なる。小豆島をはじめ、塩飽諸島や直島諸島など約110余りの島々が点在。かつては全国で2番目に面積の狭い都道府県であったが、以前最小だった大阪府に海岸埋立(関西空港)によって抜かれ、現在は47都道府県中最小。古来より雨量、河川の流水量ともに少なく、かんばつに備えて県内各地に14,000を超える数のため池が造られ点在している。

香川県の歴史

室町時代末期、三好長慶が讃岐国の実質的支配者となるが、その後長宗我部氏が三好氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻し、平定される。豊臣秀吉の四国征伐では、讃岐には宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻。長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は生駒氏が統治する。当初は宇多津に拠点が置かれたが、後に讃岐国の中央に当る高松に拠点が移された。江戸時代に入り、生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されたため、水戸徳川家の嫡流である徳川頼重が高松に入り東讃高松藩を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩を領する。江戸時代末期には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、江戸幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立。明治時代初期の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県とされた。直後、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移され、更に高松県と丸亀県が合併して香川県が設置された。1872年には小豆島西部を編入し、県域が確定する。しかし、1873年2月20日には名東県(現徳島県)に編入され、1875年9月5日に香川県として再設置、翌1876年8月21日には愛媛県に編入された。1888年12月3日に香川県が復活して、現在に至る。

その他

香川県の放送局

香川県の新聞

香川県の空港・港

香川県の特産品

讃岐うどん、和三盆糖、手延べそうめん、おいり、しょうゆ豆、オリーブ、瓦せんべい、金陵、うちわ

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年06月20日 最終更新:2007年11月12日