廣瀬大忌祭
廣瀬大忌祭とは
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廣瀬大忌祭とは、「ひろせおおいみのまつり」と読み、奈良県北葛城郡河合町にある廣瀬大社の例祭である。「延喜式四時祭式」上(『延喜式』巻第一)の四月祭条に「大忌祭一座 廣瀬社、七月准此」と記されているように、4月と7月の年二回、風水害を除き穀物の豊稔を祈願する祭祀である。祭神の和加宇加乃売命(若宇加乃売命:わかうかのめのみこと)は、五穀の生育を管掌する神で、龍田風神とともに風水害を除き、穀物の豊作を守護する神である。由緒書では、若宇加能売命は伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神であるとしている。相殿に櫛玉命(くしたまのみこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)が祀られている。「養老神祗令」は、孟夏(四月)と孟秋(七月)に廣瀬大忌祭と龍田風神祭とを並べ記しており、古来両祭は同日に行われていたとみられている。4月と7月に分けて行われる理由として、4月は田植え前に稲の成長に必要な水が梅雨の時に過不足なく降ることを願い、7月は収穫前で台風が押し寄せる時期に当り、風で稲が倒れたり水がついて田畑を荒らすことがないように願うためと考えられている。両祭を合わせて廣瀬龍田祭とも称された。「延喜四時祭式」によれば、本祭は小祀とされ、祭日である4月と7月の四日には祭使として五位以上の王(皇族)と臣が派遣された。平常は官庫に保管されている神庫の轤ニ匙を請け取り大忌祭を行い、終るとそれらを返納することが、当時の祭祀規則によって規定されていた。大忌祭の行事としては、御田植水口祭礼と水府舞(みくらのまい)があったことが記録に残されている。水府舞は、祈雨を願う神楽舞であった事が記されているが、現在には伝わっていない。しかし、御田植の水口祭礼は、現在御田植祭(砂かけ祭)と名を変え、毎年2月11日に当神社の重要な祭りとして行われている。
廣瀬大社の鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川、大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、水害防護の神としての水神を祭る神社である。「延喜神名式」(『延喜式』巻第九、「延喜式神名帳」)には、大和国廣瀬郡条に「廣瀬坐和加宇加乃賣神社 名神大、月次新嘗」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛を受けると記載されている。社伝によれば、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・広瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化し橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。『日本書紀』天武天皇4(675)年4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、これが4月と7月に行われる広瀬大忌祭の起源とされている。永保元(1081)年には、最高位の正一位の神階を受けている。後の二十二社の一つともなった。明治4年には官幣大社に列格。第二次大戦以降、廣瀬神社を改め、廣瀬大社と称するようになった。
廣瀬大忌祭の祝詞
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廣瀬神社に参向した勅使が、祭祀を営む趣を廣瀬神社の神主・祝部等に読み聞かせる宣命体形式の祝詞であり、直接祭神に奏上する祝詞ではない。
廣瀬大忌祭
廣瀬能川合尓稱辭竟奉流皇神能御名乎を白久、御膳持須留若宇加能賣命登御名者白氐、此皇神前尓辭竟奉久、皇御孫命能宇豆能幣帛乎令捧持氐、王・臣等乎爲使氐、稱辭竟奉久乎、神主祝部等諸聞食登宣、
奉流宇豆乃幣帛者、御服明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈・御馬、御酒者瓺能閉高知、瓺能腹滿雙氐、和稲・荒稲尓、山尓住物者、毛能和伎物・毛能荒伎物、大野能原尓生物者、甘菜・辛菜、青海原尓住物者、鰭能廣伎物・鰭能狭伎物、奧津藻葉・邊津藻葉尓至萬氐、置足氐奉久登、皇神前尓白賜部止宣、
如此奉宇豆乃幣帛乎、安幣帛能足幣帛止、皇神御心平久安久聞食氐、皇御孫命能長御膳能遠御膳止、赤丹能穂尓聞食、皇神能御刀代乎始氐、親王等・王等・臣等・天下公民能取作奧都御歳者、手肱尓水沫畫埀、向股泥畫寄氐、取將作奧都御歳乎、八束穂尓皇神能成幸賜者、初穂者汁尓母穎尓母、千稲・八千稲尓引居氐、如横山打積置氐、秋祭尓奉牟登、皇神前尓白賜登宣、
倭國能六御縣乃山口尓坐皇神等前尓母、皇御孫命能宇豆乃幣帛乎、明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈に至萬氐奉、如此奉者、皇神等乃敷坐須山山乃自口、狭久那多利尓下賜水乎、甘水登受而、天下乃公民乃取作礼留奧都御歳乎、悪風・荒水尓相賜、汝命乃成幸波閉賜者、初穂者汁穎尓母、瓺乃閉高知、瓺腹滿雙氐、如横山打積置氐奉牟登、王等・臣等・百官人等、倭國乃六御県能刀禰、男女尓至萬氐、今年某月某日諸參來氐、皇神前尓宇事物頚根築拔氐、朝日乃豐逆登尓稱辭竟奉久乎、神主・祝部等諸聞食止宣、
廣瀬大忌祭
廣瀬の川合に稱辭竟へ奉る皇神の御名を白さく、御膳持する若宇加能賣命と御名は白して、
此の皇神の前に辭竟へ奉らく、皇御孫命の宇豆の幣帛を捧げ持たしめて、
王・臣等を使として、稱辭竟へ奉らくを、神主・祝部等諸聞き食へと宣ふ、
奉る宇豆の幣帛は、御服は明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、
楯・戈・御馬、御酒は瓺の閉高知り、瓺の腹滿て雙べて、
和稲・荒稲に、山に住む物は、毛の和き物・毛の荒き物、
大野の原に生ふる物は、甘菜・辛菜、青海原に住む物は、
鰭の廣き物・鰭の狭き物、奧津藻葉・邊津藻葉に至るまで、
置き足らはして奉らくと、皇神の前に白し賜へと宣ふ、
如此奉る宇豆の幣帛を、安幣帛の足幣帛と、皇神の御心に平けく安けく聞し食して、
皇御孫命の長御膳の遠御膳と、赤丹の穂に聞し食し、皇神の御刀代を始めて、親王等・王等・臣等・天下の公民の取作る奧都御歳は、
手肱に水沫畫き埀り、向股に泥畫き寄せて、取作らむ奧都御歳を、八束穂に皇神の成し幸へ賜はば、
初穂は汁にも穎にも、千稲・八千稲に引居ゑて、横山の如く打積み置きて、秋祭に奉らむと、皇神の前に白し賜へと宣ふ、
倭國の六御縣の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の宇豆の幣帛を、
明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈に至るまで奉る、如此奉らば、
皇神等の敷き坐す山山の口より、狭久那多利に下し賜ふ水を、
甘き水と受けて、天下の公民の取作れる奧都御歳を、悪しき風・荒き水に相はせ賜はず、
汝命の成し幸へ賜はば、初穂は汁にも穎にも、瓺の閉高知り、
瓺の腹滿て雙べて、横山の如く打積み置きて奉らむと、王等・臣等・百官人等、倭國の六御県の刀禰、
男女に至るまで、今年の某月の某日、諸參出で來て、皇神の前に宇事物頚根築き拔きて、
朝日の豐逆登に稱辭竟へ奉らくを、神主・祝部等諸聞き食へと宣ふ、
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