第9番札所 都幾山慈光寺

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都幾山慈光寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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正式名称と通称
都幾山 慈光寺(ときさん じこうじ) 通称:(十一面千手千眼観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
千手観世音 / 天台宗  / 慈光老翁白鳳2(673)年
真言
おん ばさら たらま きりく
御詠歌
きくからに だいじだいひの じくわうでら ちかひもともに ふかきいはどの
所在地と電話番号
〒355-0364:埼玉県比企郡ときがわ町西平386(0493-67-0040)
位置
緯度:36度0分41.432秒(36.011509)、経度:139度13分55.607秒(139.232113)
納経所
夏:8時〜17時、冬:9時〜16時
前札所と次札所
前札所:第8番札所 星谷寺 / 次札所:第10番札所 正法寺
交通と駐車場
最寄駅は、JR明覚駅。
約1時間に一本程度バスが出ている(バス停から境内まで、歩いて15〜30分程度)
駐車場:大型3台、普通車10台
拝観料
宝物殿拝観:大人300円、小中高150円

都幾山慈光寺のその他情報

最終更新
2009-03-22T14:22:01+09:00
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歴史と謂れ

寺伝によれば、天武天皇2(673)年、慈光翁が興福寺の僧・慈訓に千手観音像を彫らせ、本尊として祀ったのが始りとされている。また、宝亀元(770)年に鑑真の弟子・道忠は仏堂を建立し、高さ4.8メートルの釈迦如来を刻み大講堂の本尊とし、慈覚寺を開山した。貞観年間(859〜877年)には、清和天皇が慈光寺を勅願寺と定め、「天台別院一乗法華院」と称せしめ、天台宗の中心的な寺院となった。これは、鎌倉時代に栄朝上人が願主となって鋳造奉納した、この寺の梵鐘銘に「天台別院慈光寺」とあることからも窺われる。貞観13(871)年3月、上野国の安部小水麿が大般若経六百巻を納めている。『風土記稿』には、「昔は大伽藍にして、何の頃よりか台・密・禅の三宗を兼学」と紹介されている。

その後鎌倉時代には、清和天皇を祖先として崇敬した源頼朝が、文治5(1189)年に奥州藤原泰衡征討のため愛染明王像を贈って住僧厳耀に祈願、寺領千二百町歩を寄せている。建久3(1192)年、後白河法皇尽七日忌のため、幕府は武相の地より百僧を出仕させて法要を営んだが、慈光寺からは十人が加わったといわれ、大寺たることを示している。その後、徳川家康も堂宇の営繕や寺領の寄進を行い、家光の室桂昌院の信仰も厚く、その奉納品が多く現存する。

昭和60年11月26日、放火によって釈迦如来、蔵王権現像等を焼失。

堂塔

慈光寺の観音堂現在の観音堂は、享和3(1803)年に義然が再建し、平成5年に本尊の解体修理や茅葺から銅板葺き経の改修などが行われたもの。本坊からさらに100メートル程を登った場所に位置する。慈覚大師作と伝える本尊千手観音とともに、脇侍として毘沙門天と十一面観音を安置している。十一面観音は畠山重忠の守本尊で、重忠と等身大とされており、「重忠丈くらべの観音」と呼ばれる。

慈光寺の開山塔開山塔は、昭和28年8月29日に重要文化財に指定されている。慈光寺を開山した道忠の墓に建てたと伝えられ、正面に見える覆堂の中に収められている。現在の開山塔は、総高5.10メートルの木造宝塔で、天文25(1556)年の銘が露盤にある。八角形の土台に八本の円柱を立てて円筒状とし、上端に厚板の亀腹、側面の四方に桟唐戸が設けられている。

慈光寺の鐘楼銅鐘は、昭和25年8月29日に重要文化財に指定されている。鎌倉時代の寛元3(1245)年5月18日に、栄朝が願主となり東国の名工・物部重光が鋳造、徳光寺に奉納した銅製の梵鐘である。総高150センチメートル、口径88センチメートル、重量は709キログラム。年代の判る梵鐘では、埼玉県最古である。この鐘楼は、昭和60年11月の火災で釈迦堂などとともに焼失したが、寺の復興を願う関係者の浄財により、平成2年に再建されたものである。

慈光寺の女人堂女人堂は、平安初期に女人禁制のため、慈光坂途中に建立されたといわれている。

慈光寺の釈迦堂跡開山塔の付近には、釈迦堂や蔵王堂、鐘楼などがあったが、近年の火事で焼失した。釈迦堂には、巨大な釈迦如来像が祀られていた。釈迦堂は、元禄8(1695)年に奥州津軽の行者・釈見性が諸国を回った際の浄財で再建したものであった。間口八間(14.8m)、奥行き七間半(13.88m)であった。

慈光寺のタラヨウジュタラヨウジュは、埼玉県指定天然記念物。慈覚大師が植えたといわれる樹齢1100年、周囲3メートル、高さ20メートルの多羅葉樹。

空海書の破体心経弘仁12(821)年とされる、空海書の破体心経の石碑。梵字を書くための木筆を用いたもの。

慈光寺の山門

慈光寺の鐘楼

行事

その他の情報

第10番正法寺、第11番安楽寺とともに比企三山とも言われている。

本尊は秘仏であるが、毎年4月第2日曜日と17日に厨子が開かれ、拝観することができる。

法華経一品経・阿弥陀経・般若心経33巻は、国宝に指定されている。また、金銅密教法具と紙本墨書大般若経は、重要文化財に指定されている。さらに、木造聖僧文殊坐像、木造宝冠阿弥陀如来坐像、木造千手観音立像、経箱、青石塔婆9基などが、埼玉県指定文化財に指定されている。このように、慈覚寺は東国最古の寺歴をもつだけに名宝が保管されていることで知られており、なかでも、貞観13(871)年い安部小水麿が寄進した現存百五十二巻の小水麿経が有名。また、文永7(1270)年に後鳥羽上皇をはじめ藤原兼実などが法華経三十二巻を書写して奉納した一品経は、厳島神社の平家納経や鉄舟寺の久能寺経とともに、わが国三大装飾経に数えられている。

慈光寺の弘法大師筆、隅寺心経。隅寺とは、奈良の海龍王寺のことで、いつの時か同寺より多くの心経が出現した。そこで若き空海が千巻心経を発願した故事から、一括してこれを弘法大師筆の隅寺心経として崇拝されてきた。

紺紙金字一字宝塔心経紺紙金字一字宝塔心経。

慈光寺の境内

慈光寺の境内

慈光寺の申八梵王

慈光寺の境内

慈光寺の本堂

慈光寺の本堂

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