第10番札所 巌殿山正法寺

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巌殿山正法寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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正式名称と通称
巌殿山 正法寺(いわどのさん しょうほうじ) 通称:巌殿観音(千手観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
千手観世音 / 真言宗智山派  / 沙門逸海養老2(718)年
真言
おん ばざら たらま きりく
御詠歌
のちのよの みちをひきみの くわんぜおん このよをともに たすけたまへや
所在地と電話番号
〒355-0065:埼玉県東松山市大字岩殿1229(0493-34-4156)
位置
緯度:36度0分8.669秒(36.002408)、経度:139度21分46.613秒(139.362948)
納経所
夏:8時〜17時(4〜10月)、冬:8時〜16時(11〜3月)
前札所と次札所
前札所:第9番札所 慈光寺 / 次札所:第11番札所 安楽寺
交通と駐車場
最寄駅は、東武高坂駅。約4km。
高坂駅西口から川越観光バス(大東文化大学:バス停下車徒歩5分)
駐車場:普通車20台
拝観料
-

巌殿山正法寺のその他情報

最終更新
2009-09-21T15:02:52+09:00
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歴史と謂れ

寺伝によれば、養老2(718)年に沙門逸海がこの地で修行をしていた際、霊夢に僧侶に化した観音様が現れたため、逸海は千手観音像を刻み、四十八峰、九十九谷といわれた岩殿山の山腹の崖を削り、その岩窟に安置して、そのかたわらに正法庵をむすんだのが開山とされる。尚、役ノ行者によって開かれた修験霊場であったとする説もある。その後、延暦年間(782〜805年)に比企の山に悪龍が住み着き、村人に外を与えたといわれる。たまたま奥州征伐でこの地に立ち寄った坂上田村麻呂は村人に請われ、この悪龍を退治するために岩殿の千手観音に祈願した。すると、6月初めの炎暑にもかかわらず一尺を超える雪が積もり始め、辺り一面銀世界となったが、山頂より一か所だけ雪の積もらない部分があった。そこで田村麻呂は、そここそ悪龍の潜む場所と、観音様から授かった矢を放ち、一矢のもとに悪龍を射倒して村人を救った、との伝説が残っている。

田村麻呂の奥州征伐の後の延暦15(796)年、桓武天皇の宣旨により伽藍が建立され、正法寺は諸堂六十二坊を有する大寺院となった。正治2(1200)年には、北条政子の発願で諸堂が再建され、覚西が鎌倉にいながら別当をかねた。ただし、源頼朝の命により比企能員が復興し、能員の死後はその嫡子である時員がこの寺を護ったとの説もある。室町時代には、「袖をつき踵をめぐらして 現当二世の道をねがふ(『河越軍記』)」者が多く大いに栄えたといわれる。

しかし、天文年間(1532〜54年)には北条氏康が高坂に戦陣を敷いたため、戦火に遭い堂塔は灰燼に帰した。後に天正2(1574)年、住職の栄俊が再興し、慶長19(1614)年には徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられた。が、寛永年間に焼失。明和6(1769)年には、恵日法師が十一間四面の本堂を建立したものの、明治11(1871)年に火災のため再び焼失している。現在の本堂は、明治12年に高麗村から移築されたものである。

堂塔

正法寺の観音堂観音堂は、養老年間の創建と伝えられ、寛永、天明、明治と3回再建された。現在の建物は、明治11(1871)年の建立。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられている。

正法寺の仁王門仁王門は、表参道から石段を少し登った場所に位置し、「巌殿山」の額が掲げられている。左右には運慶の作といわれる仁王像が納められている。

正法寺の鐘楼銅鐘は、元亨2(1322)年に鋳造されたもので、埼玉県指定の文化財。竜頭の高さは32センチメートル、鐘身113センチメートル、口径78センチメートル。銘文によって、正法寺の貫主覚阿の時代に奉納されたものであることが判る。外面には無数の傷があり、これは天正18(1590)年の豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した際の傷だと伝えられている。また、鐘楼は元禄15(1702)年に山田茂兵衛の寄進によって再建されたと伝えられる草葺き屋根の建物で、東松山市内では最も古い建造物として東松山市有形文化財に指定されている。

六面幢は、天正10(1582)年に、正法寺の僧であった道照が建立、埼玉県史跡に指定されている。

正法寺の本堂

正法寺の薬師堂

正法寺の百地蔵堂

正法寺の絵馬堂

行事

その他の情報

第9番慈光寺、第11番安楽寺とともに比企三山とも言われている。

正法寺の大銀杏大イチョウは、東松山市指定天然記念物。

正法寺の石仏群観音堂裏の岩肌には、日本百観音と四国八十八か所の石仏が並んでいる。

本尊は、高さ48センチメートルあまりの千手観音坐像。

万治2(1659)年、水野石見守忠貞奉納の『明版一切経』、慶長以前の記録『正法寺文書』との寺宝を有する。

正法寺の算額は、明治11(1878)年に比企郡杉山村(現、嵐山町)の内田祐五郎往延が33歳の頃奉納したものと伝えられている。二つの図形の下に、問題と計算式が記されている。

この地域では、坂上田村麻呂の伝説にちなみ、6月1日には庭先でスクモリ(小麦の糠)を炊き、この火で家族一同が魔物にあわないよう尻をあぶる習慣がある。また、この朝、家々では観音様に感謝し、田村麻呂に供えるため麦粉で饅頭を作り、御堂へ参詣する。

正法寺は、岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にある。物見山は標高135メートル、比企丘陵の最高峰で、坂上田村麻呂がこの山に登り四囲を見渡したとの伝説から名付けられた名称といわれている。

正法寺の高札戦国時代の松山城主、上田宗調朝直が発した制札が残っており、岩殿山一帯の木や草を刈り取ることを禁じたもの(写真は複製)。

正法寺の風景

正法寺のびんづる様

正法寺の風景

正法寺の風景

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Copyright (C) 2008-2009 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2009年09月21日